同調行動とは?みんなが同じ答えを言うと、自分の判断が揺れるのはなぜ?

友人たちと映画を見に行きました。

なかなか面白い映画でした。

ストーリーもよかったし、最後の展開には驚きました。

「いやー、面白かった!」

そう思いながら映画館を出ます。

すると、一緒に見た友人が言いました。

「いやー、微妙だったね」

……えっ?

別の友人も言います。

「途中、ちょっと退屈だった」

さらに、もう一人。

「期待してたほどじゃなかったかな」

……あれ?

自分は、結構面白かったんですけど。

いや、かなり面白かったんですけど。

でも、みんなは微妙だったらしい。

そこで、

「まあ、ちょっと長かったよね」

と言いました。

……ん?

さっきまで「めちゃくちゃ面白かった!」と思っていた人は、どこへ行ったのでしょう。w

もちろん、本当に長いと感じた場面もあったのかもしれません。

友人の感想を聞いて、自分も別の見方に気づいた可能性もあります。

でも、もし内心では変わらず面白かったと思っているのに、周りに合わせて発言を変えたとしたら?

そのとき、何が起きているのでしょう。

映画の内容は変わっていません。

自分が見た映像も、聞いた音楽も、体験したストーリーも同じです。

変わったのは、周りの人が何と言ったかという情報です。

そして、人間には、周囲の意見によって自分の判断や行動が変わることがあります。

心理学では、こうした現象を「同調」と呼びます。

今回は、そんな人間の不思議な働きを、実際の心理学の研究と日常の例から見てみましょう。

目次

同調行動とは?周りの人に合わせて判断や行動が変わること

同調行動とは、周囲の人々の意見や行動に合わせて、自分の判断や行動が変わることです。

例えば、友人たちと食事に行ったとします。

自分はカレーが食べたい。

ところが、友人たちは全員、

「今日はパスタがいい!」

と言いました。

そこで、

「じゃあ、私もパスタでいいよ」

と答えました。

これも、周りに合わせた行動の一例です。

ただ、この場合には、いろいろな可能性があります。

もともとパスタでもよかった。

みんなで同じ店に入りたかった。

自分の希望より、友人との食事を優先したかった。

本当はカレーがよかったけれど、違う意見を言いにくかった。

外から見えるのは、同じ「パスタでいいよ」という返事です。

でも、その人の中で起きていることは、同じとは限りません。

ここが面白いところです。

同じ行動をしたからといって、同じことを考えていたとは限らないんです。

では、人間は、どれくらい周りの人の意見に影響されるのでしょう。

このことを調べた、とても有名な実験があります。

アッシュの同調実験|線の長さを答えるだけなのに?

