陰陽道とは?中国の陰陽思想と日本の陰陽師は何が違う?

突然ですが、陰陽師(おんみょうじ)と聞いて、どんな姿を思い浮かべますか。

長い衣装を着た人。

不思議な呪文を唱える人。

式神を操る人。

あるいは、安倍晴明のような人物でしょうか。

漫画や小説、映画などでもおなじみですよね。

でも、ちょっと考えてみてください。

陰陽師って、本当は何をしていた人なのでしょう。

妖怪を退治する人?

未来を予言する人?

魔法を使う人?

……。

実は、古代日本の陰陽師たちは、国家の制度の中で働く専門家でもありました。

しかも、その人たちが関わっていた仕事には、占いや儀礼だけでなく、暦や天文、日付や方角の判断もあったんです。

暦。

つまり、カレンダーです。

……えっ?

式神を呼び出すイメージだったのに、カレンダー!?w

何だか、ずいぶん現実的な仕事が出てきましたね。

でも、ここからが面白いんです。

今の私たちは、スマートフォンを開けば、今日の日付も曜日も分かります。

ところが昔の人々にとって、暦は、単に日付を調べるためのものではありませんでした。

この日は何をしていいのか。

いつ儀式を行うのか。

どの方角へ向かうのがよいのか。

そうした判断とも結びついていたんです。

では、ここでもう一つ質問です。

陰陽師が使っていた「陰陽道」と、古代中国で発展した「陰陽思想」は、同じものなのでしょうか。

名前は似ていますよね。

でも、調べてみると、少し違います。

今日は、中国で生まれた陰陽の考え方が、どのように日本へ伝わり、陰陽師の仕事や人々の暮らしと結びついていったのかを見てみましょう。

その先には、私たちが今でも使っているカレンダーの、ちょっと不思議な歴史も待っています。

目次

陰陽とは?最初は妖怪退治の話ではありません

まず、「陰陽(いんよう)」とは何でしょう。

陰陽は、古代中国で発展してきた、自然や世界のあり方を捉えるための考え方です。

例えば、こんなものがあります。

昼と夜。

日なたと日かげ。

夏と冬。

明るさと暗さ。

温かさと寒さ。

それぞれ、違う性質を持っています。

でも、ここで少し考えてみましょう。

昼と夜は、どちらが正しいのでしょう。

……。

いや、どちらも必要ですよね。w

昼がずっと続いたら、それはそれで困りそうです。

夜だけでも、生活しづらそうです。

陰陽では、このような対になる性質や、互いに関係しながら変化するあり方が重視されてきました。

ちなみに、「陰」は悪いもの、「陽」は良いものという意味ではありません。

陰と陽は、単純に善悪を分けるための言葉ではないんです。

一般社団法人日本東洋医学会でも、陰陽を、古代中国で発展した自然哲学として説明しています。

そして、その考え方は、後に医学などの分野でも使われるようになりました。

ここで大切なのは、陰陽という考え方そのものが、最初から日本の陰陽師の仕事だったわけではないということです。

陰陽思想は、古代中国で発展した考え方です。

一方、日本の陰陽道は、その考え方を含む中国伝来の知識や技術が、日本の社会や制度の中で組み合わされ、発展していったものなんです。

参考:日本東洋医学会「基本概念 陰陽」

関連記事:陰陽とは?陰が悪で陽が善ではない理由と、昼と夜から見る東洋思想

陰陽思想と陰陽道は、何が違うの?

さて、ここで二つの言葉を並べてみましょう。

「陰陽思想」

「陰陽道」

名前がよく似ていますよね。

でも、同じものではありません。

陰陽思想は、古代中国で発展してきた世界の捉え方です。

一方、陰陽道は、その思想や陰陽五行説、暦法、天文、占いなどに関わる中国伝来の知識が、日本の国家制度や社会の中で発展していった体系です。

少し整理してみましょう。

比べるところ陰陽思想日本の陰陽道
成り立ち古代中国で発展中国伝来の知識をもとに日本で形成
主な関心自然の性質、相互関係、変化暦、天文、占い、日時や方位の吉凶、儀礼など
広がり哲学、医学、占術などさまざまな分野国家制度から貴族社会、中世・近世の生活文化へ
特徴世界を捉えるための考え方知識・技術・儀礼が社会の仕組みと結びついた体系

例えば、中国で発展した陰陽の考え方を知っている人がいたとします。

その人が、必ず日本の陰陽師なのかというと、そうではありません。

反対に、日本の陰陽師が使っていた知識は、陰陽の二つの概念だけで説明できるものでもありません。

つまり、

陰陽思想という一つの考え方と、日本で発展した陰陽道という体系は、分けて考えられるんです。

ちなみに、中国でも陰陽の考え方は占いや医学などに用いられてきました。

そのため、

「中国は理論だけ、日本は実践だけ」

という分け方も正確ではありません。

それぞれの歴史があり、それぞれの発展があったんですね。

日本には、中国からどんな知識が伝わってきたの?

