相手の機嫌が悪い。
「私、何かしたかな」
仕事で問題が起きた。
「私の確認が足りなかったのかも」
連絡が返ってこない。
「嫌なことを言った?」
誰かが困っている。
「私がもっと気づけばよかった」
何か嫌なことが起きると、
最初に自分を振り返る。
自分にできることを考える。
それ自体は、
悪いことではありません。
実際に、
自分が関わっていることもあります。
でも、
まだ何が原因だったのか分からない段階で、
いつも、
「私のせいかもしれない」
ではなく、
いつの間にか、
「私のせいだった」
になっていないでしょうか。
悪い結果が起きたことと、
自分がその結果の原因だったことは、
同じではありません。
「何か起きた」から「私が悪い」までが早い
たとえば、
職場で誰かが不機嫌だった。
確認できる出来事は、
「相手が不機嫌そうだった」
です。
でも、
その直後に、
「私が何かした?」
と思う。
昨日の会話を思い出す。
自分の仕事を確認する。
言い方が悪かったかもしれない。
気が利かなかったかもしれない。
何か忘れたかもしれない。
そうしているうちに、
最初は、
「私のせいかな?」
だったものが、
「やっぱり私が何かしたんだ」
に変わることがあります。
でも、
その間に、
新しい事実が増えたとは限りません。
増えたのは、
自分の中で考えた可能性です。
悪い結果があると、「原因」を探したくなる
問題が起きたとき、
原因を考えること自体は自然です。
原因が分かれば、
次に同じことを避けられるかもしれない。
対処もできる。
だから、
何が原因だったのかを考える。
でも、
原因がすぐには分からないこともあります。
相手の機嫌が悪い。
返信が来ない。
仕事が予定どおり進まなかった。
人間関係が少しぎくしゃくした。
こうした出来事には、
いろいろな要素が関わっています。
それでも、
原因が分からない状態が落ち着かないと、
一番確認しやすいところに、
原因を置くことがあります。
それが、
自分です。
自分は一番調べやすい
相手が何を考えているかは、
分かりません。
環境の影響も、
全部は分かりません。
偶然だったのかもしれない。
複数のことが重なったのかもしれない。
でも、
自分についてなら、
考えられます。
あの言い方が悪かった?
もっと早く動けばよかった?
気づくべきだった?
ちゃんと確認した?
だから、
自分の中から原因を探す方が、
簡単なことがあります。
すると、
「原因が分からない」
という状態より、
「私が悪かった」
と決めた方が、
一旦話がまとまります。
でも、
話がまとまったことと、本当に原因が分かったことは別です。
「自分に改善点がある」と「自分が原因」は同じではない
ここは、
かなり混ざりやすいところです。
たとえば、
仕事でトラブルが起きた。
振り返ると、
自分にも確認不足があった。
なら、
次回は確認方法を変えることができます。
でも、
自分に改善できるところが見つかったからといって、
今回の結果すべてが、
自分のせいだったとは限りません。
説明が曖昧だった。
作業時間が足りなかった。
ほかの人の判断も関係していた。
システム上の問題があった。
途中で条件が変わった。
複数の要素が、
同時に関係していることもあります。
自分が一部に関わったことと、自分だけが原因だったことを分ける。
それだけでも、
見え方は変わります。
相手が不機嫌だからといって、自分が原因とは限らない
相手の表情が暗い。
返事が短い。
声のトーンが冷たい。
すると、
「私が何かした」
と思うことがあります。
もちろん、
自分との出来事が関係している場合もあります。
でも、
それ以外にも、
相手には相手の事情があります。
仕事で別の問題があった。
体調が悪い。
寝不足。
家で何かあった。
別の人に腹を立てている。
ただ考え事をしている。
もともとそういう話し方をする。
可能性はいくつもあります。
だから、
「相手が不機嫌」
という出来事から、
すぐ、
「私が原因」
まで確定することはできません。
「私が悪かったことにすれば、次は防げる」が成立することもある
自分を原因にすると、
苦しい。
でも、
その一方で、
自分が原因なら、
自分を変えることができます。
もっと気をつける。
もっと相手を見る。
もっと確認する。
もっと優しくする。
もっと早く動く。
そうすれば、
次は問題が起きないかもしれない。
つまり、
「私が悪い」
は、
ただ自分を傷つける考えだけではなく、
次は自分が頑張れば防げる
という見通しにつながることがあります。
だから、
簡単に手放せない場合もあります。
ただし、
ここでも、
本当に自分だけで防げることなのかは別です。
自分を責めることで、原因が確定した感じになる
原因が分からない。
相手の考えも分からない。
次にどうなるかも分からない。
この状態は、
落ち着かないことがあります。
でも、
「私が悪かった」
と決めれば、
一つの答えになります。
私の言い方が悪かった。
私の配慮不足。
私がもっとちゃんとすればよかった。