1950年代、社会心理学者のソロモン・アッシュは、集団の意見が個人の判断に与える影響を調べる実験を行いました。

使われたのは、線の長さを比べるという簡単な課題です。

参加者は、基準となる一本の線を見せられます。

そして、別に示された三本の線の中から、基準と同じ長さのものを選びます。

例えば、選択肢がA・B・Cの三本だったとしましょう。

見たところ、明らかにAが基準と同じ長さです。

特別な知識も、難しい計算も必要ありません。

普通に見れば、答えが分かる問題です。

……それなら、何が難しいのでしょう。

実は、この実験には、ちょっとした仕掛けがありました。

周りの人たちは、わざと間違った答えを言っていた

実験には、複数の人が参加しているように見えます。

でも、本当の実験参加者は一人だけ。

周りに座っている人たちは、実験者に協力している人たちでした。

そして、特定の問題では、全員そろって間違った答えを言うのです。

例えば、本当の正解がAなのに、

一人目が、

「Bです」

と言いました。

二人目も、

「Bです」

三人目も、

「Bです」

四人目も、

「Bです」

……。

さて、あなたの番です。

どう見てもAです。

でも、みんなBだと言っています。

この状況で、一人だけ「Aです」と答えられるでしょうか。

「いや、どう見てもAでしょ!」

と思う人もいるでしょう。

でも、

「えっ? 私が見間違えてる?」

と思う人もいるかもしれません。

あるいは、

「Aだと思うけど、全員Bって言ってるし……」

と迷うかもしれません。

面白いですよね。

目の前の線は、最初から変わっていません。

周りの人がBと答えたからといって、線が伸びたり縮んだりするわけでもありません。

なのに、他人の回答が加わっただけで、自分の答えまで変わることがある。

さて、実際の参加者たちはどうしたのでしょう。

実験結果|約37%の回答が、間違った多数派に合わせていた

アッシュの代表的な研究結果では、周囲の人がそろって間違った答えを示した試行において、参加者の回答の約36.8%が多数派の誤答と一致しました。

これ、結構驚きませんか。

線の長さを比べるだけの課題です。

しかも、普通に見れば答えが分かるような問題です。

それなのに、周りが全員同じ間違いを言うと、その答えに合わせる場合があったんです。

ただし、ここで数字の意味を間違えないようにしておきましょう。

「参加者の37%が、どんなときでも人に合わせる性格だった」

という意味ではありません。

約36.8%というのは、周囲が誤答する条件での回答全体に占める、同調した回答の割合です。

すべての参加者が同調したわけでも、同調した人がすべての問題で間違えたわけでもありません。

自分の判断を答えた人もいます。

つまり、この実験から見えてくるのは、

「人間は必ず多数派に従う」

ということではなく、

「自分には分かっているような問題でも、周囲の意見が回答に影響する場合がある」

ということなんです。

それにしても……。

全員がBと言ったところで、Aの線はAの長さなんですけどね。w

参考:Asch(1956)「Studies of independence and conformity」

昔の実験だから?2023年にも追試が行われている

ここで、

「でも、それって1950年代の話でしょ?」

と思う人もいるかもしれません。

確かに、ずいぶん昔の研究です。

ところが、2023年にも、アッシュの同調実験を再現・拡張した研究が発表されています。

研究したのは、Axel FranzenさんとSebastian Maderさんです。

この研究でも、線の長さを判断する課題が使われました。

周囲の協力者がそろって間違った回答をする状況をつくり、本当の参加者がどのように答えるかを調べました。

報酬のない条件では、周囲が誤答した場面での平均誤答率は約33%でした。

1950年代のアッシュの結果と、近い数字です。

さらに研究では、正しく答えた場合に金銭的な報酬を得られる条件も調べています。

すると、平均誤答率は約25%に下がりました。

つまり、正解することへの報酬があると、同調の程度が減ったんです。

ただし、ゼロにはなりませんでした。

これも面白いところですよね。

周りに合わせるかどうかは、その人の性格だけで決まるわけではないのかもしれません。

正しく答えることに、どんな意味があるのか。

間違えることによって、何が起きるのか。

そうした条件も関係する場合があるわけです。

なお、この研究は主に大学生を対象に行われたものです。

その数字を、現代日本のあらゆる職場や集団に、そのまま当てはめることはできません。

でも、周囲の意見が人間の判断に影響する現象を考える、興味深い研究です。

参考:Franzen & Mader(2023)「The power of social influence: A replication and extension of the Asch experiment」

どうして、周りと同じ答えを言いたくなるの?

さて、どうして人は、周りと同じ答えを言うことがあるのでしょう。

いくつかの可能性を考えてみましょう。

1. 自分の判断が間違っているかもしれないと思う

最初は、Aが正しいと思っていました。

でも、周りの人が全員Bと答えました。

そこで、

「もしかして、私が何か見落としているのかな?」

と思ったとします。

自分にはAに見えている。

でも、ほかの人は全員Bと言っている。

それなら、自分が間違っている可能性もある。

そう考えることはできますよね。

普段、私たちはほかの人の情報を参考にしています。

知らない場所で道に迷ったとき、詳しい人に聞くことがあります。

自分には分からないことがあれば、知っている人の説明を参考にします。

これは、日常生活で役立つことも多い働きです。

ただ、今回のように、周囲の情報が間違っていたらどうでしょう。

役立つはずの「人の意見を参考にする」という働きが、自分の判断を迷わせることもあるんです。

2. 自分の答えは分かっているけれど、違うことを言いにくい

もう一つの可能性があります。

自分では、Aが正しいと分かっています。

周りのBという答えが間違っていることも、分かっています。

それでも、

「ここで私だけAって言うの?」

と思うかもしれません。

「変な人だと思われたら嫌だな」

「空気を悪くしたくないな」

「みんなと違うことを言うの、ちょっと気まずいな」

そう思ったとします。

すると、内心ではAが正しいと思っているのに、

「……Bです」

と答える場合も考えられます。

ここでは、線の長さを見分けられなかったわけではありません。

正しいと思っていることと、実際に発言することが違っていた可能性があります。

同じ「Bです」という回答でも、なぜその答えを言ったのかは、一つとは限らないんです。

3. その場の条件によって、何を優先するかが変わる

では、もし正解したら1万円もらえるとしたら?