さて、古代中国で発展した考え方は、さまざまな経路を通って日本へ伝わりました。

陰陽五行説。

暦法。

天文に関する知識。

占いの技術。

そうしたものです。

陰陽五行説とは、陰陽の考え方と、木・火・土・金・水という五行の考え方が結びついたものです。

例えば、自然や社会の出来事を、さまざまな性質や関係によって説明しようとします。

この五行については、別の記事でも紹介しています。

陰陽五行とは?木・火・土・金・水の意味と四柱推命との関係

さて、こうした知識が日本へ伝わったとき、何が起きたのでしょう。

そのまま、まったく同じ形で残ったのでしょうか。

……そう単純ではありません。

日本には、日本の国家制度がありました。

宮廷がありました。

貴族の社会がありました。

神々への信仰や仏教もありました。

中国から伝わった知識は、そうした日本の歴史や文化の中で使われ、組み合わされていきました。

その過程で、日本の陰陽道が形づくられていったんです。

ここ、面白くありませんか。

同じ知識でも、どんな社会に取り入れられるかによって、役割が変わっていく。

ということです。

では、実際に陰陽道は、どんなところで使われていたのでしょう。

古代日本には「陰陽寮」という役所があった

さて、ここから急に、お役所の話です。

陰陽道を理解するうえで重要なのが、**陰陽寮(おんみょうりょう)**です。

陰陽寮は、古代日本の律令国家に設けられた役所です。

中務省(なかつかさしょう)に属し、占い、天文、暦、時刻などに関する業務を担当していました。

……。

陰陽師、まさかの国家公務員的な立場です。w

もちろん、現代の公務員制度と同じものではありません。

でも、国家の仕組みの中に、正式な役所として存在していたんです。

ここで少し想像してみてください。

今日の仕事は何でしょう。

妖怪退治?

呪文の研究?

それも、現代の創作作品ではありそうですね。

でも、古代の陰陽寮には、もっと具体的な仕事がありました。

天体の動きを調べる。

暦を編纂する。

日時や方角について判断する。

時刻を測定する。

そうした仕事です。

ちなみに、陰陽寮については、『日本書紀』の675年の記事にも登場します。

国立天文台の暦計算室では、陰陽寮の成立時期について確定できない点があることを示しながら、675年の記録を紹介しています。

つまり、非常に古い時代から、国家の制度として暦や天文、占いに関わる仕組みが整えられていったんですね。

参考:国立天文台「暦Wiki|暦の伝来から宣明暦まで」

陰陽寮には、ちゃんと担当者が分かれていた

さて、ここが少し面白いところです。

陰陽寮には、さまざまな専門職がいました。

例えば、こんな役職です。

役職主に担当したこと
陰陽師占いによる吉凶・禍福の判断など
陰陽博士陰陽の知識や技術の教育
天文博士天文現象の観測や解釈など
暦博士暦の作成や暦法の教育
漏刻博士水時計を使った時刻の測定や管理に関する仕事

……。

ちゃんと分業しているんです。

「陰陽師」という言葉は、現在では陰陽道に関わる人々を広く指す場合があります。

でも、古代の陰陽寮では、「陰陽師」は具体的な役職名でもあったんです。

ですから、陰陽寮が暦を作っていたからといって、すべての暦を陰陽師という役職の人が直接作っていた、という説明は正確ではありません。

暦には暦博士という専門職がいました。

天文にも天文博士がいました。

そして、時間を測る仕事にも、専門の職員がいました。

……ずいぶん本格的ですよね。

ちなみに、陰陽寮では、水時計を使って時刻を測定する仕事も行われていました。

今の私たちなら、スマートフォンで時間を見ます。

でも、昔はそうはいきません。

正確な時刻を知り、それを知らせること自体が、重要な仕事だったんです。

時間を管理することが、国家の仕事だった。

こう考えると、ちょっと見方が変わりませんか。

参考:コトバンク「陰陽寮」『日本大百科全書』

ところで、昔のカレンダーは誰が作っていたの?

さて、ここから暦の話です。

今の私たちは、カレンダーを簡単に買えます。

スマートフォンにも入っています。

何なら、何年も先の日付まで確認できますよね。

でも、昔はそうではありませんでした。

日本で長く使われていた暦は、現在のグレゴリオ暦とは違います。

月の満ち欠けと、季節の巡りを組み合わせた**太陰太陽暦(たいいんたいようれき)**が使われていました。

ここで、月の満ち欠けについて考えてみましょう。

新月から次の新月までの平均的な周期は、約29.5日です。

そのため、太陰太陽暦では、29日の月と30日の月を組み合わせます。

ところが、これを12か月続けると、太陽の動きに対応する一年との間に差が生まれます。

放っておくと、暦の月と季節がずれていきます。

そこで、何をするのでしょう。

**閏月(うるうづき)**を入れて調整するんです。

つまり、1年が13か月になることがありました。

……13か月!

今のカレンダーを見慣れていると、何だか得した気分になりますね。w

もちろん、給料が13か月分もらえるという話ではありません。

暦と季節を合わせるための仕組みです。

そして、どの月を29日にするか、どの月を30日にするか、閏月をどこに置くかなどを決める必要がありました。

だから、暦を作ること自体が、大切な仕事だったんです。

参考:国立国会図書館「日本の暦|暦の渡来と普及」

昔の暦は、日付だけを書いたものではなかった

では、昔のカレンダーには、何が書いてあったのでしょう。

「1月1日」

「1月2日」

「1月3日」

……。

それだけではありません。

古代から使われた暦には、**具注暦(ぐちゅうれき)**というものがありました。

具注暦には、日付や季節に関する情報のほか、毎日の吉凶などに関する注記も書かれていました。

このような注記を、**暦注(れきちゅう)**と呼びます。

例えば、ある日に何をするのがよいと考えられていたのか。

どんなことを避けた方がよいとされていたのか。

そんな情報です。

ちょっと、現代のカレンダーを想像してみてください。

10月18日。

日曜日。

予定は、買い物。

……普通ですね。

でも、そこへ、

「今日はこの方角への移動に注意」

「この行事は別の日の方がよい」

という情報まで付いていたら?

