学ぶほど自分を責めてしまうのはなぜ?知識が増えるほど苦しくなるとき

目次

学ぶほど自分を責めてしまうのはなぜ?

心理学を学んだ。

自己啓発も読んだ。

潜在意識についても知った。

自分を大切にすること。

他人との境界線。

自己肯定感。

思い込み。

感情との向き合い方。

昔より、

ずっと多くのことを知っている。

自分の状態も、

前より説明できるようになった。

それなのに、

なぜか以前より、

自分に厳しくなった気がする。

人の顔色を気にすると、

「また他人軸になってる」

断れないと、

「また自分を大切にできなかった」

落ち込むと、

「まだ自己肯定感が低い」

嫌な感情が出ると、

「ちゃんと手放せていない」

何か起きるたびに、

自分の状態を説明できる。

でも、

その説明がいつの間にか、

「だから私はまだできていない」

という採点になっている。

そんなことがあります。

だとしたら、

問題は、

学んだことが間違っていたからではないのかもしれません。

見るのは、

知識が、自分を理解するためのものから、自分を判定する基準へ変わっていないか

です。

学ぶと、自分の中に「名前」が増える

学ぶ前は、

ただ、

「なんか苦しい」

だったことがあります。

でも、

知識が増えると、

自分の状態に名前をつけられるようになります。

これは他人軸かもしれない。

自己否定している。

承認を求めている。

境界線が曖昧になっている。

完璧主義が出ている。

思い込みがある。

自分の状態を言葉にできる。

これは、

学ぶことの大きな利点です。

今まで漠然としていたものを、

整理しやすくなる。

ところが、

同じ言葉が、

別の使われ方をすることがあります。

「今、他人軸になっている」

から、

「また他人軸になっている私はダメ」

へ。

「今、自分を責めている」

から、

「まだ自己受容できていない」

へ。

説明だった言葉が、

評価の言葉へ変わります。

知識が「見るための道具」から「合格基準」になる

たとえば、

「自分を大切にしていい」

と学んだ。

それ自体は、

新しい見方です。

でも、

無理な頼みをまた引き受けてしまった。

すると、

「私は自分を大切にできなかった」

となる。

さらに、

「こんなに学んだのに、まだできない」

となる。

このとき、

「自分を大切にする」という知識が、

今の自分を見るためではなく、

自分ができているかどうかを判定する基準

になっています。

境界線。

自己肯定感。

自分軸。

手放し。

自己受容。

どの知識でも、

同じことは起こり得ます。

「知っているんだから、できるはず」が追加される

学ぶ前は、

なぜ苦しいのか分からなかった。

でも、

学んだあとには、

「こうした方がいい」

が分かります。

すると、

別の前提が入りやすくなります。

知っているんだから、できるはず。

断っていいと知っている。

だから、

断れるはず。

人の評価を気にしなくていいと知っている。

だから、

気にしないはず。

自分を責めなくていいと知っている。

だから、

責めないはず。

ところが、

実際の場面では反応する。

すると、

「知っているのにできない」

が、

「まだ理解が足りない」

「まだ自分が変われていない」

へ変わります。

知識が増えたことで、

以前にはなかった、

「分かっているのにできない自分」

という採点項目が増えることがあります。

知識と、その場で起きる反応は別

たとえば、

頼みを断れなかった。

頭では、

「嫌なら断っていい」

と十分に理解している。

でも、

その瞬間には、

「断ったら相手を困らせるかもしれない」

「嫌われるかもしれない」

「関係が悪くなるかもしれない」

と感じていることがあります。

身体が緊張する。

申し訳なくなる。

怖くなる。

そして、

引き受ける。

このとき、

「断っていい」という知識が足りないわけではありません。

知識とは別に、

その場の反応や予測があります。

それなのに、

行動だけを見て、

「せっかく学んだのにできなかった」

とすると、

また自分を責める材料になります。

「もっと学べば変われる」が終わらなくなることもある

同じ反応が続くと、

さらに学びたくなることがあります。

まだ知らないことがあるのかもしれない。

もっと深く理解すれば変われる。

別の考え方なら変われる。

もっと自分と向き合えばいい。

すると、

また新しい言葉を知る。

新しい理想を知る。

新しい「こうあるべき」を知る。

そして、

今の自分を見る。

「これもできていない」

「ここも足りない」

知識が増える。

↓

基準が増える。

↓

今の自分との差が見える。

↓

また学ぶ。

そんな循環になることがあります。

学ぶこと自体が悪いのではありません。

見るのは、

学びが、自分を理解するためではなく、自分の欠点を増やすために使われていないか

です。

ここまで読んで、

「私は知識を増やしていたというより、採点項目を増やしていたのかもしれない」

と思った方は、無料講座0時間目から自分の反応の仕組みを見てみてください。

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さらに学ぶためではなく、知っていることを自分責めへ変えてしまう仕組みを見るための入口です。