間違えたら、自分の仕事に影響するとしたら?

逆に、正しいことを言っても特に何も変わらず、周りと違う意見を言うことで気まずくなるとしたら?

どうでしょう。

同じ人でも、場面によって重視することが変わるかもしれません。

もちろん、実際にどう答えるかは人によって異なります。

ただ、先ほどの2023年の追試でも、正解への報酬が加わることで、同調の程度に変化が見られました。

ここで分かるのは、周りに合わせるという行動も、その場の条件と無関係ではないということです。

同じ「Bです」でも、頭の中はまったく違うかもしれない

ちょっと、面白い想像をしてみましょう。

三人の人が、アッシュの実験に参加したとします。

全員、最後には「Bです」と答えました。

さて、この三人は、同じことを考えていたのでしょうか。

一人目の人は、

「みんながBって言っているんだから、私が見間違えているんだろう」

と思っていたかもしれません。

二人目の人は、

「いや、どう見てもAだけど、ここで一人だけ違うことを言うのは嫌だな」

と思っていたかもしれません。

三人目の人は、

「何か特別なルールでもあるのかな? みんなBって答えてるし、とりあえず合わせよう」

と思っていたかもしれません。

もちろん、これは考えられる例です。

実際の参加者が全員そのように考えたと確認されたわけではありません。

でも、ここには大切な違いがあります。

三人とも「Bです」と答えました。

外から見ると、まったく同じ行動です。

でも、その答えに至るまでの判断や予測は、違っていた可能性があります。

つまり、

人間の行動を見ただけで、その人の中で起きていたことをすべて分かったことにはならないんです。

これは、同調に限らない話ですよね。

例えば、誰かが頼み事を引き受けたとします。

喜んで引き受けたのかもしれません。

断るのが怖かったのかもしれません。

今は引き受けた方が都合がいいと判断したのかもしれません。

同じ「いいですよ」という返事でも、違うことが起きている場合があります。

その人の中で何が起きていたのかは、外から見える行動だけでは決められないんですね。

全員が賛成した会議。本当に全員が賛成していた?

では、今度は職場の会議を想像してみましょう。

新しい企画について話し合っています。

最初に、上司が言いました。

「私は、この企画で進めるのがいいと思います」

続いて、別の人が、

「私も賛成です」

と言いました。

さらに、

「私もいいと思います」

「特に問題ないと思います」

という意見が続きました。

さて、あなたは少し違うことを考えています。

「この予算だと、ちょっと厳しいんじゃないかな」

「前回も似たようなことで問題が起きていたし」

でも、周りは全員賛成しています。

そこで、

「……私も大丈夫だと思います」

と答えました。

そして、会議が終わります。

議事録には、

「全員賛成」

と書かれました。

……あれ?

全員が賛成したことにはなっていますが、全員が同じ考えだったとは限りません。w

もちろん、本当に全員が賛成している場合もあります。

ただ、違う意見を持っていても、その場では言わなかった人がいる可能性もあります。

会議で反対意見が出なかったことと、参加者全員に反対意見がなかったことは、同じではありません。

これは、なかなか重要な違いですよね。

「みんな賛成している」も、よく考えると不思議

さて、その会議の話をもう少し続けます。

あなたは、周りが全員賛成していたので、自分も賛成しました。

でも、もし別の人も、

「本当は反対だけど、みんな賛成してるし……」

と思っていたらどうでしょう。

さらに、もう一人も、

「私だけ違う意見を言うのは、ちょっと……」

と思っていたら?

実際には、何人かが違う考えを持っていたのかもしれません。

でも、誰もその考えを表に出していません。

その結果、全員が、

「みんな賛成している」

と思っている。

……えっ?

みんなの意見に合わせたつもりが、その「みんなの意見」自体が、合わせ合った結果かもしれないんです。w

これは、日常の場面を考えるための例です。

アッシュの線の実験が、そのまま職場の会議で同じことが起きると証明しているわけではありません。

ただ、外から見える発言と、その人が内心で考えていることは、必ずしも一致しないという視点は持てます。

そして、その違いに気づくと、

「全員が賛成した」

という出来事についても、少し違った見方ができる場合があります。

では、なぜ違う意見を言うことが怖くなるの?