……。

カレンダーを見ただけで、予定の立て方が変わりそうですね。w

もちろん、昔の暦に書かれていた吉凶判断が、現代科学によって事実として確認されているという意味ではありません。

ここで考えたいのは、当時の人々が暦を何のために使っていたのか、ということです。

単に日付を知るだけでなく、社会や生活の中で、行動を判断する材料としても使っていたんです。

平安貴族は、暦の余白に日記を書いていた

さて、ここで、さらに意外な話です。

平安時代の貴族たちは、具注暦に従って行動することがありました。

そして、その暦の余白に日記を書いていたんです。

……。

カレンダーに、日記まで書いていたんですか!?w

そうなんです。

国立国会図書館の解説でも、平安貴族が具注暦の余白に日記を書いていたことが紹介されています。

現在でも、手帳の予定欄に、

「今日は会議」

「買い物に行った」

「友達と会った」

などと書く人がいますよね。

その感覚に少し近いところもあるかもしれません。

ただし、平安時代の貴族の日記は、現在の個人的な日記とまったく同じ性質だったわけではありません。

政治や儀礼の記録として重要なものもあります。

それでも、暦の余白に書かれた記録が、今の歴史研究で重要な史料になっているんです。

面白いですね。

当時の人が、今日あったことを書いた。

そして、何百年もあとに、その記録を歴史研究者が読んでいる。

昔のスケジュール帳が、歴史の教科書みたいな役割をしているわけです。

参考:国立国会図書館「日本の暦|具注暦と仮名暦」

「この方角はよくない」と言われたら、どうする?

さて、陰陽道の歴史には、もう一つ面白いものがあります。

それが、方位の吉凶です。

例えば、平安時代の貴族が、ある場所へ出かけようとしているとします。

ところが、その方角について、よくない条件があると判断されたとします。

さて、どうするのでしょう。

目的地を変える?

外出をやめる?

……。

実は、**方違え(かたたがえ)**という習慣がありました。

簡単にいえば、禁忌とされた方角へ直接向かわず、いったん別の方向に移動するなどして、移動の経路を調整することです。

例えば、目的地へまっすぐ行くと、避けたい方角になるとします。

そこで、別の場所に立ち寄ったり、別の場所で一夜を過ごしたりしてから向かう場合がありました。

……。

目的地は同じなのに、出発する場所を変えるんです。w

もちろん、これには当時の方位に関する考え方や儀礼的な意味があります。

単なる道順の工夫ではありません。

でも、現代の私たちには、なかなか不思議に見えますよね。

例えば、今なら、

「こっちの道は渋滞しているから、別の道で行こう」

と考えます。

当時の人々は、道路の状態だけでなく、方角の吉凶も考慮する場合があったわけです。

こうした平安時代の方角禁忌については、ベルナール・フランクの『方忌みと方違え』という研究書でも詳しく扱われています。

参考:ベルナール・フランク『方忌みと方違え―平安時代の方角禁忌に関する研究』

目的地は同じなのに、方角によって意味が変わる?

ここで、少し考えてみましょう。

ある建物があります。

建物は、ずっと同じ場所にあります。

その場所が、急に別のところへ移動したわけではありません。

でも、どこから、どの方向へ向かうのかによって、その移動に違う意味が与えられる場合があります。

さて、何が変わったのでしょう。

建物自体でしょうか。

道の長さでしょうか。

それとも、その移動について使われている判断の基準でしょうか。

ここが面白いところです。

同じ目的地でも、使っている基準によって、行動の意味が違ってくる。

これは、昔の人が変だったという話ではありません。

当時、方位についてどのように考えられていたのか、その条件を理解するための話です。

私たちは現代の地図や交通情報を使って、道を選びます。

当時の人々は、そうしたものとは別の知識や基準も使っていました。

では、その基準を使っている本人にとっては、どうだったのでしょう。

おそらく、十分に重要なことだった場面もあるでしょう。

そして、何かを避けるために、経路を変える必要があると感じられていたのかもしれません。

こうして考えると、歴史の中の行動が、少し違って見えてきます。

安倍晴明は、本当にいた陰陽師なの?

さて、ここで、ようやく有名人の登場です。

安倍晴明(あべのせいめい)。

陰陽師と聞いたら、この名前を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

映画や小説、漫画などでも知られています。

式神を操る。

呪術で敵と戦う。

不思議な力を使う。

そんな姿を想像するかもしれません。

では、安倍晴明は、本当に実在した人物なのでしょうか。

はい。実在した人物です。

安倍晴明は、921年から1005年まで生きた、平安時代の陰陽師です。

国立歴史民俗博物館でも、実在した陰陽師として紹介されています。

ただし、ここで少し考えてみたいことがあります。

私たちが知っている安倍晴明は、どんな晴明でしょう。

歴史上の晴明?

伝説の晴明?

小説の晴明?

漫画や映画の晴明?

