「おやつがいい?シュークリームがいい?」は変な質問?言葉の分類がすれ違う理由

ある日、お母さんが小さな子どもに、こんなことを聞いていました。

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

……ん?

シュークリームって、おやつじゃないの?w

思わず、そんな疑問が浮かびます。

だって、シュークリームはお菓子ですよね。

午後のおやつに食べることもあります。

なのに、

「おやつがいい?」

「シュークリームがいい?」

と、別々の選択肢になっています。

えっ?

シュークリーム、おやつから独立したんですか?

いつの間に?w

……でも、ちょっと待ってください。

この質問、本当におかしいのでしょうか。

もしかすると、お母さんにはちゃんと意味があったのかもしれません。

しかも、質問された子どもも、何の疑問もなく理解していた可能性があります。

外から聞いている人には不思議でも、話している二人の間では普通に成立している。

そんな会話、日常には結構あるのかもしれません。

今回は、この「おやつとシュークリーム問題」から、人間がどのように言葉を分類し、理解しているのかを考えてみましょう。

目次

そもそも、シュークリームはおやつなの?

まずは、ここから確認しましょう。

シュークリームは、おやつなのでしょうか。

農林水産省では、おやつについて、食事と食事の間にとる「間食」として説明しています。

例えば、昼食と夕食の間。

少しお腹がすいたときに食べるものです。

一方、シュークリームは洋菓子の一種です。

ここで、少し不思議なことに気づきます。

「おやつ」という言葉は、主にいつ、どのような場面で食べるのかに関係しています。

「シュークリーム」という言葉は、どんな食べ物なのかを表しています。

つまり、そもそも分類の基準が違うんです。

例えば、目の前に一つのシュークリームがあるとしましょう。

午後3時に食べれば、

「今日のおやつはシュークリーム!」

と言えます。

夕食のあとに食べれば、

「今日のデザートはシュークリーム!」

と言えます。

洋菓子店で売られていれば、

「シュークリームという洋菓子」

です。

さて。

シュークリーム自体は、何か変わりましたか。

変わっていませんよね。

同じシュークリームなのに、何に注目するかで、違う分類に入っているんです。

食べる時間。

食べる場面。

食べ物の種類。

それぞれ違う基準です。

ちなみに、間食としておにぎりを食べることもできますよね。

その場合、おにぎりはお菓子ではありませんが、おやつにはなり得ます。

つまり、「おやつ」と「お菓子」も、まったく同じ意味ではないんです。

普段は何となく使っている言葉ですが、こうして整理すると、案外ややこしいですね。w

参考:農林水産省「おやつの意味を知りましょう」

では、なぜ「おやつ」と「シュークリーム」を別々にしたの?

さて、本題です。

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

一般的な意味では、シュークリームはおやつとして食べられます。

それなのに、なぜ別々の選択肢になっていたのでしょう。

考えられることはいくつかあります。

1. 「おやつ」が、いつものお菓子を指していた

例えば、その親子には、いつも食べているビスケットがあったとします。

家では、そのビスケットを「おやつ」と呼んでいました。

すると、お母さんの質問は、こういう意味だったのかもしれません。

「いつものビスケットにする? それともシュークリームにする?」

これなら、何の問題もありません。

お母さんの中では、

「おやつ=いつものビスケット」

だったわけです。

しかも、子どももそう理解していたら?

「シュークリーム!」

と、普通に選べますよね。

外から聞いていた人には、

「いや、シュークリームもおやつやろ!w」

と感じられる。

でも、親子の間では通じている。

面白いですよね。

2. 「普通のおやつ」と「特別なおやつ」を区別していた

もう一つの可能性があります。

普段のおやつは、家にあるお菓子。

でも、今日はシュークリームもある。

そこで、

「いつものおやつにする? それともシュークリームにする?」

という意味で聞いたのかもしれません。

これも、会話としては十分に考えられます。

例えば、

「いつものご飯にする? お寿司にする?」

という質問なら、どうでしょう。

お寿司だって食事です。

でも、「いつもの食事」と「お寿司」を区別したいなら、通じることがありますよね。

お母さんの質問も、同じように考えられるかもしれません。

3. 子どもが分かる言葉を選んでいた

さらに、小さな子どもだったということも関係しているかもしれません。

大人同士なら、

「家にあるお菓子の中から選ぶ? それとも買ってきたシュークリームにする?」

と言うところを、

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

と短く聞いたのかもしれません。

子どもが普段から「おやつ」と呼んでいるものを、お母さんも同じように呼んでいた可能性があります。

ここでは、言葉を細かく説明することよりも、その子どもに伝わることを優先したのかもしれません。

もちろん、これらはすべて可能性です。

実際のお母さんが、どんな意味で質問したのかは分かりません。

聞いてみないと確定できませんよね。

でも、たった一つの質問にも、これだけ違う説明が考えられるんです。

文法的に変な質問でも、会話としては通じる?

