相手が怒った。
自分にも、
もっと違う言い方ができたかもしれない。
仕事で問題が起きた。
もっと早く確認できたかもしれない。
関係が悪くなった。
もう少し自分が歩み寄ればよかったかもしれない。
考え始めると、
自分にできたことは、
いくらでも見つかります。
だから、
だんだん分からなくなる。
結局、どこまでが私の責任なんだろう。
自分にできることがあったなら、
やっぱり自分の責任?
相手が困ったなら、
そこまで考えるべきだった?
もっと気づけたなら、
気づかなかった自分が悪い?
でも、
ここで一つ分けたいことがあります。
自分にできることがあることと、
そこまで自分が責任を持つことは、同じではありません。
「もっとできたこと」は、ほぼいつでも見つかる
何か問題が起きたあとなら、
別の行動はいくらでも考えられます。
もっと早く。
もっと丁寧に。
もっと確認して。
もっと相手を見て。
もっと分かりやすく。
もっと慎重に。
だから、
「もっとできたことがあったか」
だけで責任を決めると、
ほとんどすべての出来事で、
自分の責任を増やせます。
でも、
それでは、
責任の範囲に終わりがありません。
自分が影響できたことと、自分が決めたことは違う
たとえば、
自分が断った。
相手が不機嫌になった。
自分の断り方は、
相手の反応に影響したかもしれません。
でも、
相手がどう受け取り、
どんな態度を取るかは、
相手側にも残っています。
自分の行動が影響した。
だから、
相手の反応まで自分の責任。
とは限りません。
影響できることと、結果を決められることは別です。
「私がこうすれば変わったかも」は、責任の証明ではない
あとからなら、
こう考えられます。
もっと丁寧に伝えれば、
怒られなかったかもしれない。
早く確認していれば、
トラブルは防げたかもしれない。
もっと話を聞けば、
関係は悪くならなかったかもしれない。
確かに、
結果が変わった可能性はあります。
でも、
それは、
別の行動なら別の結果になったかもしれない
という予測です。
「変えられた可能性がある」
から、
「自分が責任を持つべきだった」
までには、
まだ一段あります。
相手が困っていると、自分の仕事が増えることがある
相手が困っている。
すると、
「助けた方がいいかな」
と思う。
相手が不機嫌。
「何とかした方がいい?」
場の空気が悪い。
「私が話した方がいい?」
誰かが仕事に遅れている。
「手伝わなきゃ」
こうして、
相手の状態を見るたび、
自分の仕事が増えることがあります。
もちろん、
助けたいなら助けることもできます。
でも、
相手が困っていることと、自分が解決しなければならないことは同じではありません。
「自分がやらなかったらどうなる?」が隠れていることがある
なぜ、
そこまで自分が引き受けるのでしょう。
たとえば、
自分が手伝わなかったら、
相手が困る。
嫌われる。
冷たい人だと思われる。
仕事が回らない。
誰かが怒る。
空気が悪くなる。
自分が責められる。
そういうことが予測されていたら、
引き受ける方が自然になります。
つまり、
「責任感が強いから」
だけではなく、
引き受けない場合に起きると思っていること
が関係していることがあります。
「責任を持たない=無責任」になっていないか
責任を分けようとすると、
こんな不安が出ることがあります。
そんな考え方をしたら、
無責任にならない?
人のせいにすることにならない?
自分に甘くならない?