ここから、そとがわメソッドの話につながってきます。

例えば、会議で自分だけ反対意見を持っているとします。

そのとき、

「反対したら、面倒な人だと思われるかもしれない」

という考えが出てきたとしましょう。

では、なぜ面倒な人だと思われると困るのでしょう。

仕事がやりにくくなるかもしれない。

上司からの評価が下がるかもしれない。

周りから避けられるかもしれない。

今後、意見を聞いてもらえなくなるかもしれない。

いろいろなことが考えられます。

そうだとしたら、単に「意見が言えない」という話ではないのかもしれません。

違う意見を言うことによって、何か困ることが起きると予測している可能性があります。

そして、その予測があるなら、

「今は周りに合わせた方がいい」

という判断が生まれることもあるでしょう。

ここで大切なのは、その判断が正しかったか間違っていたかを、すぐに決めないことです。

実際に、意見を言うと不利益が生じる職場もあります。

反対意見が歓迎される職場もあります。

その場の条件は、いろいろ違います。

ただ、自分の中で何が起きていたのかは見ていくことができます。

同調してしまった自分を責めると、もう一つ反応が増える

例えば、会議では何も言えませんでした。

みんなに合わせて、

「賛成です」

と答えました。

そして、会議が終わったあと。

「なんで反対意見を言わなかったんだろう」

と思ったとします。

「私って、いつも人に合わせちゃうな」

「自分の考えを持てない人間なのかな」

「もっと自分軸で行動しなきゃ」

……おや?

最初は、会議で反対意見を言うかどうかという話でした。

でも今度は、反対意見を言えなかった自分について評価し始めています。

ここでも、いろいろなことが起きています。

まず、周りが賛成しているのを見た。

違う意見を言ったら何か困るかもしれないと思った。

緊張した。

反対意見を言わずに、周りに合わせた。

そのあと、

「自分は意志が弱い」

と思った。

こうして順番に見ると、最初に起きた反応と、その後に加わった評価や反応を分けることができます。

そとがわメソッドでは、こうした一次反応と二次反応、意味づけや行動を分けて観察します。

合わせる必要が生まれた。

そして、合わせた自分を責める必要まで生まれた。

そんな流れがあったのかもしれません。

ここで、

「人に合わせる自分はダメだから、今度こそ強くならなきゃ!」

と、さらに自分を変えようとすることもあるでしょう。

でも、その前に見られることがあります。

なぜ、その場では合わせる必要があったのでしょうか。

そこには、自分なりに守ろうとしたものがあったのかもしれません。

「みんなと違う」が、いつでも怖いわけではない

さて、ここで、最初の映画の話に戻ってみましょう。

友人たちは、

「微妙だったね」

と言いました。

でも、自分は面白かったと思っています。

そこで、

「えー! 私はめちゃくちゃ好きだったけどな!」

と言えたとします。

そのまま、みんなで楽しく映画の感想を話し合いました。

これなら、何も困らなかったかもしれません。

では、どうして会議では反対意見を言えなかったのでしょう。

同じように、自分だけ違う考えを持っていたはずです。

でも、片方では言えた。

もう片方では言えなかった。

何が違うのでしょう。

映画の感想なら、違っていても問題にならないと思っていたのかもしれません。

友人たちとの関係なら、自分の意見を言っても大丈夫だと感じていたのかもしれません。

一方、会議では、

「評価が下がるかもしれない」

「仕事がやりにくくなるかもしれない」

という予測があったのかもしれません。

つまり、違う意見を持つこと自体が、いつでも危険なわけではないんです。

その場で違う意見を言うことが、自分にとってどんな意味を持っているのか。

そこが関係している場合があります。

そう考えると、

「私は人に流されやすい性格だから」

という説明だけでは、少し足りないことが見えてくるかもしれません。

多数派が正しいとは限らない。でも、少数派が正しいとも限らない

ここで、もう一つ大切なことがあります。

アッシュの実験では、周囲の人たちが全員間違った答えを言っていました。

でも、それを知って、

「やっぱり、みんなと違うことを言う人が正しいんだ!」

と思ったとしたらどうでしょう。

……それも、ちょっと違いますよね。w

人数が多いから正しいとは限りません。

でも、人数が少ないから正しいとも限りません。

例えば、自分が詳しくない分野について、専門家たちが一致した説明をしている場合。

その意見には、根拠となる研究や情報があるかもしれません。

そうした情報を参考にすることには意味があります。

一方、周りの人が全員同じことを言っていても、根拠が間違っている場合もあります。

だから、

「みんなが言っているから正しい」

とも、

「みんなが言っているから間違い」

とも、単純には決められません。

大切なのは、

何人が言っているかと、その内容が正しいかどうかは、別の問題だということです。

線の長さは、必要なら測れば確認できます。

人数を数えることと、線の長さを測ることは違いますよね。

同調しやすさは、文化によっても違うの?