では、もう少し考えてみましょう。

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

この質問は、二つの選択肢がきれいに分かれていないように聞こえます。

おやつとして食べられるものの中に、シュークリームも含まれるからです。

でも、実際の会話では、すべての選択肢が辞書的に重ならないように説明されているとは限りません。

例えば、こんな場面を想像してみてください。

冷蔵庫には麦茶とコーラがあります。

そこで、

「飲み物にする? コーラにする?」

と言われました。

……コーラも飲み物ですけど?w

と思うかもしれません。

でも、家族の間で、普段から麦茶を「飲み物」と呼んでいるならどうでしょう。

「麦茶にする? コーラにする?」

という意味で通じるかもしれません。

今度は、果物です。

食卓に切ったリンゴと、丸ごとのバナナが置いてあります。

「果物がいい? バナナがいい?」

……バナナも果物ですね。w

でも、その場にあるものを見ながら話しているなら、

「切ってあるリンゴにする? バナナにする?」

という意味で理解できるかもしれません。

ここで大切なのは、例文そのものが誰にとっても自然だということではありません。

会話では、言葉の意味だけでなく、その場で共有されている情報が使われているということです。

家族なら通じる。

でも、初めて聞いた人には通じない。

そんな会話は、いくらでもありそうですよね。

同じ言葉でも、頭に浮かぶものが違う?

では、ここで少し遊んでみましょう。

「おやつ」

という言葉を聞いてください。

何が浮かびましたか。

チョコレート?

クッキー?

ポテトチップス?

シュークリーム?

それとも、焼き芋でしょうか。

もしかすると、おにぎりを思い浮かべた人もいるかもしれません。

同じ「おやつ」という言葉です。

でも、人によって思い浮かべるものが違います。

しかも、同じ人でも、状況によって違います。

子どもの頃のおやつ。

学校から帰ってきたときのおやつ。

仕事中に食べるおやつ。

旅行先で買うおやつ。

それぞれ違うものを想像するかもしれません。

では、どうしてでしょう。

実は、言葉の分類については、心理学でも研究されています。

プロトタイプとは?「いかにもそれらしい」と感じる代表例

心理学には、「プロトタイプ」という考え方があります。

簡単にいうと、あるカテゴリーの中で、特に代表的だと感じられるもののことです。

例えば、

「鳥」

と言われたら、何を思い浮かべますか。

スズメでしょうか。

ハトでしょうか。

カラスでしょうか。

では、ペンギンはどうでしょう。

ペンギンも鳥です。

でも、

「鳥の絵を描いてください」

と言われたとき、最初からペンギンを描く人ばかりではないでしょう。

スズメのような、小さくて飛ぶ鳥を描く人も多そうです。

では、ここで考えてみてください。

スズメとペンギンは、どちらの方が鳥なのでしょう。

……どちらも鳥ですよね。w

でも、「いかにも鳥らしい」と感じられる程度は、違う場合があります。

これが、カテゴリーの典型性という話につながります。

1975年、心理学者エレノア・ロッシュとキャロリン・マーヴィスは、カテゴリーに含まれるものの典型性について研究しました。

この研究では、カテゴリーの代表的な例は、そのカテゴリーのほかのものと多くの特徴を共有している一方、別のカテゴリーのものとは共有する特徴が少ない傾向があることなどが検討されています。

つまり、カテゴリーの中に入るかどうかだけではなく、

そのカテゴリーらしさを、どの程度感じるか

ということも、人間の認識には関係するんです。

参考:Rosch & Mervis(1975)「Family resemblances: Studies in the internal structure of categories」