……。

全部、同じ名前ですよね。

でも、同じ名前だからといって、全部が歴史的な事実とは限りません。

ここが、また面白いところです。

参考:国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か」

歴史上の安倍晴明と、物語の安倍晴明は違う

例えば、歴史上に実在した人物がいます。

その人は、ある時代の社会の中で働いていました。

家族がいて、仕事があって、いろいろな出来事に関わっていました。

そして、その人が亡くなったあと。

人々は、その人について物語を語ります。

不思議な力があった。

こんなことをした。

あんな出来事を解決した。

やがて、物語が広がっていきます。

そして、現代になります。

今度は、小説になります。

映画になります。

漫画になります。

アニメにも登場します。

さて、最初の人物と、現在の作品に登場する人物は、同じでしょうか。

もちろん、モデルは同じ人物かもしれません。

でも、そこには創作や伝承が加わっています。

実は、安倍晴明についても、これと似たことが起きています。

国立歴史民俗博物館は、2023年に開催した企画展示で、晴明の実像だけでなく、後世に付け加わっていった伝奇的なイメージにも注目しました。

つまり、

実在した人物についての記録と、後世に語られた物語を分けて考えているんです。

ここ、歴史を読むうえで大切ですよね。

そして、こんなふうにも考えられます。

「安倍晴明って、どんな人だったの?」

と聞かれたとき。

それは、どの安倍晴明について聞いているのでしょう。

歴史上の人物でしょうか。

伝説上の人物像でしょうか。

現代の作品に登場するキャラクターでしょうか。

話している対象が違うと、答えも変わってきますよね。

安倍晴明は、実際には何をしていたの?

さて、では、歴史上の安倍晴明は、どんな仕事をしていたのでしょう。

安倍晴明は、陰陽寮に関係する専門家として活動しました。

天文に関わる知識や、吉凶の判断などに携わっていました。

そして、宮廷社会の中で重要な役割を果たしていました。

ここで、もう一度、最初のイメージに戻ってみましょう。

式神を操る人。

妖怪と戦う人。

不思議な術で敵を倒す人。

そんなイメージでしたよね。

でも、歴史上の晴明の仕事を考えると、国家や宮廷の制度、天文、占いなどと深く関係していたことが分かります。

……。

急に、平安時代の専門職という感じがしてきましたね。w

ちなみに、安倍晴明を祖先とする安倍氏は、その後、天文に関わる専門家としての役割を受け継いでいきました。

一方、暦については、賀茂氏が専門家としての役割を受け継いでいったと、国立国会図書館は説明しています。

ここにも、先ほどの分業の話がつながります。

すべてを一人の陰陽師がやっていたわけではありません。

専門家たちが、それぞれの知識や技術を持っていたんですね。

参考:国立国会図書館「日本の暦|暦の渡来と普及」

式神を使って妖怪退治をしたというのは本当?

さて、ここで気になるのが、式神です。

陰陽師の物語といえば、式神を思い浮かべる人もいるでしょう。

式神とは、陰陽師が使うとされる霊的な存在などとして、伝承や文学作品に登場します。

では、歴史上の安倍晴明が、現代の作品で描かれるように式神を使って戦ったことは、確認できるのでしょうか。

そこは、分けて考える必要があります。

安倍晴明が実在したことは、歴史資料から確認できます。

一方、伝説の中で描かれる超自然的な能力まで、歴史的な事実として確定できるわけではありません。

そして、現代の漫画やアニメで描かれる技や戦い方は、作品ごとの創作を含みます。

でも、だからといって、物語が面白くなくなるのでしょうか。

……そんなことはありませんよね。w

むしろ、

「歴史上の晴明は、どんな人だったの?」

「どうして、こんなに不思議な伝説が生まれたの?」

「いつ頃から、そういう物語が広まったの?」

という新しい疑問が生まれます。

実在の人物を知る楽しさ。

伝説を読む楽しさ。

創作作品を楽しむ面白さ。

それぞれ、違う楽しみ方なんです。

国立歴史民俗博物館が、陰陽師の展覧会を開いていた

さて、ここで一つ、実際の資料を紹介しましょう。

2023年、国立歴史民俗博物館では、

「陰陽師とは何者か―うらない、まじない、こよみをつくる―」

という企画展示が開催されました。

開催期間は、2023年10月3日から12月10日までです。

この展示では、陰陽師についての歴史資料を集め、古代から近代初めまでの変化を紹介しました。

しかも、展示の対象は安倍晴明だけではありません。

陰陽師たちが関わった暦。

占いやまじないに使われた資料。

陰陽道についての書物。

安倍晴明についての物語。

そうしたものを通して、陰陽師の歴史を紹介したんです。

つまり、陰陽師は、漫画や映画の中だけで語られている存在ではありません。

実際の歴史資料をもとに、研究されている対象なんです。

ちなみに、この展覧会の図録も刊行されています。

327ページほどの大きな図録です。

……327ページ。

陰陽師の歴史だけで、そんなに語ることがあるんですね!w

それだけ、研究することがたくさんあるということなのでしょう。

参考:国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か」企画展示

参考:国立歴史民俗博物館「陰陽師とは何者か」展示図録

陰陽道は、平安時代だけのものだったの?

