「私、人見知りだから」
「私は昔から心配性なんです」
「どうせ私は続かないタイプだから」
こんな言葉を使ったことはありませんか。
自分のことを説明するとき、私たちはよく「私はこういう人間」という言い方をします。
そして、それを特に疑問に思うこともありません。
ところが、不思議なことがあります。
「私は人見知りだから」と言っている人でも、相手によっては初対面から楽しく話せることがあります。
「私は心配性だから」と言っている人でも、あることについては全然心配しない場合があります。
「私は続かないタイプだから」と言いながら、何年も続けている趣味がある人もいます。
だとしたら、少し考えてみたくなりませんか。
「私はこういう人間だ」と思っている、その「私」は、どこから来たのでしょうか。
本当に生まれたときからそうだったのでしょうか。
それとも、これまでの経験の中で、いつの間にかそう思うようになったのでしょうか。
性格とは、そもそも何だろう?
心理学では、性格やパーソナリティについて長く研究が続けられています。
たとえば、外向性や誠実性、情緒的な安定性など、人によって比較的安定した傾向が見られることがあります。
そうした個人差には、生まれ持った要因も、育ってきた環境や経験も関係すると考えられています。
つまり、性格のすべてが単なる思い込みというわけではありません。
ただ、ここで分けて考えたいことがあります。
実際に自分に見られる傾向と、「私はこういう人間だ」という自己イメージは、同じものでしょうか。
たとえば、初対面の人に話しかけるまで時間がかかることが多い。
これは、自分の行動に見られる一つの傾向です。
そこから、
「私は人見知りだ」
と考える。
さらに、
「人見知りだから、新しい人間関係は苦手だ」
「だから、人が集まる場所には行かない方がいい」
と考えることもあるでしょう。
一つの傾向についての説明が、自分の行動や選択を決める前提になっていくことがあるのです。
「私は苦手」というイメージは、どうやって生まれる?
小学生の頃、人前で発表したことがあったとします。
途中で言葉が止まり、教室で何人かが笑った。
その出来事をきっかけに、
「人前で話すと笑われる」
と思ったかもしれません。
次の発表では、前よりも緊張した。
声が小さくなり、うまく話せなかった。
そして、
「やっぱり私は人前で話すのが苦手だ」
と思った。
こうした経験が重なると、いつの間にか「人前で話すのが苦手」という自己イメージができることがあります。
もちろん、すべての人がこの順番で自己イメージを作るわけではありません。
でも、経験したことと、その経験から自分について判断することは、別の働きです。
最初に起きたのは、発表の途中で言葉が止まったという出来事でした。
そのあとに、
「笑われる」
「私はうまく話せない」
「人前に出ない方がいい」
という意味や予測が加わった可能性があります。
そして、いつの間にか、
「私はそういう性格だから」
という説明に変わっていることもあります。
いつから「そういう人間」になったのでしょう?
ここで、自分のことを一つ思い出してみてください。
「私は○○な人間だから」
と、普段から使っている言葉はないでしょうか。
真面目。
飽きっぽい。
心配性。
優柔不断。
人見知り。
気が弱い。
何でも構いません。
では、それを最初に「自分の性格だ」と思ったのは、いつだったでしょうか。
自分でそう思うようになったのでしょうか。
誰かに言われたのでしょうか。
何度か経験した出来事から、そう判断したのでしょうか。
すぐに答えが出なくても大丈夫です。
面白いのは、普段は自分について当たり前だと思っていることなのに、その判断がいつ生まれたのかは、案外はっきりしない場合があるという点です。
自分のことは自分が一番知っていると思っていても、実は過去の経験から作った説明を、長い間使い続けているのかもしれません。