「知っている」ことと「最初に思い浮かぶ」ことも違う

では、また鳥の話です。

「ペンギンは鳥ですか?」

と聞かれたら、

「はい」

と答えられます。

でも、

「鳥といえば?」

と聞かれたら、スズメを思い浮かべるかもしれません。

これは別の問いですよね。

前者は、カテゴリーに含まれるかどうか。

後者は、そのカテゴリーから何を思い浮かべやすいか。

そして、この違いは記憶の研究でも扱われています。

1984年、石毛明子さんと箱田裕司さんは、カテゴリーに含まれるものの典型性が、記憶のまとまり方にどのように関係するのかを調べました。

研究では、家具、野菜、虫、鳥、動物、道具というカテゴリーに属する単語を使い、典型性の高いものと低いものによって、記憶の再生やカテゴリーごとのまとまり方に違いが見られることが報告されています。

ここでも、単に名前を知っているかどうかだけではない、人間の分類の働きが見えてきます。

ただし、これらの研究は、最初に紹介した親子の「おやつとシュークリーム」の会話を直接調べたものではありません。

カテゴリーの代表例がどのように受け取られるのかを考えるための、関連する心理学の研究です。

参考:石毛明子・箱田裕司(1984)「カテゴリー群化における典型性効果」

じゃあ「おやつ」の代表って、何だろう?

さて、プロトタイプの話を聞いたところで、最初の質問に戻ってみましょう。

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

このお母さんにとって、「おやつ」と聞いたときに最初に思い浮かぶものは、何だったのでしょう。

例えば、いつものビスケットだったかもしれません。

子どもが好きなチョコレートだったかもしれません。

あるいは、特定の食べ物ではなく、普段家に置いてあるお菓子全体だったかもしれません。

一方、質問を聞いていた人にとっては、

「おやつ=間食として食べるもの」

という広い分類が自然だったのかもしれません。

すると、こうなります。

お母さんの中では、

「いつものおやつ」か「シュークリーム」か。

でも、聞いていた人の中では、

「おやつの中にシュークリームがある」。

分類の仕方が違うわけです。

もちろん、実際にそうだったとは限りません。

でも、こんな可能性を考えることはできますよね。

そして、ここにはもう一つ面白いことがあります。

その言葉の使い方を当たり前だと思っている本人は、何も不思議に感じていないかもしれないんです。

子どもは、いつ「シュークリームもおやつだ!」と気づくんだろう

では、少し想像を広げてみましょう。

もし、ある子どもが家庭の中で、いつものビスケットだけを「おやつ」と呼んでいたとします。

そして、シュークリームは「シュークリーム」。

プリンは「プリン」。

ケーキは「ケーキ」。

そんなふうに覚えていたとしましょう。

その子どもが、幼稚園や学校で、

「今日のおやつはプリンです」

と言われたら、どうでしょう。

……ん?

プリンって、おやつなの?

