今日は楽しい一日だった。
美味しいものを食べて、好きな人と話して、やりたかったこともできた。
ところが、帰り際に誰かから少し気になることを言われた。
すると、家に帰ってからも、その一言ばかり思い出してしまう。
楽しかったこともたくさんあったはずなのに、頭の中には嫌だった場面が残っている。
「なんであんなこと言われたんだろう」
「私、何かおかしなことをしたかな」
そして、いつの間にか、
「今日は嫌な一日だったな」
と思っている。
ちょっと昨日のことを思い出してみてください。
嬉しかったことと、嫌だったこと。
どちらの方が、すぐに思い浮かぶでしょうか。
もし嫌だったことが先に浮かんだとしても、昨日は本当に嫌なことばかりだったのでしょうか。
楽しいこともあったはずなのに、一つの出来事で一日全体の印象まで変わってしまう。
そもそも、人間はどうしてこんなことをするのでしょうか。
人間は嫌な情報を強く受け取ることがある
心理学には「ネガティビティバイアス」という考え方があります。
これは、否定的な情報や出来事が、肯定的なものよりも強く注意や評価に影響する傾向のことです。
たとえば、仕事で何人もの人から「ありがとう」と言われたとします。
でも、一人から「ここ、違います」と指摘された。
その日の帰り道、何度も思い出すのは、その指摘だったりする。
もちろん、すべての人がいつもそうなるわけではありません。
嬉しかった出来事の方が強く残る場合もあります。
ただ、人間には否定的な情報を重く受け取る傾向があることが、心理学で研究されています。
ここで面白いのは、嫌な情報に注意が向くこと自体が、必ずしも悪い働きではないという点です。
危険や損失につながるかもしれない情報は、次に同じことが起きたときの判断材料になることがあります。
つまり、嫌なことが気になるという反応にも、それなりの働きがあるのです。
でも、ここからもう一つ、不思議なことが起こります。
一つの嫌な出来事が「嫌な一日」になる
朝、好きな音楽を聴いた。
昼、美味しいランチを食べた。
午後、仕事で褒められた。
夕方、誰かから「ここ、違います」と言われた。
これが、その日に起きた出来事だったとします。
ところが、帰宅してからは、夕方の指摘ばかり考えている。
そして、
「今日は最悪だった」
と感じる。
ここで少し、考えてみたいことがあります。
嫌な出来事が一つあった日と、嫌な一日は同じものでしょうか。
朝の音楽も、昼のランチも、午後に褒められたことも、なくなってはいません。
でも、一日の印象としては「嫌な日」になっている。
もし、この二つが違うとしたら、いつ、どこで「嫌な一日」になったのでしょう。
指摘された瞬間でしょうか。
家に帰って思い出したときでしょうか。
それとも、「今日は最悪だった」と思ったときでしょうか。
人は、一つひとつの出来事を経験するだけではなく、それらに意味や重みを与えながら、その日の印象を作っていることがあります。
つまり、「嫌なことがあった」と「嫌な一日だった」の間には、もう一つ何かが起きているのです。
私たちは記憶を再生しているだけではない
嫌なことを思い出しているとき、頭の中では何が起きているのでしょう。
たとえば、相手から「ここ、違います」と言われた場面。
思い出すのは、相手の言葉だけとは限りません。
「馬鹿だと思われたかもしれない」
「また失敗した」
「次も同じことになったらどうしよう」
こうした考えが、一緒に出てくることがあります。
実際に相手が言ったのは「ここ、違います」だったとしても、頭の中では別の意味が加わっているかもしれません。
そして、その意味をもとに次の出来事を予測する。
「また指摘されるかもしれない」
「評価が下がるかもしれない」
「次は失敗できない」
気がつくと、過去の出来事を思い出していたはずなのに、まだ起きていない未来のことまで考えている。
一つの出来事が、記憶の中でいろいろな意味や予測と結びついているのです。
ここで、嫌な出来事を思い出すことと、その出来事からさらに苦しさが広がることを分けて考えられます。
「気にしないようにする」が必要になるのはなぜ?
