断っただけなのに、
申し訳ない気がする。
休んだだけなのに、
サボったような気がする。
自分の都合を優先しただけなのに、
わがままを言ったような気がする。
誰かを助けなかっただけで、
冷たい人間になったような気がする。
頭では、
「別に悪いことをしたわけじゃない」
と分かっている。
それでも、
なんとなく胸に引っかかる。
「本当にこれでよかったのかな」
「相手は嫌な気持ちになってないかな」
「私が我慢すればよかったかな」
そして、
断ったはずなのに引き受ける。
休むはずだったのに仕事をする。
必要以上に謝る。
埋め合わせをする。
相手の機嫌を確認する。
悪いことをしていないはずなのに、なぜか「私が悪い」という感じだけが残る。
そんなことはないでしょうか。
罪悪感があることと、本当に悪いことをしたことは同じではない
最初に、
分けておきたいことがあります。
実際に、
誰かを傷つけることもあります。
約束を破ることもあります。
自分の行動を振り返って、
謝ったり、
修正したりした方がいいこともあります。
この記事は、
「罪悪感なんて感じなくていい」
という話ではありません。
一方で、
何か悪いことをしたからではなく、
自分の希望を伝えただけで罪悪感が出ることもあります。
たとえば、
「今日は疲れているから行かない」
と断った。
それだけなのに、
「悪かったかな」
となる。
ここでは、
断ったことと、
罪悪感が出たことを、
一度分けて見ることができます。
「断った」と「悪いことをした」は同じではない
友人から、
「今日会わない?」
と誘われた。
疲れていたので、
「今日はやめておくね」
と答えた。
起きた出来事だけを見るなら、
誘われて、断った。
です。
でも、
その直後に、
「せっかく誘ってくれたのに」
「嫌な気持ちにさせたかな」
「付き合い悪いと思われるかも」
「断らなければよかったかな」
となる。
そして、
胸が重くなる。
ここでは、
「断った」という出来事に、
いろいろなものがついています。
罪悪感が出るまでに、何が起きている?
罪悪感は、
突然どこからともなく現れているように感じることがあります。
でも、
少し細かく見てみます。
誘われた。
↓
断った。
↓
「相手をがっかりさせたかもしれない」
↓
「相手をがっかりさせるのはよくない」
↓
「そんなことをした私は悪い」
↓
申し訳ない。
こうして見ると、
出来事と罪悪感の間にも、いくつかのものがある
ことが分かります。
そとがわメソッドでは、
出来事と、
その出来事についた「いろづけ」、
そこから起きる反応を、
分けて見ます。
罪悪感が出ると、何かしたくなる
「悪かったかな」
と思うと、
そのままにしておくのが難しくなることがあります。
「やっぱり行けるよ」
と予定を変える。
必要以上に謝る。
別の日に埋め合わせをする。
相手の機嫌を取る。
本当はやりたくないことまで引き受ける。
自分の希望を引っ込める。
すると、
少し安心する。
相手が、
「全然気にしてないよ」
と言ってくれれば、
さらに安心する。
ここで大切なのは、
罪悪感が出たあとにする行動にも、役割がある
ということです。
謝ることで安心できるなら、謝ることには役割がある
必要以上に謝ってしまう。
頼まれると断れない。
相手に合わせてしまう。
それを見て、
「また他人軸になっている」
「もっと自分を大切にしなきゃ」
と思うこともあります。
でも、
なぜその行動をするのでしょう。
謝ったら、
相手が怒らないかもしれない。
引き受けたら、
嫌われないかもしれない。
相手に合わせたら、
関係が悪くならないかもしれない。
そうだとすれば、
その行動は、
ただの「悪い癖」ではありません。
自分にとって避けたい何かを避けるために必要だった
と見ることもできます。
「罪悪感をなくそう」とすると、罪悪感がさらに気になることもある
罪悪感について調べると、
「自分を許しましょう」
「自分を責めるのをやめましょう」
「自分を大切にしましょう」
「罪悪感を手放しましょう」
という言葉に出会うことがあります。
それによって、
楽になることもあるでしょう。
でも、
知ったあとも罪悪感が出ると、
今度は、
「まだ自分を許せていない」
「また自分を責めている」
「まだ罪悪感を手放せていない」
となることがあります。
最初は、
「断って悪かったかな」
だった。
そこに、
「罪悪感を持ってしまう自分も変えなきゃ」
が加わる。
すると、
苦しさが一つ増えることがあります。
「自分を優先していい」と分かっていても罪悪感は出る
自分を大切にする。
無理なことは断る。
疲れたら休む。
自分の気持ちを優先する。
頭では、
全部分かっている。
それでも、
実際に自分を優先すると、
罪悪感が出る。
だから、
「まだ自分軸で生きられていない」
と思うことがあります。
でも、
自分を優先したことと、
そのあと罪悪感が出たことは、
別々に見ることができます。
罪悪感が出たからといって、
自分を大切にすることに失敗したことまで確定するわけではありません。
→ 自分軸で生きたいのに苦しくなるのはなぜ?「これって他人軸?」と自分をチェックしてしまう人へ
休むと罪悪感が出ることもある
今日は何もしない。
家で休む。
仕事を早めに切り上げる。
それだけなのに、
「みんな働いているのに」
「こんなことしていていいのかな」
「時間を無駄にしている」
「もっとやれるはずなのに」
となる。
すると、
休んでいるのに、
頭の中では休めない。
結局、
何か作業を始める。
すると、
少し安心する。
この場合も、
単純に、
「休めない性格」
で終わらせず、
休んだとき、自分の中で何が起きているのか
を見ることができます。
→ 休んでいいと分かっているのに休めない|何もしないと罪悪感が出るのはなぜ?