だから、
全部自分で考えた方が安全。
でも、
責任を分けることと、
責任を放棄することは違います。
自分がしたこと。
自分が約束したこと。
自分が担当していること。
自分が選んだこと。
そこは、
見ることができます。
そのうえで、
相手がどうするか。
相手がどう感じるか。
環境で何が起きるか。
そこまで、
自分の責任に含める必要があるかを分けます。
自分の責任をゼロか100かで考えなくてもいい
問題が起きると、
「私のせい」
か、
「相手のせい」
か。
どちらかを決めたくなることがあります。
でも、
現実には、
複数のものが関わっています。
自分の判断。
相手の判断。
役割分担。
情報不足。
時間。
環境。
偶然。
だから、
「全部自分の責任」
でも、
「全部相手の責任」
でもないことがあります。
仕事では、「役割としての責任」と「結果全体」を分ける
たとえば、
自分が担当している仕事でミスがあった。
担当者として、
修正する。
報告する。
次の対応をする。
そこには、
役割としての責任があります。
でも、
そのミスによって、
上司がどれだけ怒るか。
同僚がどう評価するか。
会社全体に何が起きるか。
そこには、
自分以外の変数もあります。
自分の担当部分に対応することと、
起きた結果すべてを背負うことは、
別です。
相手の感情まで責任に含めると、範囲が広がり続ける
「相手を傷つけたくない」
と思う。
それは自然です。
でも、
どこまで行けば、
相手を傷つけないと言えるでしょう。
断ったら、
残念がるかもしれない。
意見を言ったら、
嫌な気持ちになるかもしれない。
距離を取ったら、
寂しいと思うかもしれない。
自分の希望と、
相手の希望が違えば、
誰かが残念に感じることがあります。
相手が嫌な気持ちになったことを、
すべて自分の責任にすると、
自分の選択肢はどんどん減ります。
「相手が嫌な気持ちになった」と「自分が悪い」は別
相手が傷ついた。
そのことは、
相手にとって事実かもしれません。
でも、
そこから、
「だから私が悪い」
まで自動的に決まるとは限りません。
自分が意図的に傷つけた。
約束を破った。
失礼な言い方をした。
そういう場合は、
自分の行動を見ることができます。
一方で、
必要なことを伝えただけでも、
相手が傷つくことはあります。
断っただけでも、
残念に思うことはある。
感情が生まれたことと、
責任がどこにあるかは、
分けて考えられます。
相手が選んだ行動まで、自分の責任にしない
自分が断った。
相手が怒鳴った。
自分が意見を言った。
相手が無視した。
自分が距離を取った。
相手が悪口を言った。
このとき、
「私があんなことをしたから」
と思うことがあります。
確かに、
自分の行動がきっかけになった可能性はあります。
でも、
そのあと、
怒鳴る。
無視する。
悪口を言う。
という行動を選んだのは、
相手です。
きっかけと、その人が選んだ行動は分けられます。
自分が予測できなかったことまで、責任にしなくてもいい
「考えれば分かったはず」
と思うことがあります。
でも、
実際には、
その結果を予測できなかった。
情報がなかった。
経験もなかった。
相手がどう反応するか分からなかった。
そういうこともあります。
あとからなら、
「こうなるかもしれない」と分かる。
でも、
今知っていることを使って、
「当時も分かるべきだった」
にしなくても構いません。
責任を広く持つことが、安心につながる場合もある
全部自分で考える。
全部自分で確認する。
全部自分で調整する。
大変です。
でも、
その方が安心することがあります。
なぜなら、
自分が責任を持てば、
自分が変えればいいからです。
相手次第。
環境次第。
どうなるか分からない。
よりも、
「私がちゃんとすればいい」
の方が、
扱いやすいことがあります。
だから、
責任を背負いすぎることは、
単なる癖ではなく、
不確実なものを自分で管理できる形にする
という働きをしている場合があります。
ここまで読んで、
「私は責任感が強いというより、自分が引き受ければ何とかできると思っていたのかもしれない」
と感じた方は、無料講座0時間目から見てみてください。
責任を持たない人になるためではなく、なぜそこまで自分が引き受ける必要があるのかを見るための入口です。
「できること」と「やる義務があること」は違う
自分なら、
手伝える。
説明できる。
謝れる。
調整できる。
我慢できる。
でも、
できることと、
やらなければならないことは、
同じではありません。
できるからやる。
選んでやる。
それもあります。
でも、
「できるんだから私がやるべき」
になると、
できることすべてが、
責任になっていきます。
「気づいた人がやるべき」も、責任を広げることがある
自分だけ、
問題に気づいた。
だから、
自分が何とかしなきゃ。
そう感じることがあります。
でも、
気づいたことと、
自分の担当であることは別です。
知らせる。
確認する。
必要な人へ渡す。
そこまででいいこともあります。
気づいた人が、
最後まで全部処理しなければならないとは限りません。
境界線を覚えても、実際の場面では迷う
「相手の問題は相手のもの」
「自分と他人の境界線を持つ」
そう聞いたことがある人も多いと思います。
でも、
実際に相手が困っていると、
迷う。
本当に放っておいていい?
冷たくない?
私にもできるのに?
だから、
知識として境界線を知っていても、
実際の場面では、
また引き受けることがあります。
これは、
境界線の知識が足りないとは限りません。
引き受けないと何が起きることになっているのか
を見る必要があることがあります。
「ここから先は相手」と線を引くだけでは足りないこともある
自分はここまで。
相手はここから。
そう決める。
それで楽になる場合もあります。
でも、
その線を引いた瞬間、
相手が怒る。
困る。
嫌われる。
関係が悪くなる。
そう予測していたら、
線を引くこと自体が危険になります。
だから、
責任範囲を覚えるだけではなく、
なぜその線を越えてまで自分が引き受ける必要があるのか
を見ることができます。
自分の範囲を見るなら、「選べたか」で考える
たとえば、
何か問題が起きたとき。
自分が、
何を言うか。
どう行動するか。
何を引き受けるか。
断るか。
確認するか。
そこには、
自分が選べる部分があります。
でも、
相手がどう感じるか。
相手がどう反応するか。
相手が何を選ぶか。
そこは、
自分だけでは決められません。
もちろん、
影響はします。
でも、
決定はできない。
この違いを置くと、
責任の範囲が少し見やすくなります。
「改善できる」は、「責任がある」と同義ではない
何か問題が起きた。
次は、
もう少し早く確認しよう。
これは、
改善できます。
でも、
だから、
「今回の問題は私の責任」
とは限らない。
自分が変えられるものは、
原因確定とは別に、
改善できます。
責任を全部背負わなくても、
次回の行動は選べます。
「私がしなければ」を具体的にする
「私が何とかしなきゃ」
と思ったら、
一度、
続きを具体的にしてみます。
私が何とかしなければ、
何が起きる?