さて、陰陽師というと、平安時代のイメージが強いですよね。

安倍晴明が、平安時代の人物だからかもしれません。

でも、陰陽道の歴史は、平安時代だけでは終わりません。

古代国家の制度の中で形成された陰陽道は、中世から近世にかけて、役割を広げながら発展していきました。

武士の政治と関わることもありました。

儀礼に関わることもありました。

暦や占い、まじないについての知識が、より広い社会へ伝わっていくこともありました。

国立歴史民俗博物館の展示では、古代・中世・近世という長い時間の中で、陰陽師の役割がどう変わってきたのかが紹介されています。

ここで、少し考えてみてください。

「陰陽師とは何ですか?」

という質問があります。

さて、どの時代の陰陽師について聞いているのでしょう。

奈良時代?

平安時代?

鎌倉時代?

江戸時代?

……。

同じ陰陽師という言葉を使っていても、時代によって社会との関わり方は変わっています。

そのため、一つの時代の姿だけで、

「陰陽師とは、こういう人です」

と決めてしまうと、見落としてしまうことがあるんです。

これも、なかなか面白いところですよね。

暦は、貴族だけのものから人々の暮らしへ広がっていった

さて、暦の話に戻りましょう。

最初、暦は国家や貴族にとって重要なものでした。

でも、時代が進むと、より広い人々の生活の中へと普及していきます。

仮名で書かれた暦。

印刷された暦。

各地で発行される地方暦。

そうしたものが登場しました。

例えば、京暦。

伊勢暦。

南都暦。

地域によって、特色のある暦が作られていたんです。

ところで、今の私たちは、カレンダーをどこで買いますか。

文房具店?

書店?

ネットショップ?

あるいは、スマートフォンのアプリでしょうか。

昔も、暦を人々が手に入れて使うという文化が広がっていったんですね。

しかも、そこには、その土地や時代の暮らしが反映されていました。

何を大切な日と考えるか。

どんな行事があるか。

どんな吉凶判断があるか。

そうした情報が、暦に含まれる場合がありました。

つまり、暦は単に時間を知るための道具ではなく、その社会が時間にどんな意味を与えていたのかを知る手がかりにもなるんです。

参考:国立国会図書館「日本の暦|日本全国の地方暦」

大安や仏滅も、ずっと昔から同じ意味だったの?

さて、ここで、現代の話です。

「今日は大安だから、結婚式によさそう」

「仏滅だから、別の日にしようかな」

そんな話を聞いたことはありませんか。

カレンダーに、

大安。

仏滅。

友引。

などと書かれていることがありますよね。

これらは、**六曜(ろくよう)**と呼ばれています。

さて、ここで質問です。

六曜は、安倍晴明がいた平安時代から、今とまったく同じ形で使われていたのでしょうか。

……実は、そうではありません。

国立国会図書館によると、六曜は14世紀頃に中国から日本へ伝わり、広く普及したのは幕末以降です。

しかも、その名前や順序も、時代によって変化してきました。

つまり、現在の大安や仏滅の使い方を、そのまま平安時代の陰陽師に結びつけることはできないんです。

……意外ですよね。

「昔からずっと同じものだと思っていた!」

という人もいるかもしれません。

でも、調べてみると、ちゃんと歴史があるんです。

ちなみに、六曜だけでなく、暦にはさまざまな吉凶の注記がありました。

十二直(じゅうにちょく)など、別の分類もあります。

昔の暦は、日付以外の情報もずいぶんにぎやかだったんですね。w

参考:国立国会図書館「日本の暦|吉凶を表す言葉①六曜」

「今日は大安」と知った瞬間、何が変わる?

さて、ここから少し、人間の認識の話です。

例えば、今日は日曜日です。

朝起きました。

ご飯を食べました。

買い物に出かけようと思いました。

さて、ここまでは、いつもどおりです。

ところが、カレンダーを見て、

「今日は大安だ!」

と気づきました。

すると、

「今日は何かよいことがありそう!」

と思う人もいるかもしれません。

反対に、

「今日は仏滅だ」

と知って、

「何となく、よくないことが起こりそう」

と感じる人もいるでしょう。

さて、ここで考えてみてください。

日付そのものは変わったのでしょうか。

変わっていませんよね。

朝起きた日と、カレンダーを見た後の日は、同じ日です。

でも、そこに、

「今日は縁起がよい日」

「今日は縁起が悪い日」

という情報が加わったことで、感じ方が変わる場合があります。

……面白いですよね。

日付は同じ。

天気も同じ。

予定も同じ。

でも、その日についての説明を知ったことで、特別な感じが生まれることがあるんです。

ここに、そとがわメソッドで観察できる面白さがあります。

「大安だから楽しみ」と「仏滅だから不安」は、同じ仕組み?

さて、もう少し考えてみましょう。

「今日は大安だから、なんだか楽しみ!」

と思ったとします。

一方、

「今日は仏滅だから、失敗しそうで不安」

と思ったとします。

どちらも、暦に書かれた言葉を受け取っています。

でも、そこから生まれた反応が違います。

一方は、楽しみです。

もう一方は、不安です。

では、違いはどこから生まれたのでしょう。

「大安」や「仏滅」という言葉に、どんな意味を持っているか。

その意味を、どれくらい大切にしているか。

これまでに、どんな経験があったか。

これから何が起こると予測しているか。

そうしたことが関わっているかもしれません。

例えば、仏滅の日に結婚式をするとします。

ある人は、

「別に気にならないけど?」

と思うかもしれません。

別の人は、

「何となく気になるなあ」

と思うかもしれません。

さらに別の人は、

「親が嫌がるかもしれない」

と思うかもしれません。

同じ日付です。

でも、気になっていることが違いますよね。

一人は、吉凶そのものが気になっているかもしれません。

別の人は、家族の反応が気になっているかもしれません。

同じ「気になる」でも、その中身まで同じとは限らないんです。

そとがわメソッドでは、何を観察するの?

