あのとき、断ればよかった。
もっと早く気づけばよかった。
あんなことを言わなければよかった。
ちゃんと確認すればよかった。
別の選択をしていればよかった。
終わった出来事なのに、何度も思い出す。
そして思い出すたびに、
「あのときこうすれば防げたのに」
という答えが増えていく。
すると、過去の自分がどんどん間違って見えてきます。
「なんで私はそうしなかったんだろう」
「普通に考えたら分かったはずなのに」
「私の判断が間違っていた」
でも、ここで一度分けて見たいことがあります。
その「こうすればよかった」は、いつ分かったことでしょうか。
出来事が起きる前でしょうか。
それとも、
結果を知った後でしょうか。
今の自分は、もう結果を知っています。
当時の自分は、まだ知りませんでした。
この二つは同じ条件ではありません。
結果を知ったあとには「正解」が見えやすくなる
たとえば、仕事でミスをした。
あとから原因が分かった。
すると、
「ここを確認しておけばよかった」
と思います。
もちろん、次回から確認することはできます。
でも、結果が出たあとなら、
どこを確認すべきだったかは、かなり見つけやすくなっています。
実際にミスが起きた。
↓
原因が分かった。
↓
だから、
「ここを見るべきだった」
と分かる。
でも、ミスが起きる前には、まだ原因は見えていません。
今の自分は、
答えを知った状態で、過去の問題を解いています。
「今なら分かる」と「そのときも分かるはずだった」は違う
人間関係でも同じです。
あとになって、
「あの人は、あのとき嫌だったんだ」
と分かった。
すると、
「あの言葉を言わなければよかった」
と思います。
でもそのとき、
相手がどう受け取るかを、本当に分かっていたでしょうか。
その人の事情。
その日の気分。
その言葉の受け取り方。
その後どうなるか。
全部を知っていたわけではありません。
今は、その後の結果まで知っています。
だから過去の場面が、以前よりはっきり見える。
でも、
今見えているものを、当時の自分も当然見えていたことにはできません。
過去を振り返ることと、過去の自分を採点することは違う
振り返ること自体は、役に立ちます。
次回は確認しよう。
次は先に相談しよう。
同じ状況なら、今度は断ってみよう。
そうやって、経験を次へ使うことができます。
でも、そこに、
「なのに、あのとき私はできなかった」
が追加されると、
振り返りから採点へ変わることがあります。
「次はこうしよう」
ではなく、
「あのときそうしなかった私はダメだった」
になる。
すると、過去の出来事から学ぶことより、
過去の自分を裁くこと
の方が大きくなります。
当時の自分には、当時の条件があった
たとえば、頼まれごとを断れなかった。
今なら、
「断ればよかった」
と思う。
でも当時は、
断ったら嫌われると思っていた。
相手が困ると思っていた。
関係が悪くなると思っていた。
その仕事を断れる立場ではないと感じていた。
その場で答えを求められていた。
そういう条件があったかもしれません。
今の自分から見れば、
「断っても大丈夫だった」
と思える。
でも、そのときの自分にとっては、
断る方が危険に見えていた。
だとしたら、引き受けたことには、
その時点で成立していた理由があります。
「別の選択肢があった」と「その選択肢を選べた」は同じではない
あとから考えれば、他の方法はいくつも見つかります。
断ればよかった。
相談すればよかった。
黙っていればよかった。
言い返せばよかった。
逃げればよかった。
でも、
選択肢が存在していたことと、
そのときの自分が、その選択肢を現実的に選べたことは別です。
方法を知らなかった。
怖かった。
時間がなかった。
相手との関係上、難しかった。
体力がなかった。
判断する材料が足りなかった。
一瞬で反応していた。
だから、後から見つけた選択肢を、
「あのときも当然選べたはず」
にしなくても構いません。
「別の選択ならうまくいった」も、実際にはまだ起きていない
もう一つ分けられるものがあります。
「あのとき、こっちを選んでいれば」
と考えるとき、
頭の中では別の未来が作られます。
「あの会社を辞めなければ」
「あの人と付き合わなければ」
「あの話を断っていれば」
「あのとき挑戦していれば」
そして、
そちらを選んでいたら、今よりうまくいっていた
ように感じることがあります。
でも実際に起きたのは、選んだ方の未来だけです。
選ばなかった方で何が起きたのかは確認できません。
うまくいったかもしれない。
別の問題が起きたかもしれない。
それは分かりません。
つまり、
実際に起きた現在
と、
頭の中で作った「うまくいったはずの別の未来」
を比べていることがあります。
片方には、実際に起きた失敗も嫌だったことも全部入っている。
もう片方には、まだ何も起きていない。
この二つを比べれば、想像上の未来の方がよく見えることもあります。
後悔が続くと「防げたはず」が増えていく
何度も考えていると、回避ルートが増えていきます。
あのとき、一言確認していれば。
もっと早く連絡していれば。
そもそもあそこへ行かなければ。
あの人と関わらなければ。
違う仕事を選んでいれば。
考えれば考えるほど、
「防ぐ方法」が見つかる。
すると、
「こんなに方法があったのに、なぜ私はしなかったんだろう」
となります。
でも、その回避ルートの多くは、
結果を知ったあとだから作れるもの
です。
今なら、結果から逆算できます。
当時は、まだその結果がありません。
「あの時こうすれば」が、未来を守ろうとしていることもある
過去のことなのに、
なぜ何度も考えるのでしょう。
単に、自分を苦しめたいからとは限りません。
「あのとき何が悪かった?」
「何をすれば防げた?」
と考えれば、
次は同じことを避けられるかもしれない。
つまり、
過去を考えながら、実際には、
未来の安全を作ろうとしている
ことがあります。
だから、
「考えるのをやめよう」
としても、また戻ってくる。
まだ、
「次に失敗しない答え」
が十分に見つかっていないように感じるからです。
なぜ何度も「答え合わせ」をするのか