答えが出る。
すると、
不確かなままより、
少し扱いやすく感じることがあります。
もちろん、
苦しい答えです。
それでも、
分からないままより、自分を原因にしてでも答えを出した方が落ち着く
ということはあり得ます。
だから「自分を責めないようにしよう」だけでは終わらないことがある
何でも自分のせいにするのをやめたい。
そう思って、
「私のせいじゃない」
と考える。
でも、
また何か起きると、
「いや、やっぱり私にも原因があったんじゃない?」
と戻る。
それは、
単にネガティブ思考だからとは限りません。
自分を原因に置くことで、
原因が分かったことになる。
次に改善できる。
問題を予測できる。
関係が悪くなるのを防げる。
そんなものが成立しているなら、
「考えないようにしよう」
だけでは、
戻りやすくなります。
ここまで読んで、
「私は自分を責めたいというより、原因を自分に置くことで何とかしようとしていたのかもしれない」
と思った方は、無料講座0時間目から見てみてください。
「私が悪い」を無理にやめるのではなく、そこまでの間に何が起きているのかを見るための入口です。
一つの出来事を、結果から逆向きに見ていないか
たとえば、
友人から返信が来なくなった。
そのあと、
「あのとき余計なことを言ったからだ」
と思った。
でも、
考えてみると、
友人が返信しなくなった理由は、
まだ確認できていません。
実際には、
忙しいのかもしれない。
返信を忘れているのかもしれない。
少し距離を置きたいのかもしれない。
自分の発言が関係しているのかもしれない。
まだ分からない。
ところが、
結果を知ったあとだと、
過去の自分の行動が、
原因に見えやすくなります。
返信がない。
↓
何か原因があるはず。
↓
あの発言だったに違いない。
↓
私が悪かった。
でも、
これは一つの説明です。
事実として確定した因果関係とは限りません。
「結果が悪い=その前の自分の選択が間違い」でもない
選択したあと、
望ましくない結果になった。
すると、
「別の選択をしていればよかった」
と思います。
でも、
選んだ時点では、
その後の結果をすべて知っていたわけではありません。
そのとき持っていた情報。
そのときの体力。
相手との関係。
選べた選択肢。
いろいろな条件の中で、
その行動を選んでいます。
結果を知った今なら、
別の方法が思いつく。
それはあります。
でも、
今思いつく正解を、過去の自分が当然選べたことにはできません。
「もっとできたはず」は、本当にその場で可能だった?
問題が起きると、
あとから、
もっと確認すればよかった。
もっと早く気づけばよかった。
もっと上手に言えばよかった。
もっと相手を見ればよかった。
と考えます。
でも、
そのとき、
本当にそれができたでしょうか。
必要な情報を持っていた?
時間はあった?
相手の意図は分かっていた?
その結果を予測できていた?
選択肢を知っていた?
後からなら見えることが、
その場では見えなかったこともあります。
だから、
「今なら分かる」
と、
「当時も分かるはずだった」
は分けられます。
自分の責任をゼロにする話ではありません
ここまで読むと、
「じゃあ全部、自分のせいじゃないことにするの?」
と思うかもしれません。
そういう話ではありません。
自分が約束を忘れた。
確認を怠った。
傷つける言葉を言った。
自分の判断が結果に関わった。
そういうこともあります。
その場合は、
自分が関わった部分を見ることができます。
謝る。
修正する。
次回の対応を変える。
ただ、
必要なのは、
自分が関わった範囲を見ることであって、起きた結果全部を自分の責任にすることではありません。
「誰が悪い?」より、「何が関わった?」を見る
問題が起きたとき、
自分が悪いのか。
相手が悪いのか。
どちらかを決めようとすることがあります。
でも、
現実には、
一つの原因だけで起きていないことも多くあります。
自分の判断。
相手の判断。
情報不足。
役割分担。
時間。
環境。
偶然。
そのときの体調。
いろいろなものが、
結果に影響することがあります。
だから、
「誰が悪い?」
より、
「この結果に、何が関わっていた?」
と見ることもできます。
自分も一つの変数。
相手も一つの変数。
環境も一つの変数。
その中で、
自分が扱える部分を確認する。
それなら、
自分の責任を放棄することにも、
全部背負うことにもなりません。
自分の行動と、相手の反応も分けられる
自分が断った。
相手が不機嫌になった。
すると、
「私が断ったから相手を怒らせた」
と思うことがあります。
時間の順番としては、
断ったあとに不機嫌になった。
でも、
だからといって、
相手の反応すべてが、
自分の責任になるとは限りません。
相手が、
断られて残念に思うこともあります。
怒ることもある。
納得することもある。
別の提案をすることもある。
自分の行動は、
相手の反応に影響するかもしれません。
でも、
相手がどう反応するかには、相手側の条件もあります。