同調行動については、アッシュの研究以降も、さまざまな国や文化で研究が行われてきました。

1996年、Rod BondさんとPeter B. Smithさんは、アッシュ型の線の長さの判断課題を使った研究をまとめ、メタ分析を発表しました。

この分析では、17か国の133研究が検討されています。

その結果、同調の程度には、研究された時代や文化的な条件との関連が見られました。

ただし、ここから、

「この国の人は全員、周りに合わせる」

「この国の人は、他人に影響されない」

と決めることはできません。

同じ文化の中にも、いろいろな人がいます。

そして同じ人でも、その場の状況によって、判断や行動が変わる場合があります。

そう考えると、

「同調する人」

「同調しない人」

という二つの種類に、人間を簡単に分けることもできません。

研究で見られる傾向と、目の前にいる一人の人がなぜその行動をしたのかという話は、分けて考えられます。

参考:Bond & Smith(1996)「Culture and conformity: A meta-analysis of studies using Asch’s line judgment task」

周りに合わせることが、役立つ場面もある

ところで、周りに合わせるということ自体は、本当に悪いことなのでしょうか。

例えば、初めて訪れた国で、現地の習慣が分からないとします。

周りの人の行動を見て、

「ここでは、こうするんだな」

と理解することがあります。

初めての職場でも同じです。

どう動けばいいか分からないとき、周りの人の様子を参考にすることがあります。

それによって、仕事が進みやすくなることもあるでしょう。

友人たちと食事をするとき、

「今日はみんなに合わせよう」

と思うこともあります。

それは、自分で選んだ行動かもしれません。

人間は、周りの情報を利用しながら生活しています。

そのこと自体が問題なのではありません。

ただ、同じ働きが、別の条件では、自分の判断を表に出しにくくする場合もあるということです。

そして、どうしてそうなったのかは、状況によって違います。

だから、同調を知ったからといって、

「これからは絶対に人に合わせないぞ!」

と決める必要もありません。

それでは今度は、「誰にも合わせてはいけない」という新しいルールが生まれてしまいます。w

そとがわメソッドで見たいのは、正しい行動を一つに決めることではないんです。

そとがわメソッドでは「なぜ合わせる必要があったのか」を見る

ここまで、同調についていろいろ見てきました。

心理学の実験では、周囲の人の回答が、個人の回答に影響する場合があることが示されました。

また、条件によって、その程度が変わることも研究されています。

では、そとがわメソッドでは、どこを見るのでしょう。

例えば、会議で自分だけ違う意見を持っていたとします。

周りは全員賛成している。

それを見て、

「自分だけ反対したら、面倒な人だと思われるかもしれない」

という考えが生まれた。

すると、緊張した。

反対意見を言えなくなった。

その結果、周りに合わせた。

ここで、

「私は自分の意見を言えない人間だ」

という評価が加わったかもしれません。

こうした流れを、一つずつ分けて見ていきます。

周りが全員賛成していたこと。

自分だけ違う意見を言うと不利益があるかもしれないと思ったこと。

緊張したこと。

周りに合わせたこと。

その自分を責めたこと。

これらは、同じ場面で起きたとしても、同じものではありません。

そして、ここから考えてみることができます。

なぜ、違う意見を言うことが危険だと感じられたのでしょう。

その反応は、何を守ろうとしていたのでしょう。

なぜ、その場では周りに合わせる必要が生まれたのでしょう。

こうして、反応が成立する仕組みを観察します。

それが分かれば、今まで「意志が弱い」とひとまとめにしていた行動も、違って見えてくることがあります。

ただし、これは、アッシュの実験で参加者全員の防衛反応が証明されたという話ではありません。

心理学の実験結果と、そとがわメソッドの観察の視点は分けて考えられます。

研究が示した事実を使いながら、人間の反応について別の問いを持つことができるんです。

最初の映画館に戻ってみよう

さて、最初の映画の話です。

自分は、とても面白かったと思っています。

でも、友人たちは、

「微妙だったね」

と言いました。

そこで、

「まあ、ちょっと長かったよね」

と答えました。

さて、このとき、何が起きたのでしょう。

友人の意見を聞いて、映画の見方が変わったのかもしれません。

もともと長いと感じたところもあったのかもしれません。

本当は面白かったと思っているけれど、周りに合わせて発言したのかもしれません。