「また他人軸」は、観察にも採点にもなる

たとえば、

相手の機嫌が気になった。

そのとき、

「また他人軸になってる」

と思った。

この言葉だけでは、

観察なのか、

評価なのかは分かりません。

「今、相手の反応を基準に自分の行動を決めようとしている」

と見るなら、

起きていることの確認です。

でも、

「また他人軸になっている。だから私はダメ」

となれば、

自分への採点です。

同じ言葉でも、

使われ方が違います。

知識が問題なのではなく、

その知識を使って、

今の自分を理解しているのか。
今の自分を判定しているのか。

ここは分けて見ることができます。

自分責めをやめる知識で、自分責めを増やすこともある

「自分を責めない方がいい」

と学んだ。

でも、

また自分を責めた。

すると、

「また自分を責めてる」

「全然自己受容できてない」

「まだ手放せてない」

となる。

最初は、

ある出来事について自分を責めていた。

今度は、

自分責めをしている自分を、学んだ知識で責めている。

これでは、

自分責めをなくすための知識が、

新しい自分責めの材料になります。

だから、

「自分責めをしない人になる」

を新しい合格条件にしなくても構いません。

まず、

「今、学んだ知識を使って自分を評価している」

と見られます。

「問題を見つける力」が高くなりすぎることもある

学び続けていると、

自分を見る解像度が上がります。

これは執着?

依存?

承認欲求?

エゴ?

思い込み?

自己否定?

逃げ?

境界線の問題?

最初は、

自分を理解したかった。

でも、

いつの間にか、

自分の中に何か問題がないか探すこと

が習慣になっていることがあります。

今日は何ができていない?

まだ何が残っている?

次はどこを直す?