それでも何度も、
「あの時こうすれば」
と考えてしまうことがあります。
そのとき、
「考えないようにしよう」
とする前に、
なぜ今、この答え合わせが必要になっているんだろう
と見てみることもできます。
次は同じことを起こしたくないのかもしれない。
自分の判断に納得したいのかもしれない。
「自分が間違えたから起きた」
と原因を確定できた方が、
次は防げるように感じるのかもしれない。
あるいは、
「あそこで間違えなければ、今は違った」
という説明が必要なのかもしれない。
すぐに後悔をなくそうとする前に、
なぜ、この答えを探し続ける必要があるのか
を見ることができます。
「完全な正解」を探すと、過去は終わりにくくなる
過去の失敗について、
「次はこうしよう」
が一つ決まった。
それでもまだ考える。
もっと良い方法があったかもしれない。
そもそも別の判断をすべきだった。
もっと前の段階で気づくべきだった。
こうしてどんどん遡る。
すると最終的には、
「あの出来事が起きない人生」
を探すことになります。
でも、未来を完全に予測できない以上、
どこまで遡っても、
「絶対に悪いことが起きない完璧な選択」
を作ることはできません。
結果が悪かったからといって、選択まで間違いだったとは限らない
ある選択をした。
そのあと、悪い結果になった。
すると、
「選択を間違えた」
と思いやすくなります。
でも、選択はその時点の情報で行います。
結果は、自分の選択だけで決まるとは限りません。
相手の選択。
環境。
偶然。
その後に起きたこと。
いろいろなものが関わります。
当時の情報では、十分に妥当な選択だった。
それでも、結果が悪くなることはあります。
だから、
悪い結果が出たことと、その選択が当時から明らかに間違いだったことは同じではありません。
「うまくいかなかった=間違った判断」
とは限りません。
たとえば、仕事でミスをしたとき
資料を提出したあと、数字の間違いが見つかった。
注意された。
あとから見ると、
一箇所確認すれば間違いに気づけた。
すると、
「なんで確認しなかったんだろう」
と思います。
でも、その時点では、
その数字が間違っていると疑っていなかったかもしれません。
時間もなかった。
別の確認に意識が向いていた。
同じ形式で今まで問題がなかった。
そういう条件もあったかもしれません。
次回、そこを確認する。
それはできます。
でも、
「今は分かる確認点」を「あのとき確認しなかった自分の欠陥」にする必要はありません。
今わかったことは、次へ使える情報です。
過去は変えられなくても、今ある情報は使える
今だから分かったことがあります。
それは、
今の自分が持っている情報
です。
「あのとき知っていれば」
と思うことを、
今は知っています。
だから、その情報はこれから使えます。
「私はこういう状況ではこう判断しやすい」
「次はここを確認したい」
「この情報がない状態では決めないようにしよう」
「こういう言い方をすると伝わりにくいのかもしれない」
と、現在の判断材料にすることができます。
次に使える情報を得ることと、過去の自分を有罪にすることは別です。
過去の自分を責め続けなくても、経験を次へ持っていくことはできます。
「あの時こうすればよかった」が出てきたら
また過去を思い出して、
「あの時こうすればよかった」
と思ったとき。
すぐに、
「また考えてる。いい加減やめなきゃ」
と、その反応まで責めなくても構いません。
少しだけ分けてみます。
その正解を、私はいつ知ったんだろう。
当時から知っていたのか。
結果が出てから分かったのか。
今だから見える選択肢なのか。
そして、
当時の自分には、実際には何が見えていたんだろう。
何を知っていた?
何を知らなかった?
何を怖いと思っていた?
どんな条件の中で判断した?
今作っている「別の未来」は、本当に起きたこと?
ここまで分けるだけでも、
「あの時こうすればよかった」
という一つの言葉の中に、
いくつものものが混ざっていたことが見えてきます。
まとめ
「あの時こうすればよかった」
という答えが見つかったとき、
その答えは、
結果を知る前から持っていたものなのか。
それとも、
結果を知った今だから作れるものなのか。
ここは同じではありません。
今の自分は、過去の自分より先のページまで読んでいます。
だから、
「ここでこうすればよかった」
が見える。
その情報をこれから使うことはできます。
でも、
未来を知らなかった過去の自分に、未来を知っている現在の正解を使って点数をつけ続けなくてもいい。
過去を振り返るときにも、
実際に起きたこと。
当時分かっていたこと。
あとから分かったこと。
今作っている別の未来。
そこから起きている反応。
そして、自分への評価。
それぞれを分けて見ることができます。
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→ 何をしても文句を言われるのはなぜ?「何を直せばいい?」となったときに見ること
もう少し、自分の中で起きていることを見てみたい方へ
「あの時こうすればよかった」
と何度も考えてしまう。
そんなときは、
後悔を無理に止める前に、
今の自分が何を使って、過去の自分を採点しているのか
を分けて見ることもできます。
そとがわメソッドの無料講座では、
実際に起きた出来事。
そこについた意味。
反応。
その反応に対してさらに起きること。
そして、
なぜ何度も答え合わせすることが必要になっているのか
を順番に見ていきます。
過去を「正しかったこと」にするためではありません。
本当に次に使えることがあるなら、使っていい。
改善できることがあるなら、改善していい。
でも、
次に使える情報を得ることと、過去の自分を責め続けることは同じではありません。
今まで一つに見えていたものを、一度分けて見てみませんか。

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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