嫌なことばかり思い出してしまうと、今度はそれを何とかしたくなります。
「気にしないようにしよう」
「楽しいことを考えよう」
「もっとポジティブになろう」
こうした方法で気持ちが切り替わるなら、それを使っても構いません。
ただ、それでも同じことを繰り返す場合には、別のところを見る余地があります。
そもそも、なぜその出来事を気にしないようにしなければならないのでしょう。
「気にする自分が嫌だから」
「考えても仕方がないから」
「いつまでも引きずるのはよくないから」
そう考えているとしたら、最初の嫌な出来事とは別に、今度は「気にしている自分」も問題になっているかもしれません。
嫌なことがあった。
そのことを思い出した。
そして、思い出している自分を見て、
「また気にしている。こんな自分は嫌だ」
と思った。
最初の出来事に対する反応だけでなく、その反応をした自分に対する判断まで加わっている。
そう考えると、単に嫌な記憶をなくせば終わるという話ではないことが見えてきます。
自分責めが止まらないのはなぜ?何度も思い返してしまう仕組みでは、このように思い返すことが自分への評価につながる場合を扱っています。
嫌な出来事が残っていても、一日全部を否定しなくていい
ここで、楽しいことを無理に思い出す必要はありません。
嫌だったことを「本当は嫌じゃなかった」と言い換える必要もありません。
嫌だったなら、嫌だった。
それは、そのとき自分が経験したことです。
ただ、そこから「一日全部が最悪だった」へ進んだときには、少し違うことが起きています。
嫌な出来事があったこと。
その出来事に強く注意が向いていること。
そこから一日全体の印象が作られたこと。
それぞれは、同じものではありません。
一日の中に嫌な出来事があったとしても、その日に起きたほかの出来事が消えたわけではない。
それでも、本人には「最悪な一日だった」と感じられることがあります。
そとがわメソッドが見ているのは、こういうところです。
自分が経験している現実が、どのように出来上がっているのか。
その仕組みを知ることです。
「そう感じる」と「それがすべて」は同じではない
たとえば、嫌な一日だったと感じたとします。
その感覚を否定する必要はありません。
「そう感じちゃダメ」
「本当はいい日だったと思わなきゃ」
と、新しい正解を作る必要もありません。
ただ、
「今の私には、この一日が嫌な日として見えているんだな」
と知ることはできます。
これは、嫌な一日だったという感覚を消すことではありません。
自分が見ているものと、実際に起きた出来事すべてを、同じものとして扱わなくなるということです。
そして、そこに少し選択の余地が生まれます。
その出来事について考え続けてもいい。
別のことをしてもいい。
必要なら相手に確認してもいい。
何もせず、そのままにしておいてもいい。
「嫌なことを気にする自分はダメだ」という判断まで、必ず採用しなくてもよいのです。
人間の仕組みを知ると、いつもの日常が少し違って見える
人間には、嫌な情報を強く受け取る傾向がある。
でも、その情報がどういう意味を持つのかは、また別の話です。
同じ言葉でも、人によって受け取り方が違うことがあります。
同じ一日を過ごしていても、何を強く覚えているかによって、その日の印象が変わることがあります。
考えてみると、人間というのはなかなか面白いものです。
ここで、もう一つだけ。
嫌なことを思い出しているとき、あなたは何を思い出しているでしょうか。
相手が実際に言った言葉でしょうか。
それとも、その言葉を聞いて自分が考えたことまで含まれているでしょうか。
たとえば、
「ここ、違います」と言われたこと。
「私は能力がないと思われた」と感じたこと。
「また同じことを言われるかもしれない」と予測したこと。
これらは、ひとつながりの経験として感じられるかもしれません。
でも、同じものではありません。
そして、普段はその違いを意識することも少ないのではないでしょうか。
私たちは、目の前で起きたことを、そのまま同じ形で経験しているわけではありません。
その出来事を受け取り、自分なりの意味を加え、反応し、その結果を自分の現実として経験しています。
だからこそ、自分が見ているものが、初めからそこにあった現実そのものだと感じられることがあります。
そとがわメソッドでは、そんな人間の仕組みを、日常の出来事から見ていきます。
人間が現実を経験する仕組みを知りたい方へ
嫌な出来事があったことと、「嫌な一日だった」と感じること。
相手に言われた言葉と、そこから自分が考えたこと。
先ほどの問いを通して、少し違って見えたでしょうか。
もし違いを感じたなら、なぜ普段はそれらが一つの現実として経験されるのか、不思議に思うかもしれません。
そとがわメソッドの無料講座では、出来事とそこについた意味、予測、感情や身体の反応を分けながら、人間が現実を経験する仕組みを説明しています。
よくある質問
Q. 嫌なことばかり覚えているのは、ネガティブな性格だからですか?
性格だけで説明できるとは限りません。
否定的な情報に注意が向きやすい傾向は心理学でも研究されています。ただし、実際に何が記憶に残るかには、その出来事の重要性や感情、経験、そのときの状況なども関係します。
Q. ネガティビティバイアスは、人間なら誰にでもありますか?
人間に広く見られる傾向として研究されていますが、すべての人が、どんな状況でも否定的な情報を優先するわけではありません。
嬉しい出来事や肯定的な情報が強く残る場合もあります。
Q. 嫌な記憶を何度も思い出すことは、悪いことですか?
思い出すこと自体を悪いと決める必要はありません。
振り返ることで、次にどうするか考えられる場合もあります。
ただし、思い出すたびに自分を責めたり、まだ起きていない問題を繰り返し予測したりしているなら、その過程を分けて見ることができます。
Q. 嫌なことを気にしなくなる方法を身につけた方がいいですか?
方法を使って楽になるなら、それも一つの選択肢です。
一方で、気にしないようにすることが新しい義務になり、「まだ気にしている自分」を責めるようになる場合もあります。
気にしない人になることだけでなく、今、自分の中で何が起きているのかを知ることもできます。
関連記事
まずは無料講座から
嫌なことが起きたとき、私たちはその出来事だけを経験しているとは限りません。
そこに意味が加わり、予測が生まれ、感情や身体が反応する。
さらに、その反応をした自分に対して判断が加わることもあります。
こうした仕組みは、嫌な出来事だけではなく、普段の何気ない日常でも働いています。
その仕組みを知ることは、もっとポジティブな人間になるためでも、嫌な記憶をなくすためでもありません。
自分が経験している現実を、これまでとは違う場所から見られるようになるためのものです。
参考文献
- Baumeister, R. F., et al. (2001). Bad Is Stronger Than Good. Review of General Psychology, 5(4), 323–370. https://doi.org/10.1037/1089-2680.5.4.323
- Rozin, P., & Royzman, E. B. (2001). Negativity Bias, Negativity Dominance, and Contagion. Personality and Social Psychology Review, 5(4), 296–320. https://doi.org/10.1207/S15327957PSPR0504_2


そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
詳しいプロフィールはこちら












コメント