同じ人間なのに、相手によって違う自分になる
職場では、ほとんど自分から話さない人がいます。
ところが、仲の良い友達と会うと、よく笑い、冗談を言い、何時間でも話している。
家族の前では遠慮せず意見を言うのに、職場では「何でもいいです」と答える。
そんなこともあります。
では、この人は内向的なのでしょうか。
それとも外向的なのでしょうか。
もちろん、人には比較的安定した傾向があります。
ただ、実際の振る舞いは、相手や場所、経験、その場で予測していることなどによっても変わります。
「自分の意見を言ったら否定されるかもしれない」
と感じる場所では、発言を控えるかもしれません。
「この人なら何を話しても大丈夫」
と思える相手には、自然に話せるかもしれません。
すると、同じ人でも、場所によって全く違う人のように見えることがあります。
ここで考えたいのは、どちらが本当の自分なのか、ということではありません。
違う振る舞いが出ているとき、その場では何が起きているのかということです。
行動を固定された性格だけで説明してしまうと、そのときの状況や意味づけが見えにくくなる場合があります。
「性格だから仕方ない」が選択を決めることもある
「私は人見知りだから」
そう思っている人が、知り合いから新しい集まりに誘われたとします。
誘われた瞬間、
「知らない人ばかりだから疲れそう」
「うまく話せなかったら気まずい」
「やっぱり行かない方がいいかな」
という考えが浮かぶ。
そして、断ることにした。
断ること自体は問題ではありません。
行きたくないなら、行かないという選択もできます。
ただ、その選択に「私は人見知りだから」という自己イメージが関係していたかもしれません。
もし別の日に、興味のあるイベントに一人で出かけて、初対面の人とも楽しく話せたとしたらどうでしょう。
その経験があっても、
「今日はたまたま話せただけ」
と考えることがあります。
一方、話せなかった経験は、
「やっぱり私は人見知りなんだ」
という証拠になる。
すると、自分のイメージに合う出来事ばかりが、そのイメージを強くしていくこともあります。
これは、前の記事なぜ人は自分の考えが正しいと思うのか?「普通」が人によって違う理由で扱った、確証バイアスとも関連する見方です。
ただ、自己イメージがあるからといって、すべての行動がそこから決まるわけではありません。
ここで注目したいのは、自分についての説明が、自分の選択肢を狭めることがあるという点です。
性格を変えようとすると、何が起きる?
自分の性格が嫌だと感じたとき、人はそれを変えようとすることがあります。
「もっと社交的になりたい」
「心配性をやめたい」
「優柔不断な自分を変えたい」
そう思って、話し方を練習したり、行動を変えてみたりする。
それによって、できることが増える場合もあります。
性格に関わる傾向も、人生の中で変化することがあります。
だから、変わりたいと思うことも、変えるための方法を使うことも、悪いことではありません。
ただ、ここで別のことが起こる場合があります。
「人見知りの自分はダメだから、社交的にならなきゃ」
と考えていたとします。
勇気を出して、人の集まりに参加しました。
何人かと楽しく話せた。
ところが、途中でうまく話せなくなった瞬間、
「やっぱり変われていない」
と思ってしまう。
最初は人と話せるようになることを目指していたのに、いつの間にか、
「社交的な自分になれたかどうか」
で自分を採点している。
そして、うまくできなかったときには、
「私はやっぱりダメだ」
と判断する。
変わるために努力していたはずなのに、その努力が、新しい自己否定の材料になってしまうこともあるのです。
変わりたいのに変われないのはなぜ?何度決意しても元に戻る理由では、このように変化を求めても同じ反応に戻る仕組みを扱っています。
「私はこういう人間だ」は、事実なのでしょうか?
