不安になったとき、
「私は不安だ」
と思うことがあります。
腹が立ったとき、
「私は怒っている」
と思う。
失敗したとき、
「私はダメだ」
と思う。
その瞬間は、
その思考や感情が、
自分そのもの
のように感じられることがあります。
でも、
少し見方を変えると、
「私は不安だ」
ではなく、
「今、不安という反応が起きている」
と見ることもできます。
不安がなくなったわけではありません。
無理に気持ちを変えたわけでもありません。
ただ、
どこから何を見ているかが少し変わっています。
そとがわメソッドでは、
この
「どこから、何を見ているか」
という位置を、
観察点
として整理します。
「私は不安だ」と感じているとき
たとえば、
相手から返信が来ない。
その瞬間、
「嫌われたかもしれない」
と思った。
胸がざわつく。
何度もスマホを見る。
返信が来ない理由を考え続ける。
このとき、
自分の中では、
「嫌われたかもしれない」
という意味と、
不安と、
確認したくなる反応が、
かなり近いところで一つになっています。
本人にとっては、
「私は今、不安になっている」
というより、
「嫌われたから不安なんだ」
と見えているかもしれません。
反応の中にいるとき、
その反応は、
かなり現実そのもののように見えます。
少し位置が変わると「不安がある」と見える
同じ場面でも、
少しだけ位置が変わって、
「今、私は返信が来ないことに、
『嫌われたかもしれない』
という意味をつけている」
と見えたとします。
さらに、
「その意味がついて、
今、不安という反応が起きている」
と見えた。
返信が来ていないことは変わっていません。
不安もあります。
でも、
不安と自分が完全に一つではなくなっています。
「私は不安だ」
から、
「今、不安という反応がある」
へ。
これは、
言葉を言い換えているだけではありません。
自分の中で起きているものを、
少し違う位置から見ています。
反応と自分が一つになると「私はこういう人」に広がりやすい
たとえば、
注意された。
不安になった。
落ち込んだ。
そこで、
「私はメンタルが弱い」
と思う。
あるいは、
断れなかった。
そこで、
「私は他人軸だ」
と思う。
顔色を見た。
「私は人に振り回される人間だ」
と思う。
一つの場面で起きた反応が、
自分全体の説明
に広がっています。
すると、
次に似た出来事が起きたときも、
「やっぱり私はこういう人間だ」
という見方が強くなります。
「今こういう反応が起きている」と見る
そとがわメソッドでは、
反応が起きたとき、
すぐに
「私はこういう人」
と決めるのではなく、
一度、
「今、何が起きている?」
と見ます。
不安がある。
身体が緊張している。
相手の表情を確認したくなっている。
自分を責める思考が出ている。
それらは、
自分の中で起きています。
だから、
「自分とは関係ない」
と切り離す話ではありません。
ただ、
その瞬間に起きている反応を、自分の全部にはしない。
それだけでも、
見え方が変わることがあります。
→ そとがわから見るとはどういうこと?「自分を分析する」と「仕組みを見る」の違い
観察点は、いつもどこかにある
「観察点」というと、
特別な状態にならないと持てないように感じるかもしれません。
でも、
そとがわメソッドでは、
同一化しているときにも観察点はある
と考えます。
たとえば、
「私はダメだ」
という思考の中から、
出来事を見ているとします。
すると、
注意されたことも、
失敗したことも、
相手の表情も、
「やっぱり私はダメだ」
という材料に見えやすくなります。
このときも、
どこから何を見ているかという位置があります。
その位置が、
「私はダメだ」
という思考の中にある。
そこから、
「今、自分はミスを『私はダメ』と結びつけて見ている」
と見えたとき、
観察点が少し動きます。
同じ出来事でも、
見え方が変わります。
観察点が変わっても、不安が消えるとは限らない
ここは大切です。
「不安がある」
と見られたから、
不安がすぐ消える。
という話ではありません。
まだ不安かもしれない。
身体も緊張しているかもしれない。
相手の返信も気になるかもしれない。
それでも、
「私は不安だから、この不安に従うしかない」
だけではなく、
「今、不安が起きている。その上で私はどうしたい?」
という場所が見えることがあります。
たとえば「断れない」とき
頼まれごとをされた。
断りたい。
でも、
身体が緊張した。
「嫌な顔をされるかもしれない」
と思った。
「関係が悪くなるかもしれない」
と思った。
そのまま、
「大丈夫です」
と言った。
あとから、
「また断れなかった」
と自分を責めた。
反応の中にいると、
「私は断れない人間だ」
になります。
でも分けて見ると、
頼まれた。
↓
断ることに危険の意味がついた。
↓
不安になった。
↓
引き受けた。
↓
「またできなかった」と自分を責めた。
と見える。
すると、
「私は断れない人」
という一つの塊ではなく、
その場で動いた仕組み
として見えるようになります。
「不安をなくす」より先に「不安を見られる位置」へ
不安が苦しいと、
「どうすれば不安にならない?」
と考えたくなります。
でも、
不安をなくそうとしている間は、
「不安がある私は問題」
という見方になることがあります。
そとがわメソッドでは、
まず、
不安があることを確認します。
その不安は、
何が起きたときに出た?