そのとき、

「自分だけ違う感想を言ったら、変に思われるかな」

という予測があったのかもしれません。

いろいろ考えられます。

そして、ここで大切なのは、映画の感想に正解があるわけではないということです。

アッシュの線の課題では、正解を確認できました。

でも、映画の面白さは、人によって違っても不思議ではありません。

だから、友人たちの感想が間違っているという話ではありません。

ただ、自分が面白いと思ったことと、それをどう発言したかは、分けて考えることができます。

人間は、何を考えているかと、実際に何を言うかが、いつでも一致しているとは限らない。

その間に、周囲の情報や、未来についての予測、さまざまな反応が関係していることがあります。

そんなことを知ると、日常の会話も、また違って見えてくるかもしれません。

人間って、本当にいろいろなことをしていますね。

映画を一本見ただけなのに。

帰り道では、もう人間関係の調整まで始まっているんですから。w

よくある質問

Q. 同調行動とは何ですか?

周囲の人々の意見や行動に合わせて、自分の判断や行動が変わることです。

内心でも周囲の意見を正しいと思う場合と、異なる考えを持ちながら外向きの行動を合わせる場合があります。

Q. アッシュの同調実験では、何が分かったのですか?

線の長さを判断する簡単な課題でも、周囲の人々が全員そろって間違った答えを言うと、本当の参加者がその誤答に合わせる場合があることが示されました。

ただし、全員が同調するわけではなく、同調の程度は条件によって変わることがあります。

Q. アッシュの実験では、37%の人が同調したのですか?

代表的な約36.8%という数字は、周囲が誤答した条件での回答全体に占める同調回答の割合です。

「37%の人がすべての問題で同調した」という意味ではありません。

Q. 同調する人は、自分の意見がないのでしょうか?

そうとは限りません。

周囲の情報を信頼して判断を変えた可能性もあれば、自分の意見は変わらないまま、発言だけを合わせた可能性もあります。

行動だけで、その人の考えや性格を決めることはできません。

Q. 同調と錯視は、同じ現象ですか?

同じではありません。

錯視は、視覚的な情報の処理により、物理的な性質と見え方が一致しない現象です。

一方、アッシュの同調実験は、周囲の人々の回答が個人の回答にどのような影響を与えるかを調べたものです。

回答が変わったことだけで、視覚そのものが変わったとまでは言えません。

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参考資料

まとめ|人の判断は、目の前の情報だけで決まるとは限らない

目の前にある線の長さは、変わっていません。

でも、周りの人が全員違う答えを言った。

すると、自分の答えが変わることがあります。

アッシュの同調実験は、周囲の人々の意見が、人間の判断や行動に影響する場合があることを示しました。

そして、同じ答えを言ったからといって、その人の中で同じことが起きているとは限りません。

自分の判断が間違っていると思ったのかもしれません。

違う意見を言うことが怖かったのかもしれません。

その場で周りに合わせた方がいいと判断したのかもしれません。

私たちは普段、外から見える行動をもとに、その人が何を考えていたのかを判断することがあります。

でも、その判断も、実際に確認できたことと、自分が加えた説明に分けて見ることができます。

そして、自分が周りに合わせてしまったときにも、同じことができます。

「私は意志が弱い」

「私は人に流されやすい」

そう決める前に、

なぜ、その場で周りに合わせる必要があったのか。

そこには、いろいろな条件や反応があったのかもしれません。

そんな仕組みを見ていくと、人間というものが、また少し面白くなってきませんか。

人間の反応が生まれる仕組みを、もう少し知りたい方へ

周りの人が全員、同じ意見だった。

自分は違う意見を持っていた。

でも、言えなかった。

そのとき、何が起きていたのでしょう。

違う意見を言うことに、どんな意味があったのでしょう。

何が起きると予測したのでしょう。

何を守るために、周囲に合わせる必要があったのでしょう。

そとがわメソッドでは、出来事と、そこに加わる意味づけや予測、感情や身体の反応、そのあとに必要となった行動を分けて観察します。

「人に流されない強い人になりましょう」という話ではありません。

「同調してしまう自分を直しましょう」という話でもありません。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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