ここで、もう一つだけ考えてみてください。
たとえば、
「私は優柔不断だ」
と思っているとします。
では、実際に起きていることは何でしょう。
買い物で迷った。
転職するかどうか、なかなか決められなかった。
人から意見を聞いて、さらに悩んだ。
こうした出来事があったのかもしれません。
でも、それは「何かを決めるときに迷った」という経験です。
そこから、
「私は優柔不断だ」
という説明が生まれた。
さらに、
「私は決断力がない人間だ」
という自己評価につながったのかもしれません。
迷うことがあった自分と、優柔不断な人間であることは、完全に同じでしょうか。
もちろん、迷いやすい傾向があるのかもしれません。
その傾向を知って、選び方を工夫することもできます。
ただ、一つひとつの経験から作られた自分への判断を、自分のすべてだと考える必要はありません。
「私はこういう人間だから」という言葉も、今までの経験を説明するための一つの見方として扱うことができます。
自己イメージに気づくと、選択肢が見えてくる
自己イメージをなくす必要はありません。
「私はこういうところがある」
と自分の傾向を知っておくことは、生活の役に立つ場合があります。
ただ、そのイメージが本当にいつでも当てはまるのか、別の可能性はないのかを見てみることはできます。
「私は人見知りだから、行かない」
と思ったとき。
本当に行きたくないのかもしれません。
あるいは、知らない人と話すことに不安があるのかもしれません。
楽しそうだと思っているけれど、失敗を予測しているのかもしれません。
そうした違いが見えると、行くか行かないかを、自分の性格という説明だけで決めなくてもよくなります。
行かないことも選べる。
行ってみることも選べる。
途中で帰ることも選べる。
どんな選択が必要かは、その場の状況によって違うでしょう。
大切なのは、自分についての判断を、変えられない絶対的な事実として扱わなくてもよいということです。
自分だと思っているものは、どこまで自分なのだろう?
「私は人見知りだ」
「私は優柔不断だ」
「私は心配性だ」
こうした言葉は、自分を説明するために便利です。
ただ、何度も使っているうちに、その説明が自分そのもののように感じられることがあります。
本当は、場面によって違う反応をしているかもしれません。
ある経験から作られた判断を使い続けているのかもしれません。
そのときの状況に合わせて行動しているだけなのかもしれません。
そとがわメソッドでは、こうした自己イメージも、人間が現実を経験する仕組みの一部として見ていきます。
「自分を変えるべきかどうか」を決める前に、そもそも何を自分だと思っているのか。
その判断が、どんな経験や意味づけによって生まれているのか。
そこを見ることによって、今まで当たり前だと思っていた自分の姿が、少し違って見えてくることがあります。
「自分はこういう人間」という感覚の仕組みを知りたい方へ
自分の性格だと思っていたこと。
変えなければいけないと思っていたこと。
どうせ変わらないと諦めていたこと。
それらの中にも、実際に起きた出来事と、そこから自分が作った判断が混ざっているかもしれません。
そとがわメソッドの無料講座では、出来事と意味づけ、予測、感情や身体の反応を分けながら、自分が経験している現実の仕組みを説明しています。
よくある質問
Q. 性格はすべて思い込みなのですか?
そうではありません。
人には比較的安定した性格傾向があり、その形成にはさまざまな要因が関係しています。
この記事では、そうした傾向そのものと、それをどのように自分について説明し、評価しているかを分けて考えています。
Q. 性格は変えられるのでしょうか?
性格に関わる傾向が人生の中で変化することはあります。ただし、変化のしやすさや程度には個人差があります。
行動の練習や環境の調整が役立つ場合もあります。
その一方で、変わらない部分があることと、自分の価値が低いことは別の話です。
Q. 「私はこういう人間」と考えない方がいいのでしょうか?
必ずしもそうではありません。
自分の傾向を知ることは、生活や人間関係で役立つ場合があります。
ただ、その説明を絶対的なものとして扱うと、新しい選択肢が見えにくくなることがあります。
Q. 自己イメージを変えれば人生も変わりますか?
自己イメージの変化によって、物事の受け取り方や行動が変わる場合はあります。
ただし、人生で起きるすべての出来事が自己イメージだけで決まるわけではありません。
周囲の環境や他人の行動、現実の条件なども関係しています。
そとがわメソッドでは、自己イメージを正しいものに置き換えることより、それがどのように成立し、今の反応にどう関わっているかを見ることを大切にしています。
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まずは無料講座から
「私はこういう人間だから」
そう思ったとき、その言葉にはどんな経験が結びついているのでしょう。
実際に起きたこと。
そこから自分が考えたこと。
未来について予測したこと。
そして、その結果として必要になった行動。
それらは、普段、一つの「私」という感覚の中にまとまっていることがあります。
そとがわメソッドでは、こうした仕組みを分けて見ていきます。
別の性格の人になるためでも、今の自分を否定するためでもありません。
自分がどのように現実を経験しているのか、その仕組みを知るための入口です。


そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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