ここで、そとがわメソッドの視点から考えてみましょう。

例えば、結婚式の日程を決めようとしています。

候補の日が、仏滅でした。

それを知って、不安になったとします。

さて、実際に何が起きたのでしょう。

まず、結婚式の日程の候補がありました。

次に、その日が仏滅だと知りました。

そして、

「仏滅は、よくない日だ」

という意味が加わりました。

さらに、

「この日に結婚式をしたら、何か悪いことが起きるかもしれない」

と予測したとします。

そこで、不安が生まれました。

こうして、一つずつ分けて考えることができます。

でも、ここでさらに、

「仏滅を気にするなんて、私は考え方がおかしいのかな」

と思ったとしたら?

今度は、不安になった自分に対して、別の評価が加わっています。

最初は、日程についての不安でした。

でも、その後、

「不安になる自分はおかしい」

という新しい苦しさが生まれているかもしれません。

そとがわメソッドでは、こうした出来事と色づけ、一次反応や二次反応などを分けて観察します。

ここで、

「仏滅なんて気にしないようにしましょう」

という話をしたいわけではありません。

「占いや暦を信じるのはよくない」

という話でもありません。

ただ、

自分は何を知り、そこから何を予測し、なぜその反応を必要としたのか

を見ていくんです。

「今日はよくない日」と言われたら、何を守ろうとする?

さて、もう一つ考えてみましょう。

「今日はよくない日ですよ」

と言われました。

あなたは、何か大切な予定を入れています。

そこで、心配になったとします。

では、何が心配だったのでしょう。

予定がうまくいかないこと?

失敗すること?

大切な人に何か起きること?

あとから、

「やっぱり日を変えておけばよかった」

と後悔すること?

あるいは、周りの人から、

「どうしてそんな日に決めたの?」

と言われること?

……。

同じ「よくない日」という言葉でも、何を避けたいと感じたのかは、違うかもしれません。

そして、その避けたいものによって、選ぶ行動が変わる場合があります。

日程を変更する。

誰かに相談する。

別の吉日を探す。

何度もカレンダーを確認する。

こうした行動です。

ここで、そとがわメソッドでは、さらに問いを向けることができます。

なぜ、その行動が必要になったのでしょう。

何を守ろうとしていたのでしょう。

どんな未来を危険だと判断していたのでしょう。

こうして見ていくことができます。

ただし、歴史上の陰陽道と、現代の防衛反応の観察は、同じ理論ではありません。

ここでは、暦に書かれた言葉をきっかけに、私たち自身の認識や反応を考えているんです。

知らなかったときは平気だったのに、知ったら気になる

さて、ここまで来ると、もう一つの疑問が浮かびます。

知らなかったときは気にならなかったのに、知ったら気になることって、ありませんか。

例えば、旅行先のホテルを予約しました。

写真もきれいです。

料金も手頃です。

場所も便利です。

「よし、ここにしよう!」

と思いました。

ところが、予約したあとに、ある口コミを見つけました。

「このホテルは、夜中に変な音がするらしい」

……。

え?

それを読むまでは、何も気になっていませんでした。

でも、急に不安になったとします。

さて、ホテルの建物は変わったのでしょうか。

予約した部屋は変わったのでしょうか。

……変わっていませんよね。

変わったのは、そのホテルについて知った情報です。

そして、その情報を使って、何かを予測するようになったのかもしれません。

もちろん、実際に安全上の問題があるなら、確認する必要があります。

でも、ここで注目したいのは、情報を知ることで、今まで何も感じなかったものに、特別な意味が生まれる場合があるということです。

暦の吉凶についても、似たようなことを考えられます。

何も知らなかったとき。

「今日は普通の日」

と思っていました。

でも、

「今日は特別な吉日です」

と知った。

すると、少し嬉しくなりました。

あるいは、

「今日はよくない日です」

と知った。

すると、少し不安になりました。

同じ一日でも、受け取った情報によって感じ方が変わることがあるんですね。

では、暦の吉凶は本当に未来を決めるの?

さて、ここで一つ、分けて考えたいことがあります。

「大安の日は縁起がよい」

という伝統的な意味があります。

これは、暦の文化についての説明です。

では、

「大安の日に行動すると、必ず成功する」

という話はどうでしょう。

それは、別の主張です。

「大安」という言葉が歴史的に使われてきたことと、特定の日付が現実の成功を保証することは、同じではありません。

また、実際に大安の日に結婚式をして、幸せに暮らしている人がいたとします。

では、その幸せは、大安だったから生まれたのでしょうか。

……どうでしょう。

その二人が、どんな生活をしてきたのか。

どんな関係を築いてきたのか。

どんな出来事があったのか。

さまざまなことが関係しているでしょう。

逆に、仏滅の日に結婚式をしたからといって、不幸になると決まっているわけでもありません。

こうして考えると、歴史的な習慣としての日取りと、現実の出来事の原因を分けることができます。

そして、同じことは、占いについて考えるときにも言えます。

占いが当たったと感じることと、実際に何が起きたのか。

なぜ当たったように感じたのか。

そこには、いろいろな問いがあります。

関連記事:占いが当たっていると感じるのはなぜ?バーナム効果と人間の認識の仕組み

ところで、日本のカレンダーが今の形になったのはいつ?