「私のせいかも」が出ること自体を責めなくていい
ここまで理解しても、
何か起きた瞬間、
「私のせい?」
と思うことはあるかもしれません。
そこで、
「また自分のせいにしてる」
「これをやめなきゃ」
と、
さらに自分を責めると、
また自分責めが増えます。
だから、
出てきたこと自体を、
新しい問題にしなくても構いません。
「あ、今、結果を見て自分に原因を置こうとしている」
と見る。
そのうえで、
本当にそうなのかを確認する。
それで十分です。
今日見るなら、「私が実際に関わった部分はどこまで?」
何か嫌なことが起きて、
「私のせいだ」
と思ったとき。
すぐに、
自分をかばう必要も、
自分を責める必要もありません。
一つだけ、
こう見てみてください。
「この結果について、私が実際に関わった部分はどこまで?」
自分がしたこと。
しなかったこと。
自分では決められなかったこと。
相手が決めたこと。
環境によること。
まだ分からないこと。
それを分けます。
すると、
「全部私のせい」
でも、
「私は何も悪くない」
でもないところが、
見えてくることがあります。
何でも自分のせいにしてしまうなら、結果から原因を決める前に
何かがうまくいかなかった。
相手が不機嫌だった。
仕事で問題が起きた。
関係が変わった。
その結果を見て、
「私が悪かった」
と思う。
でも、
結果が起きたことと、
自分が原因だったことは、
同じではありません。
まず、
何が起きたのか。
自分はそれをどう受け取ったのか。
なぜ、
自分に原因があると思ったのか。
実際に自分が関わった範囲はどこなのか。
相手や環境には、
どんな変数があったのか。
まだ分からないことは何なのか。
そこを分けます。
そとがわメソッドでは、
「自分を責めないようにする」より先に、
なぜこの出来事から「私が悪い」という結論が必要になったのかを見ていきます。
無料講座0時間目「分かっているのに、やめられない理由」では、
何かが起きるたびに、
どうして同じ結論や反応へ戻るのかを、
実際の出来事から分けて見ていきます。
自分を無理に肯定するためではなく、自分がどこまで関わり、どこから先は自分だけでは決められないのかを見るための入口としてご覧ください。
よくある質問
自分に原因がある可能性もありますよね?
あります。
この記事は、
「何でも自分のせいではない」と決めるためのものではありません。
実際に自分が関わった部分を確認したうえで、
必要な修正や対応を考えます。
自分のせいだと思わないと、責任逃れになりませんか?
責任を持つことと、
結果のすべてを自分の原因にすることは同じではありません。
自分が選べたこと、
自分が関わったことについて対応することはできます。
相手に確認できないときは、どうすればいいですか?
分からないものは、
分からないまま残ることがあります。
「確認できない=自分が原因」
とは限りません。
分かっていることと、
推測していることを分けておくことができます。
自分を責めた方が、次に同じことをしなくなる気がします
反省や改善が役立つことはあります。
ただ、
自分を責めることと、
具体的な改善点を見つけることは同じではありません。
「次回何を変えるか」が具体的なら、
自分全体を悪いものにしなくても改善はできます。
関連記事
特定の出来事だけでなく、いろいろな場面で最終的に「自分が悪い」に戻ってしまう場合はこちら。
相手が不機嫌になると、自分が何とかしなければならない問題のように感じる場合はこちら。
自分についてかなり理解しているのに、問題が起きるたびにまた自分の改善点を探してしまう場合はこちら。
実際には悪いことをしていないのに罪悪感が出るとき
何か問題を起こしたわけではないのに、「自分が悪い気がする」「申し訳ない」と感じてしまう場合はこちら。
もう少し、自分の中で起きていることを見てみたい方へ
相手が不機嫌だった。
仕事で問題が起きた。
関係がうまくいかなかった。
そんなとき、
「私のせいかもしれない」
「もっとちゃんとすればよかった」
と、すぐ自分に原因を戻してしまうことがあります。
そんなときは、
自分を責める前に、
悪い結果が起きたことと、
自分がその原因だったことを分けて見る
こともできます。
そとがわメソッドの無料講座では、
実際に起きた出来事。
そこについた意味や予測。
反応。
そのあとに起きた自分責めや行動。
そして、
なぜ「自分が悪い」という結論が必要になっているのか
を順番に見ていきます。
自分の責任をなくすためではありません。
必要な改善があれば、普通に改善できます。
でも、
結果に関わったすべてを、自分一人の問題にする必要があるとは限りません。
「誰が悪い?」ではなく、
「何が関わっていた?」から見てみませんか。

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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