と思うかもしれません。

もちろん、実際にそのように感じる子どもがいると確認した話ではなく、仮の例です。

でも、自分が覚えてきた言葉の範囲と、ほかの人が使っている言葉の範囲が違っていたら、そんな疑問が生まれても不思議ではありません。

ここで、

「プリンもおやつなんだよ」

と教わるかもしれません。

すると、それまでの「おやつ」という言葉の範囲が、少し広がるかもしれません。

あるいは、

「家ではビスケットをおやつと呼んでいるけど、ほかのものもおやつになるんだ」

と理解するかもしれません。

言葉を知るというのは、名前を一つ覚えるだけではないんですね。

その言葉が、どこまでの範囲を指しているのかを知っていくことでもあるんです。

何気ない「おやつ」という言葉にも、こんなにいろいろなことがあるんですね。

同じものでも、どの分類で見るかによって名前が変わる

ここで、食べ物から少し離れてみましょう。

例えば、目の前に犬がいます。

犬です。

でも、別の言い方もできますよね。

動物です。

哺乳類です。

ペットとして飼われている犬なら、家族の一員と呼ぶ人もいるでしょう。

さて、犬自体は何か変わりましたか。

変わっていません。

でも、

「動物」

「犬」

「ペット」

「家族」

と、違う言葉で表すことができます。

それぞれ、注目していることが違うからです。

生物学的な分類なのか。

具体的な動物の種類なのか。

飼育しているという関係なのか。

その人にとっての存在の意味なのか。

違うものを見ているわけではありません。

同じ犬を、違う分類や関係の中で捉えているんです。

そして、ある人が「家族」と呼んだとき、

「いや、犬は人間じゃないでしょ?」

と言う人もいるかもしれません。

でも、その人は犬を人間だと言っているのでしょうか。

それとも、大切な存在だという意味で「家族」と呼んでいるのでしょうか。

言葉の分類だけを見ていると、話がかみ合わないことがあります。

同じ単語でも、何を伝えようとして使っているのかは、必ずしも一つではないんです。

「同じ意味だと思っていた」が、会話のすれ違いを生むこともある

例えば、こんな会話です。

「今日中に片づけておいてね」

「分かりました」

さて、「今日中」とは何時まででしょう。

頼んだ人は、午後5時の退勤時間までに終わらせてほしいと思っていました。

一方、頼まれた人は、今日の夜までに終わればいいと思っていました。

その結果、午後5時になっても片づいていません。

頼んだ人は、

「今日中って言ったよね?」

と言います。

頼まれた人は、

「まだ今日が終わっていないので……」

と答えます。

……何だか、すれ違いが始まりましたね。w

ここでは、両方とも「今日中」という言葉を理解しています。

でも、その場で想定していた期限が違ったんです。

もちろん、仕事には就業時間や事前の取り決めもあります。

どちらの解釈が妥当かは、その条件によって考えられます。

ただ、ここで大切なのは、

同じ言葉を理解しているつもりでも、同じ条件を思い浮かべているとは限らない

ということです。

しかも、本人にとっては、自分の解釈が自然です。

だから、

「なんで分からないの?」

という疑問が生まれることがあります。

でも、よく考えてみると、そもそも前提が違っていたのかもしれません。

最初の「おやつとシュークリーム」の話も、これと似たところがありますね。

「普通はこうする」も、何を普通と呼んでいるんだろう?

さて、ここから、もう少し人間らしい話に進みましょう。

誰かに、

「普通は、そうするでしょ?」

と言われたとします。

さて、「普通」って何でしょう。

多くの人がしていること?

その人の家庭で当たり前だったこと?

その職場で決まっていること?

あるいは、その人がずっとそうしてきたこと?

何を指しているのでしょう。

例えば、

「普通、連絡はすぐ返すでしょ?」

と言う人がいます。

その人にとっては、連絡が来たらすぐ返信することが普通なのかもしれません。

でも、別の人にとっては、仕事が終わってから返信するのが普通かもしれません。

さて、どちらが普通なのでしょう。

もちろん、業務連絡などで返信時間のルールが決まっている場合は、そのルールを確認する必要があります。

でも、単にそれぞれの習慣が違うだけなら?

「普通」という言葉だけでは、何を基準にしているか分かりません。

ここで、一つ気になることがあります。

自分にとっての普通が、いつの間にか、相手も守るべき普通になっていることがある。

これは、言葉の意味が違うだけの話ではなくなってきます。

自分が当たり前だと思っていたものを、相手にも当てはめているんです。

そして、相手が違う行動をしたとき、

「この人は普通じゃない」

という判断が生まれることもあります。

最初は、習慣の違いだったはずです。

ところが、いつの間にか、その人についての評価になっている場合があるんですね。

「おかしい質問だ」と思ったとき、何が起きていた?

さて、また最初の親子に戻りましょう。

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

これを聞いて、

「シュークリームもおやつでは?」

と思いました。

では、このとき何が起きたのでしょう。

少し分けてみます。

まず、実際に聞こえてきた言葉があります。

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

次に、自分の中に、すでに知っている分類があります。

「シュークリームはおやつとして食べることができる」

そして、そこから疑問が生まれます。

「なぜ、おやつとシュークリームを別々の選択肢にするのだろう?」

さて、この疑問は、何から生まれたのでしょう。

聞こえてきた言葉と、自分の中にある分類が、うまく一致しなかったからかもしれません。

では、そこから、

「変な質問をするお母さんだな」

と思ったとしたら?