その出来事に、
どんな意味がついた?
何が起きると感じた?
だから、
どんな反応が必要になった?
そこを見る。
不安を消すより先に、
不安がどう成立しているかを見られる位置へ移る。
これが、
観察点を動かすという見方です。
反応の中に入ったままではなく、少し違う位置から見てみたい方へ
無料講座では、
出来事。
いろづけ。
自動反応。
一次反応・二次反応。
そして、
どこから何を見ているのか。
を順番に見ていきます。
反応を消すことが目的ではありません。
自分の中で起きていることを見ながら、行動を選べるところへ戻る。
そのための見方を扱っています。
観察は「冷静になること」だけではない
観察というと、
感情を抑えて、
冷静になることを想像するかもしれません。
でも、
腹が立っていても観察できます。
怖くても観察できます。
泣いていても、
「今、私は悲しい」
と見えることがあります。
感情があることと、
その感情しか見えないことは、
同じではありません。
観察点が動くというのは、
感情をなくすことではなく、
感情も含めて、今起きているものが見える位置が増える
ということです。
「私はこういう人だから」と結論づける前に
不安になる。
怒る。
怖くなる。
断れない。
考えすぎる。
自分を責める。
そのたびに、
「私はこういう人」
と結論づけることもできます。
でも、
一度だけ、
「今、何が起きている?」
と見てみる。
「私は不安だ」
だけではなく、
「今、不安がある」
と見てみる。
それだけで、
自分と反応の間に、
ほんの少し違う位置が生まれることがあります。
そこが、
そとがわメソッドでいう
観察点
を見ていく入口です。
関連記事
「自分を分析すること」と「自分の中で動いている仕組みを見ること」の違いはこちら。
→ そとがわから見るとはどういうこと?「自分を分析する」と「仕組みを見る」の違い
出来事と、自分の中でその出来事についた意味を分けて見る考え方はこちら。
→ 出来事より「意味づけ」が苦しさを大きくするとはどういうこと?
「分かっている」と考えるより先に、身体・感情・行動が動く仕組みはこちら。
→ 「わかっているのにできない」はなぜ起こる? 意志より先に動く自動反応
不安がなくなってから、選べるようになるわけではない
不安がある。
怖い。
腹が立っている。
自分を責めている。
その反応をなくさなくても、
「今、自分の中でこれが起きている」
と見えることがあります。
返信が来ていない。
「嫌われたかもしれない」という意味がついた。
胸がざわついた。
スマホを確認したくなった。
ここまでが見えると、
「嫌われたから不安なんだ」
という一つの現実に見えていたものを、いくつかに分けて見ることができます。
そとがわメソッドでいう「観察点」は、感情から離れて冷静な人になるためのものではありません。
反応が起きている自分も含めて、今何が起きているのかを見られる位置を増やす。
その位置からなら、不安が残っていても、
確認する。
待つ。
聞く。
何もしない。
別のことをする。
という選択肢を見ることができます。
無料講座では、「観察できる自分になる」ことから始めるのではなく、まず出来事と自分の中で起きたことを分けるところから順番に扱っています。

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
詳しいプロフィールはこちら

コメント