こうなると、

改善する対象は、

いくらでも見つかります。

そのため、

学べば学ぶほど、

「まだ終わっていない」

になりやすくなります。

「分かったこと」を、今の自分を責めるために使わなくてもいい

たとえば、

以前なら、

ただ怒っていた。

今は、

「あのとき本当は我慢していたのかもしれない」

と見えるようになった。

これは、

理解が増えています。

でも、

そこから、

「我慢する前に境界線を引けなかった自分が悪い」

まで進めば、

新しい知識を使って、

過去の自分を評価しています。

今だから分かることを、

「あのときも分かるべきだった」

にしなくても構いません。

学んだことで、

過去の場面が見えやすくなった。

それと、

過去の自分ができていなかったことを責めることは、

別です。

反応を見つけることと、反応を直すことは別

不安がある。

怒りがある。

嫉妬がある。

人の目が気になる。

認めてほしいと思う。

そうしたものに気づいたとき、

すぐに、

「なくさなきゃ」

へ進むことがあります。

でも、

反応に気づくことと、

その反応が悪いものだと判断することは別です。

なぜこの場面で、

この反応が出たのか。

何が起きると思ったのか。

その結果、

何をしたのか。

まず見ることができます。

反応があること自体を、

「まだできていない証拠」にする必要はありません。

理由を理解することは、行動を正当化することではない

反応に理由がある。

だから、

何をしてもいい。

という話ではありません。

怒った理由が分かったとしても、

相手を傷つける行動まで正当化されるわけではありません。

断れなかった理由が分かっても、

今後ずっと無理を引き受ける必要はありません。

理解することと、

そのまま続けることは別です。

ただ、

理由も見ずに、

「この反応が出たから私はまだダメ」

で終わると、

なぜその反応が必要だったのかは見えません。

学びを「正しい自分になるため」だけに使わなくてもいい

自分軸になる。

自己肯定感を上げる。

境界線を持つ。

執着を手放す。

自分を愛する。

どれも、

役に立つ考え方になることがあります。

でも、

全部を、

「こうなっていなければならない」

にすると、

学ぶほど理想像が細かくなります。

そして、

現在の自分を、

その理想と比較し続けることになります。

学びを、

正しい自分を作るためだけではなく、

今、自分に何が起きているのかを見るため

にも使うことができます。

「分かっているのにできない」は、採点結果とは限らない

人の目を気にしなくていい。

それは分かっている。

でも、

気になる。

そこで、

「分かっているのにできない」

を、

自分への評価にすることもできます。

でも、

別の見方もあります。

なぜ、

その人に悪く思われることが、

自分にとってそんなに大きなことなのか。

悪く思われたら、

何が起きると思っているのか。

その場では、

何を避けようとしていたのか。

こうして見ると、

「できなかった」という結果以外にも、

見るものがあります。

知っていることと、

その場で起きる反応が一致しなかった。

だから、

自分がダメ。

ではなく、

その間に何があったのかを見る。

そこが変わります。

同じ反応が出ても、「学べていなかった」とは限らない

また人の顔色を見た。

また断れなかった。

また自分を責めた。

すると、

「今まで何を学んできたんだろう」

と思うことがあります。

でも、

同じ反応が出たことだけで、

学んできたことが全部無意味だったとは限りません。

以前は、

「またできなかった」で終わっていた。

今回は、

「この知識を使って自分を採点している」

と見えた。

以前は、

すぐ自分を直そうとしていた。

今回は、

先に何が起きたのかを確認できた。

同じ反応が出ても、

そのあとまで以前と全部同じとは限りません。

今日見るなら、「この知識を今、何に使っている?」

次に、

学んだ言葉が頭に出てきたとき。

「また他人軸」

「自己肯定感が低い」

「境界線が引けていない」

「まだ手放せていない」

すぐに、

正しいか間違っているかを判断する前に、

一つだけ見てみてください。

「私は今、この知識を何に使っている?」

今の自分を理解するため?

何が起きたのか整理するため?

それとも、

できているかどうかを採点するため?

直すべきところを探すため?

この違いを見るだけでも、

同じ知識の使われ方が見えやすくなります。

学ぶほど自分を責めてしまうなら、知識を増やす前に使われ方を見る

心理学も学んだ。

自己啓発も試した。

自分についても、

前よりずっと分かるようになった。

それでも、

学んだ言葉を使って、

また自分を責める。

そんなとき、

さらに新しい知識を増やす前に、

今持っている知識が、

自分の中でどう使われているのかを見ることができます。

説明なのか。

観察なのか。

評価なのか。

理想との比較なのか。

「まだできていない」を探すためなのか。

そこが分かると、

問題は、

「学びが足りない自分」

だけではなくなります。

そとがわメソッドでは、

正しい知識を増やして、

正しい自分になることを目標にはしません。

知っていることを使って、

今の自分に何が起きているのかを見る。

そして、

必要なら次の行動を選ぶ。

そのために使います。

無料講座0時間目「分かっているのに、やめられない理由」では、

知っていることが増えても、

実際の場面では同じ反応が起きる理由を、

「理解不足」や「努力不足」だけに戻さずに見ていきます。

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次の正しい答えを増やすためではなく、自分の仕組みを実際に見られるようになるための入口としてご覧ください。


よくある質問

心理学や自己啓発を学ばない方がいいということですか?

そうではありません。

知識によって、

自分の状態を理解しやすくなることがあります。

見るのは、

知識そのものではなく、

その知識が自分を理解するために使われているのか、

自分を採点するために使われているのかです。

「他人軸」「自己否定」などの言葉を使わない方がいいですか?

使っても構いません。

言葉があることで、

起きていることを整理しやすくなる場合があります。

ただ、

ラベルをつけた瞬間に、

「だからダメ」

まで進んでいないかは分けて見ることができます。

学んだことを実践できなければ、意味がないのでは?

実践につながる知識もあります。

ただ、

「知ったら必ずできる」

とは限りません。

実際の場面では、

その人なりの予測や反応、

相手との関係、

現実の条件なども関わります。

できなかったことだけで、

学びが無意味だったとは限りません。

また同じ反応をしたら、まだ理解できていないということですか?

そうとは限りません。

同じ反応が出ても、

何が起きているのか見えるようになることがあります。

そのあと別の行動を選べることもあります。

同じ反応が出たことだけを、

「理解不足」の証拠にしなくても構いません。


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→ 学んでも同じところに戻るときに読むページ

もう少し、自分の中で起きていることを見てみたい方へ

心理学も。
自己啓発も。
自己理解も。

学ぶほど、

「またできていない」
「まだ変われていない」
「もっと理解しないと」

と、自分を責める材料が増えてしまうことがあります。

そんなときは、

さらに正しい知識を増やす前に、

その知識が、自分を理解するために使われているのか、
自分を採点するために使われているのか

を見てみることもできます。

そとがわメソッドの無料講座では、

出来事。
そこについた意味。
反応。
その反応に対してさらに起きること。

そして、

なぜ、その反応が必要になっているのか

を順番に分けながら見ていきます。

学んできたことを捨てる必要はありません。

それぞれが見ていたものを、一枚の地図で見てみませんか。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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