今度は、質問した人についての評価が加わっています。

でも、実際には、その親子の間でどんな意味が共有されていたのかは、分かりません。

だから、別の問いも持てます。

「このお母さんは、何を『おやつ』と呼んでいたんだろう?」

「子どもには、どう伝わっていたんだろう?」

「もしかして、私が知らない共通の意味があるのかな?」

こうして考えると、最初は不思議だった質問が、少し違って見えてきます。

しかも、無理に「正しい解釈」を一つに決めなくても、考えることはできます。

知らないことがあるから、もっと知りたくなる。

そんな見方もできますよね。

自分の分類が違っていたからといって、自分が間違っていたわけでもない

ここでもう一つ、考えてみましょう。

最初に、

「シュークリームもおやつでは?」

と思ったこと自体は、おかしいのでしょうか。

いいえ。

一般的な意味では、シュークリームはおやつとして食べることができます。

だから、その疑問が生まれるのは不思議ではありません。

では、お母さんが「おやつ」と「シュークリーム」を区別していたとしたら、お母さんが間違っているのでしょうか。

それも、使われていた意味や状況によります。

親子の間では、「おやつ」が特定の食べ物を指していたのかもしれません。

単に「いつものおやつ」の省略だったのかもしれません。

自分の分類には、自分の分類が成立した理由があります。

相手の分類にも、別の事情があるかもしれません。

違っていると気づいたことと、どちらかが間違っていると決めることは、別の話なんです。

もちろん、定義を明確にする必要がある場面もあります。

例えば、食品表示やアレルギーに関わる説明などでは、曖昧なままにせず、具体的に確認した方がいい場合もあるでしょう。

言葉が曖昧でも、いつでも問題ないという話ではありません。

ただ、日常のちょっとした会話では、多少省略されていても伝わることがあります。

そして、伝わらなかったなら、確認することもできます。

「おやつって、何があるの?」

これだけでも、話が進みますよね。

そとがわメソッドでは、「当たり前」がどう生まれたのかも見る

そとがわメソッドでは、出来事と、そこに加わる意味づけや反応を分けて観察します。

例えば、今回の話なら、

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

という言葉を聞きました。

自分の中には、

「シュークリームはおやつに含まれる」

という分類があります。

だから、

「その二つは、別々の選択肢なの?」

という疑問が生まれました。

ここまでは、言葉と分類の話です。

では、そこから、

「なんで、そんな変な聞き方をするの?」

と感じたとしたら?

あるいは、

「私の理解がおかしいのかな?」

と不安になったとしたら?

今度は、その分類の違いに対して、自分の中で意味や反応が生まれています。

さらに、相手から、

「そんなことも分からないの?」

と言われたとしたらどうでしょう。

そこで、

「自分が否定された」

と感じることもあるかもしれません。

同じ「言葉の意味が違った」という出来事でも、そこから何が生まれるかは、人によって違う場合があります。

そして、ここには、そとがわメソッドで考えられる問いがあります。

なぜ、その違いが気になったのでしょう。

なぜ、その分類が自分にとって当たり前だったのでしょう。

相手と違うことが分かったとき、何を予測したのでしょう。

もし不安や怒りが生まれたなら、その反応は何を守ろうとしていたのでしょう。

そうしたことを観察できます。

「もっと柔軟な考え方をしましょう」

という話ではありません。

「違和感を感じない人になりましょう」

という話でもありません。

その違和感が、どういう仕組みで生まれていたのかを知る。

そんな見方です。

分類って、意外とあちこちにある

ところで、私たちは毎日、ものを分類しています。

食べ物。

乗り物。

家族。

仕事。

趣味。

感情。

性格。

いろいろあります。

例えば、

「これは仕事です」

と言われたら、何を思い浮かべるでしょう。

会社に行って働くこと?

家でパソコンを使うこと?

お店でお客さんに対応すること?

家事や育児は、どうでしょう。

何を「仕事」と呼ぶかは、どんな意味で使っているかによって違うことがあります。

また、

「あの人は優しい人だよ」

と言われたら、何を思い浮かべますか。

頼み事を断らない人?

困っている人を助ける人?

相手を否定しない人?

言いにくいことでも、必要なら伝える人?

何を「優しい」と感じるかにも、違いがあるでしょう。

こうして考えると、人間は言葉を知っているだけでなく、その言葉にいろいろな範囲や基準を与えていることが分かります。

しかも、自分の中では、それが自然なんです。

だからこそ、ほかの人が違う分類を使っていたとき、

「えっ?」

と思うことがあるんですね。

これは、冥王星が惑星から準惑星に分類された話とも、少し似ています。

もちろん、天文学の正式な分類と、日常会話で共有される意味は、同じように決まるものではありません。

それでも、

「何を基準に、そう呼んでいるのか?」

という問いは共通しています。

この話は、こちらの記事でも紹介しています。

冥王星はなぜ惑星ではなくなった?「学校で習った正解」が変わる理由

さて、シュークリームはおやつなのか?