断ると罪悪感が出ることもある
頼みごとをされた。
本当は、
やりたくない。
時間もない。
それでも、
断ったら相手が困ると思う。
冷たいと思われるかもしれない。
嫌われるかもしれない。
だから、
「いいよ」
と言う。
あとから、
「また断れなかった」
と思う。
でも、
断れなかったことだけを見るのではなく、
断ったら何が起きると思ったのか
まで見ると、
違うものが見えることがあります。
誰かを助けないと罪悪感が出ることもある
相手が困っている。
悩んでいる。
機嫌が悪い。
大変そうにしている。
すると、
「私が何とかしなきゃ」
となる。
でも、
自分にも余裕がない。
だから、
今回は手を出さないことにした。
すると、
「冷たかったかな」
「助けられたのに」
「放っておいてよかったのかな」
と気になる。
そこでまた助ける。
相手が楽になる。
自分も安心する。
こうした場合、
相手の問題を背負っていることだけではなく、
背負わなかったとき、自分に何が起きるのか
を見ることもできます。
→ 人の問題だと分かっているのに背負ってしまう|「私が何とかしなきゃ」になるのはなぜ?
罪悪感の中身は、人によって同じとは限らない
同じ、
「申し訳ない」
でも、
その中身は違うことがあります。
断ったら、
嫌われると思う。
休んだら、
怠け者になると思う。
自分を優先したら、
わがままだと思う。
助けなかったら、
冷たい人間だと思う。
怒ったら、
悪い人になると思う。
楽しんだら、
苦労している人に申し訳ないと思う。
だから、
「罪悪感があります」
という言葉だけでは、
まだ全部は分かりません。
何をしたときに罪悪感が出て、その出来事に何がついたのか。
そこを見ることができます。
「罪悪感がある=私が悪い」とは限らない
罪悪感があると、
「こんなに申し訳なく感じるんだから、やっぱり私が悪いのかも」
と思うことがあります。
でも、
ここも分けられます。
罪悪感が出た。
これは、
自分の中で起きた反応です。
本当に自分に非があったかどうかは、
出来事を見て確認することができます。
つまり、
罪悪感の強さと、自分の責任の大きさは、同じものとして扱わなくてもいい。
悪かったなら、
謝ることもできる。
修正することもできる。
でも、
罪悪感が出たという理由だけで、
自動的に、
「私が悪い」
まで決めなくてもいい。
罪悪感を消すことだけを目的にしなくてもいい
そとがわメソッドでは、
罪悪感を感じたとき、
すぐに、
「どうすれば消せる?」
とは考えません。
何が起きた?
その出来事に、
何がついた?
何が起きると思った?
どんな反応が出た?
そのあと、
何をしたくなった?
そして、
なぜ、その行動が必要だった?