相手が困る?
怒る?
嫌われる?
仕事が止まる?
責められる?
自分が後悔する?
それが見えると、
なぜそこまで責任が広がっているのかが、
少し分かりやすくなります。
今日見るなら、「私が引き受けなかったら何が起きる?」
自分の責任が、
どこまでなのか分からなくなったとき。
いきなり、
正しい境界線を決めなくても構いません。
まず、
こう見てみます。
「私は、これを引き受けなかったら何が起きると思っている?」
相手が困る。
怒られる。
嫌われる。
無責任だと思われる。
問題が大きくなる。
自分が悪い人になる。
そこから、
自分が広く責任を持つ必要が生まれているかもしれません。
自分の責任はどこまでなのか分からないなら
責任を持つことを、
やめる必要はありません。
自分がしたこと。
約束したこと。
担当していること。
自分が選んだこと。
必要なら、
対応できます。
ただ、
その先にある、
相手の感情。
相手の選択。
相手からの評価。
環境。
未来の結果。
そこまで全部、
自分の責任として抱えていないかを見る。
そして、
なぜそこまで抱える必要があるのかを見る。
そとがわメソッドでは、
「ここからここまでがあなたの責任です」と外から正解を置くことより、なぜ自分がその範囲まで引き受けなければならないことになっているのか
を見ていきます。
無料講座0時間目「分かっているのに、やめられない理由」では、
頭では「相手の問題まで背負わなくていい」と分かっていても、
実際の場面になると、
また自分が何とかしようとしてしまうとき、
その間で何が起きているのかを見ていきます。
責任を放棄するためではなく、自分が選べることと、自分だけでは決められないことを分けるための入口としてご覧ください。
よくある質問
自分の責任と相手の責任は、どう線引きすればいいですか?
すべての場面に共通する固定線を置くのは難しいです。
まず、自分が選べたこと、役割として担当していたこと、相手にしか選べないこと、環境によることを分けます。
そのうえで、その場面でどこまで引き受けるかを選べます。
相手が困っているのに助けないのは無責任では?
助けることを選ぶこともできます。
この記事で分けているのは、
「助けられるから助ける」と、
「助けないと自分が悪いから助けなければならない」
です。
相手を傷つけた場合は自分の責任ですよね?
自分の言動に問題があったなら、その部分には対応できます。
ただ、相手が感じたことすべてや、その後相手が選ぶ行動まで、自分一人の責任になるとは限りません。
責任を分けたら、人のせいにする癖がつきませんか?
責任を分けることは、相手へ責任を押しつけることではありません。
自分の部分も相手の部分も、分かる範囲でそのまま見るためのものです。
関連記事
相手の機嫌が悪いと、自分が何とかしなければならない問題のように感じる場合はこちら。
問題が起きるたび、最終的に「自分が悪い」に戻ってしまう場合はこちら。
境界線や責任範囲について理解しているのに、実際の場面ではまた自分が引き受けてしまう場合はこちら。
もう少し、自分の中で起きていることを見てみたい方へ
振り返れば、
「もっと違う言い方ができた」
「もっと早く確認できた」
「もう少し歩み寄れた」
と、自分にできたことはいくらでも見つかります。
すると、
「やっぱり私にも原因があった」
「結局、私がもっとちゃんとしていればよかった」
と、自分の責任がどんどん広がっていくことがあります。
そんなときは、
さらに自分を責める前に、
自分が扱える部分と、相手側に残る部分と、まだ分からないことを分けて見る
こともできます。
そとがわメソッドの無料講座では、
実際に起きた出来事。
そこについた意味や予測。
反応。
そのあとに起きた判断や行動。
そして、
どこで「改善できること」が「自分が原因だった証拠」に変わっているのか
を順番に見ていきます。
自分の責任をなくすためではありません。
必要な修正があれば修正する。
謝る必要があれば謝る。
次に変えられることがあれば変える。
そのうえで、
自分の部分も、相手の部分も、まだ分からないことも、そのまま分けて見てみませんか。

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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