もう一度、最初の質問です。

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

あなたなら、どう答えますか。

「シュークリームもおやつじゃん!」

と思うかもしれません。

「おやつって、何があるの?」

と聞くかもしれません。

「シュークリーム!」

と、何も気にせず答えるかもしれません。

それぞれ、違う反応ですね。

でも、ここまで読んだら、もう一つの疑問も生まれるかもしれません。

そもそも、この親子にとっての『おやつ』って、何だったんだろう?

そうなんです。

私たちは、実際には、お母さんが何を指していたのかをまだ知りません。

子どもがどう理解したのかも、知りません。

でも、自分の中にある分類を使って、いろいろなことを考えました。

もしお母さんに聞いてみたら、

「ああ、いつものビスケットのことよ」

と言うかもしれません。

あるいは、

「え? 特に深い意味はないよ?」

と言うかもしれません。

……その可能性もありますね。w

人間がいろいろ考えている間に、本人は何も考えていなかった、なんてこともあります。

それも含めて、面白いと思うんです。

よくある質問

Q. シュークリームはおやつですか?

はい。シュークリームは洋菓子の一種で、間食として食べる場合には、おやつになります。

「シュークリーム」は食べ物の種類を表す言葉で、「おやつ」は食べる場面や役割に関係する言葉です。

そのため、二つは異なる基準で使われています。

Q. おやつとお菓子の違いは何ですか?

「おやつ」は食事と食事の間にとる間食を指すことがあり、「お菓子」は食べ物の種類を表します。

例えば、おにぎりを間食として食べれば、おやつにはなり得ますが、通常はお菓子とは呼びません。

一方、シュークリームはお菓子であり、おやつにもなり得ます。

Q. 心理学のプロトタイプとは何ですか?

あるカテゴリーの中で、特に代表的だと感じられる例を指す考え方です。

例えば、スズメもペンギンも鳥ですが、どちらが「鳥らしい」と感じられるかには違いがある場合があります。

カテゴリーに含まれるかどうかと、典型的だと感じられるかどうかは、区別して考えることができます。

Q. 同じ言葉なのに、人によって意味が違うのはなぜですか?

言葉には一般的な意味がありますが、実際の会話では、話している状況や、それまでの経験、互いに共有している情報なども使われるからです。

また、同じカテゴリーについて、何を代表的なものとして思い浮かべるかにも違いがある場合があります。

Q. 言葉の使い方が違ったときは、どちらが正しいのでしょうか?

辞書的な意味や、特定の分野で定められた定義を確認できる場合があります。

一方、日常会話では、その場で話し手が何を指していたのかを確認する必要があることもあります。

言葉の一般的な意味と、その場で伝えようとしていた内容は、分けて考えることができます。

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参考資料

※心理学の研究は、カテゴリーの典型性や記憶について調べたものです。この記事で取り上げた親子の会話そのものを研究した結果ではありません。

まとめ|同じ言葉でも、同じものを思い浮かべているとは限らない

「おやつがいい? シュークリームがいい?」

この一言から、いろいろなことが見えてきました。

シュークリームは、おやつとして食べることができます。

でも、「おやつ」が親子の間で特定の食べ物を指していたなら、別々の選択肢として成立するかもしれません。

同じ言葉を使っていても、どんな範囲を指しているかが違うことがあります。

そして、ある分類が自分にとって当たり前になると、違う分類に出会ったとき、疑問や違和感が生まれることがあります。

でも、その違和感があるからといって、どちらかを否定する必要はありません。

自分の分類がどうして生まれたのか。

相手は何を指していたのか。

どんな条件が違っていたのか。

そこを考えてみることができます。

「それ、おかしくない?」と思ったときこそ、人間の仕組みを知る面白い入口になるのかもしれません。

いつもの日常にある「なんで?」から、人間の仕組みを知りたい方へ

そとがわメソッドでは、出来事と意味づけ、そこから生まれる感情や身体の反応などを分けて観察します。

誰かの言葉が気になった。

自分とは違う考え方に驚いた。

相手の行動が理解できなかった。

そんなとき、

「なぜ、そう感じたのだろう?」

「自分は、何を当たり前だと思っていたのだろう?」

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と考えてみることができます。

これは、自分の考え方を否定するためのものではありません。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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