と見ていきます。
罪悪感があることを、
新しい問題にしなくても、
そこから見ることができます。
「罪悪感を持たない自分」を目指す話でもない
ここも、
大切なところです。
罪悪感が出ない人になる。
何をしても気にしない人になる。
自分だけを優先する。
そういう話ではありません。
誰かを傷つけたと思えば、
気になることもあります。
自分の行動を振り返ることもできます。
謝ることもできます。
大切なのは、
罪悪感があるか、
ないかではなく、
今、自分の中で何が起きているのかを見ること。
そこが見えると、
謝る。
断る。
引き受ける。
休む。
助ける。
助けない。
話し合う。
そのときの自分が、
行動を選べる余地ができます。
「どうすれば罪悪感をなくせる?」から「なぜ私は悪いことになった?」へ
悪いことをした覚えはない。
それでも、
罪悪感がある。
そんなとき、
「どうすれば罪悪感をなくせる?」
と考えることもできます。
でも、
何度対処しても、
別の場面で同じ罪悪感が出るなら、
問いを少し変えることもできます。
「どうすれば罪悪感をなくせる?」
ではなく、
「この出来事は、どこで『私が悪い』になった?」
と見る。
すると、
ひとまとまりだった罪悪感の中に、
出来事と、
いろづけと、
反応と、
そのあとに必要になった行動が、
少しずつ見えてきます。
もう少し、自分の中で起きていることを見てみたい方へ
断った。
休んだ。
自分を優先した。
起きたことだけを見れば、必ずしも「悪いことをした」とは限りません。
それでも罪悪感が出て、謝りたくなったり、埋め合わせたくなったり、決めたことを元に戻したくなったりすることがあります。
そんなとき、
「罪悪感をなくすにはどうすればいい?」
と考える前に、
実際に何が起きて、そこに何が加わり、なぜ罪悪感やそのあとの行動が必要になったのか
を分けて見ることができます。
そとがわメソッドの無料講座では、出来事と、その出来事についた「いろづけ」、そこから起きる反応を順番に分けて見ていきます。
罪悪感をなくすための正解を覚えるのではなく、自分の場合に何が起きているのかを見るための入口です。
よくある質問
罪悪感は悪い感情なのですか?
この記事では、罪悪感そのものを悪い感情とは決めません。
罪悪感があることで、自分の行動を振り返ることもあります。
一方で、悪いことをしたわけではないのに、罪悪感が起きることもあります。
まずは、何が起きて罪悪感が出たのかを分けて見ることができます。
罪悪感があるなら、やっぱり自分が悪いのでしょうか?
罪悪感が出たことと、実際に自分に非があることは、分けて確認できます。
自分に非があったなら、必要に応じて謝ったり、修正したりできます。
罪悪感が出たということだけで、「自分が悪い」と決める必要はありません。
罪悪感を手放した方がいいのでしょうか?
手放すことで楽になるなら、その考え方を使うこともできます。
ただ、
「まだ罪悪感がある」
↓
「まだ手放せていない」
↓
「もっと手放さなきゃ」
となって苦しくなる場合は、手放せているかどうかを確認する前に、今何が起きているのかを見ることもできます。
自分を優先すると罪悪感が出ます。どうしたらいいですか?
まず、
「自分を優先した」
という出来事と、そのあとに出た罪悪感を分けて見ることができます。
そこから、自分を優先すると何が起きると思ったのか。
なぜ罪悪感のあとに謝ったり、元に戻したりする必要があるのか。
そこまで見ていくと、「自分を優先したから罪悪感が出た」というひとまとまりだったものを、もう少し細かく見ることができます。
関連記事
→ 休んでいいと分かっているのに休めない|何もしないと罪悪感が出るのはなぜ?
休むことそのものより、何もしない自分に罪悪感が出て、何かをしていないと落ち着かなくなる場合はこちら。
断りたい気持ちはあるのに、断ったあとの相手の反応や罪悪感が気になって、つい引き受けてしまう場合はこちら。
→ 自分軸で生きたいのに苦しくなるのはなぜ?「これって他人軸?」と自分をチェックしてしまう人へ
自分を優先しようとしても、「これは自分軸?」「また他人軸になってない?」と、自分の状態を採点することが増えている場合はこちら。
罪悪感をなくす前に、何が起きているのかを見る
罪悪感が出ない自分にならなくても、
罪悪感が出たときに、
「私は悪いことをした」
までを一つの出来事にしなくても構いません。
何が起きたのか。
そこに何が加わったのか。
何が起きると思ったのか。
なぜ謝る、我慢する、元に戻すといった行動が必要になったのか。
そこを分けて見られると、罪悪感があるかないかだけで自分を判断する必要が少しずつなくなります。
無料講座では、その分け方を0時間目から順番に扱っています。

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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