さて、ここで、また歴史の話に戻りましょう。

今の日本では、基本的にグレゴリオ暦が使われています。

1月は31日。

2月は28日、閏年には29日。

4月は30日。

……と、月の日数が決まっていますよね。

では、日本では、いつからこの暦が使われるようになったのでしょう。

答えは、**1873年(明治6年)**です。

明治政府は、1872年11月に改暦を発表しました。

そして、翌年から、グレゴリオ暦が採用されました。

ところが、この変更がなかなか大胆だったんです。

旧暦の明治5年12月2日。

その次の日は、旧暦なら12月3日になるところでした。

でも、政府が新しい暦を採用したため、次の日が、

明治6年1月1日

になったんです。

……。

えっ?

12月2日の次が、1月1日!?w

ちょっと待ってください。

12月の残りは?

年末は?

大掃除は?

……。

もちろん、当時の人々がみんな現代の私たちと同じ年末の過ごし方をしていたわけではありません。

でも、暦の変更が社会に大きな影響を与えたことは想像できますよね。

実際、準備期間が短かったため、混乱もあったと国立国会図書館は説明しています。

こうして、日本では、新しい暦が使われるようになりました。

しかし、昔の暦に関係する言葉や行事が、すべて消えたわけではありません。

現在でも、六曜や二十四節気、さまざまな行事などに、その名残を見ることができます。

カレンダーを一枚めくっているだけなのに、そこに長い歴史が入っているんですね。

参考:国立国会図書館「日本の暦|江戸から明治の改暦」

同じ日付なのに、昔と今では意味が違う

さて、ここまで暦の歴史を見てきました。

何だか、面白いことに気づきませんか。

私たちは、現在のカレンダーを見て、

「今日は10月18日だ」

と理解します。

でも、昔の人々が使っていた暦では、同じ季節や時期が、違う日付で表されていたことがあります。

さらに、その日付には、吉凶についての意味も加わる場合がありました。

さて、ここで質問です。

「今日は何日ですか?」という質問に、いつでも同じ答えがあるのでしょうか。

現在のグレゴリオ暦で答えるなら、決まった日付があります。

でも、別の暦法を使えば、違う表現になる場合があります。

そして、

「今日はどんな日ですか?」

という質問なら、さらにいろいろな答えが考えられます。

日曜日です。

休日です。

誕生日です。

記念日です。

大安です。

仕事の日です。

……。

同じ一日なのに、何に注目するかによって違う説明ができます。

ここで、少し不思議なことがあります。

日付そのものは、私たちが使う暦法によって表されます。

そして、その日付にどんな意味を持つかは、歴史や文化、個人の経験などによっても違う場合があります。

私たちは、同じ時間を経験していても、同じ意味でその日を過ごしているとは限らないんですね。

「陰陽師って、結局何をしていたの?」への答えが変わってきた

さて、最初の質問に戻りましょう。

陰陽師とは、何をしていた人なのでしょう。

最初は、

式神を操る人。

妖怪と戦う人。

不思議な術を使う人。

そんな姿を思い浮かべたかもしれません。

でも、ここまで歴史を見てきました。

古代の陰陽寮。

陰陽師、陰陽博士、暦博士、天文博士。

時刻を測る役職。

宮廷社会で重要だった暦。

方位の吉凶と方違え。

安倍晴明という実在した専門家。

そして、その人物をもとに発展した伝説。

さらに、中世や近世へと広がっていった陰陽道の文化。

……。

ずいぶん、いろいろなことが出てきましたね。w

では、今、

「陰陽師とは何ですか?」

と聞かれたら、どう答えるでしょう。

最初と同じ答えになるでしょうか。

もしかすると、

「日本の歴史の中で、暦や天文、占いや儀礼などに関わっていた専門家たちのことだよ」

と答えるかもしれません。

さらに、

「ただし、時代によって役割は違うし、安倍晴明には後世の伝説もあるんだよ」

と付け加えるかもしれません。

知識が増えると、同じ言葉から思い浮かぶものも変わることがある。

ここ、なかなか面白いところですよね。

最初から「正しい答え」を知っていなくても、知ることはできる

さて、ここで最後にもう一つ。

陰陽師について、最初に式神を思い浮かべたとします。

では、それは間違いだったのでしょうか。

必ずしもそうとは限りません。

現代の作品では、式神を使う陰陽師が実際に描かれています。

そういう作品を見ていたなら、その姿を思い浮かべるのは自然なことです。

ただし、

「歴史上の陰陽師も、みんな現代の作品と同じように式神で戦っていた」

と考えるなら、別に確かめる必要があります。

自分が何を知っていたのか。

その知識は、どこから得たものなのか。

実際の歴史資料には、何が記されているのか。

そうしたことを分けてみることができます。

そして、ここで、

「そんなことも知らなかった自分はダメだ」

と思う必要はありません。

ただ、知らなかったことを知ったんです。

「へえ、そうだったんだ!」でいいんですよね。w

むしろ、それが知ることの面白さなのかもしれません。

よくある質問

Q. 陰陽思想と陰陽道は同じものですか?

同じではありません。

陰陽思想は、古代中国で発展した自然哲学の考え方です。

一方、日本の陰陽道は、陰陽五行説や暦法、天文、占いなど、中国から伝わったさまざまな知識や技術をもとに、日本の国家制度や社会の中で形成され、発展しました。

Q. 陰陽師は占いだけをしていたのですか?

いいえ。

陰陽師は占いや吉凶判断などを担当しましたが、陰陽道に関わる仕事全体には、暦、天文、時刻の測定、儀礼など、さまざまなものがありました。

古代の陰陽寮では、陰陽師、暦博士、天文博士など、専門の役職も分かれていました。

Q. 安倍晴明は、本当に実在した人物ですか?

はい。

安倍晴明は、平安時代に実在した陰陽師です。

ただし、式神を操ったり、不思議な術で敵と戦ったりする物語には、後世の伝承や創作の要素が含まれています。

歴史上の人物と、伝説や作品に描かれた人物像は、区別して考えることができます。

Q. 大安や仏滅は、陰陽師が決めたものですか?

現在の大安や仏滅は、六曜という暦の分類です。

六曜は中国から日本へ伝わり、広く普及したのは幕末以降とされています。

そのため、平安時代の陰陽師が、現在の六曜をそのまま使っていたと考えることはできません。

Q. そとがわメソッドと陰陽道には、関係がありますか?

そとがわメソッドは、陰陽道の理論を用いた占術や儀礼ではありません。

ただし、歴史の中で日付や方角に意味が与えられてきたことは、私たちが普段どのように出来事を受け取り、意味を加えているのかを考えるきっかけになります。

そとがわメソッドでは、出来事と色づけ、そこから生まれる反応などを分けて観察します。

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参考文献・資料

  • 国立歴史民俗博物館(2023)「陰陽師とは何者か―うらない、まじない、こよみをつくる―」。企画展示公式ページ
  • 国立歴史民俗博物館(2023)『陰陽師とは何者か―うらない、まじない、こよみをつくる―』展覧会図録。国立歴史民俗博物館
  • 一般社団法人日本東洋医学会「基本概念 陰陽」。公式解説
  • 国立天文台暦計算室「暦Wiki|暦の伝来から宣明暦まで」。歴史解説
  • 国立国会図書館「日本の暦|暦の渡来と普及」。暦の歴史と具注暦
  • 国立国会図書館「日本の暦|日本全国の地方暦」。暦の普及と地域ごとの特色
  • 国立国会図書館「日本の暦|吉凶を表す言葉①六曜」。大安・仏滅の歴史
  • 国立国会図書館「日本の暦|江戸から明治の改暦」。明治の暦の変更
  • ベルナール・フランク(斎藤広信訳、1989)『方忌みと方違え―平安時代の方角禁忌に関する研究』岩波書店。CiNii Books
  • 『日本大百科全書』「陰陽寮」。コトバンク

※この記事では、中国で発展した陰陽思想、日本の陰陽道、古代の陰陽寮の役職、安倍晴明に関する後世の伝承、現代の暦の慣習を、それぞれ区別して紹介しています。

まとめ|陰陽師の歴史を知ると、カレンダーまで面白くなる

陰陽師と聞くと、式神や呪術を使う人物を思い浮かべるかもしれません。

でも、歴史を調べてみると、違う姿が見えてきます。

古代日本には、陰陽寮という役所がありました。

そこでは、占い、天文、暦、時刻などに関する仕事が行われていました。

そして、陰陽道は、中国から伝わったさまざまな知識や技術をもとに、日本の社会や文化の中で発展していきました。

安倍晴明のように、実在した陰陽師もいました。

一方、後世には、その人物をもとに、さまざまな物語や伝説が生まれました。

また、暦には、日付だけでなく、吉凶などの情報が書かれていました。

そして、その情報は、人々の行動や社会の習慣と結びついていたんです。

さて、ここで、最初の質問に戻りましょう。

陰陽師とは、何をしていた人なのでしょう。

もう、最初と同じ説明だけでは足りないかもしれませんね。

時代によって違います。

役職によって違います。

歴史上の人物なのか、伝説上の人物像なのかによっても違います。

そして、どんな知識を使って世界を理解していたのかも、違います。

私たちは、今まで知っていたことを使って世界を見ています。

だから、何かの新しい知識に出会うと、それまで当たり前だったものが、少し違って見えることがあります。

例えば、カレンダー。

今までは、ただ日付を見る道具だったかもしれません。

でも、暦の歴史を知った今なら、

「昔の人は、この日付にどんな意味を持っていたんだろう?」

と考えられるかもしれません。

陰陽師について調べていたら、いつものカレンダーが急に面白くなってきました。w

それも、知ることの楽しさなのかもしれませんね。

人間が意味や反応を生み出す仕組みを、もっと知りたい方へ

私たちは普段、目の前の出来事を当たり前のように理解しています。

でも、その理解には、今までに知ってきたことや、経験してきたことが関係している場合があります。

ある日付を見た。

「今日は特別な日だ」と知った。

何かいいことが起きそうだと思った。

あるいは、何か悪いことが起きそうだと思った。

そして、楽しみになったり、不安になったりした。

さて、その間で何が起きていたのでしょう。

そとがわメソッドでは、出来事と色づけ、一次反応や二次反応、その後の行動などを分けて観察していきます。

自分の感じ方を否定するためではありません。

正しい考え方を一つに決めるためでもありません。

なぜ、自分にはその意味が生まれたのか。なぜ、その反応が必要になっていたのか。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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