突然ですが、1300年前に書かれた本を読んでください。
と言われたら、どうしますか。
……。
いや、ちょっと待ってください。
まず、文字が読めるかどうかも分かりませんよね。w
では、何とか読めたとしましょう。
漢字が書いてあります。
知っている文字もあります。
意味が分かりそうな言葉もあります。
さて、それで、1300年前に書いた人の考えていたことが分かるのでしょうか。
実は、そう簡単ではありません。
例えば、私たちが今、こんな文章を書いたとします。
「今日、やばかった!」
さて、これを1000年後の人が読んだら、どうなるでしょう。
「やばい」という言葉が、危険なことを表すと考えたとします。
すると、
「この人は、何か恐ろしい出来事に遭遇したのだろう」
と解釈するかもしれません。
でも、実際には、
「今日のライブ、最高だった!」
という意味だったかもしれません。
……。
1000年後の研究者、ものすごい勘違いをしてしまう可能性があります。w
文字を読むこと。
言葉の意味を理解すること。
その言葉が使われた時代を理解すること。
そして、書いた人が何を伝えようとしていたのかを考えること。
これらは、全部同じではありません。
さて、江戸時代。
そんな古い言葉の問題に、途方もない時間を費やした人物がいました。
本居宣長(もとおりのりなが)です。
宣長は、今から1300年以上前に成立した『古事記』を研究し、その注釈書である『古事記伝(こじきでん)』を書き上げました。
費やした期間は、研究に着手してから約35年。
完成した書物は、全44巻。
……。
35年で、44巻!?
しかも、この人。
研究だけをしていたわけではありません。
医師として働いていたんです。
さらに、研究へ進む大きなきっかけとなった師匠との直接の対面は、生涯でたった一度だったといいます。
いやもう、ちょっと気になる要素が多すぎませんか。w
今日は、本居宣長がなぜ35年もかけて『古事記』を読み解こうとしたのかを、実際の資料からたどってみましょう。
そして、その先で、私たちが普段何気なくしている「言葉を理解する」という行為についても考えてみます。
『古事記伝』とは?まず『古事記』とは違う本です
さて、最初に少し整理しておきましょう。
『古事記』と『古事記伝』。
名前が似ていますよね。
でも、同じ本ではありません。
| 比べるところ | 『古事記』 | 『古事記伝』 |
|---|---|---|
| 成立・完成 | 712年 | 1798年に全44巻完成 |
| 時代 | 奈良時代 | 江戸時代 |
| 関わった人物 | 太安万侶ら | 本居宣長 |
| 内容 | 神話・伝承・天皇の系譜など | 『古事記』の読み方や意味についての注釈・研究 |
| 巻数 | 3巻 | 44巻 |
『古事記』は、712年に成立した、日本の古い書物です。
天地の始まり。
神々の誕生。
国生み。
天岩戸。
そうした物語が記されています。
一方、『古事記伝』は、それから1000年以上たった江戸時代に、本居宣長が書いた研究書です。
つまり、
『古事記』に何が書かれているか。
本居宣長が、それをどのように読んで理解したか。
この二つは、分けて考える必要があるんです。
ちなみに、『古事記』についてはこちらの記事でも紹介しています。
『古事記』では世界はどう始まった?最初の神々と『創世記』の天地創造の違い
さて、話を戻しましょう。
『古事記』は3巻です。
それに対して、『古事記伝』は44巻。
……。
元の本より、解説の方がずっと多いんです。w
でも、考えてみると、古い本を理解するためには、それだけ説明することがあったのかもしれません。
では、どんな人物が、その大仕事に取り組んだのでしょう。
本居宣長は、もともと何をしていた人?
本居宣長は、1730年に伊勢国松坂で生まれました。
現在の三重県松阪市です。
江戸時代の国学者として知られています。
国学とは、日本の古い文学や言葉、歴史、思想などを研究する、江戸時代に発展した学問です。
でも、ここで一つ意外なことがあります。
宣長は、医師でもあったんです。
京都で医学を学び、松坂へ戻って開業しました。
そして、医師として働きながら、古典の研究や講義を続けました。
『源氏物語』や和歌などの研究にも取り組んでいます。
ここで、少し想像してみてください。
昼間は患者さんを診察します。
その一方で、古い書物を調べます。
言葉の意味を考えます。
別の文献と比べます。
注釈を書きます。
そして、また仕事をします。
……。
ものすごく忙しそうなんですけど!?w
もちろん、実際の一日の時間割が、いつもこうだったと分かっているわけではありません。
でも、医業と研究・教育の両方に取り組んでいたことは、本居宣長記念館の資料から確認できます。
研究だけをして、生活のすべてを送っていたわけではなかったんですね。
では、その宣長が、どうして『古事記』を研究することになったのでしょう。
きっかけは、憧れの学者との「松坂の一夜」
さて、ここで、少し物語のような出来事が登場します。
1763年。
本居宣長は34歳でした。
そのとき、松坂にある人物がやって来ます。
江戸の国学者、賀茂真淵(かものまぶち)です。
宣長は、以前から真淵の学問に深い関心を持っていました。
そして、真淵が松坂に宿泊していることを知り、会いに行きます。
この対面は、後に「松坂の一夜」として知られるようになりました。
さて、このとき、宣長は何を話したのでしょう。
自分が『古事記』を研究したいと考えていることを、真淵に伝えたといいます。
それに対して真淵は、まず『万葉集』を学ぶことを勧めました。
なぜでしょう。
『万葉集』には、古い日本語を知るための重要な手がかりがあるからです。
『古事記』を理解するには、古い言葉を調べる必要があります。
そのための準備として、古代の日本語を学ぶことを勧めたんですね。
そして真淵は、宣長の研究を励まし、指導することを認めました。
さて、ここからが驚きです。
二人が直接会ったのは、生涯でこの一度だけだったと伝えられています。
……えっ。
一度だけ?
そうなんです。
その後は手紙によって、教えを受けたり、質問をしたりする関係が続きました。
現在なら、メールやビデオ通話があるかもしれません。
でも、当時は江戸時代です。
簡単に連絡を取れる時代ではありません。
しかも、その一度の出会いが、後の大きな研究につながっていったんです。
何だか、すごい話ですよね。
「一度会っただけの先生」に、35年後の大仕事がつながっている
ここで、少し考えてみましょう。
1763年。
宣長は真淵と会いました。
翌1764年には、『古事記』の研究に着手します。
1767年には、『古事記伝』の執筆を始めました。
そして、1798年。
全44巻を完成させます。
ここまでを並べると、こんな流れです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1756年 | 京都で『古事記』を購入 |
| 1763年 | 賀茂真淵と対面。「松坂の一夜」 |
| 1764年 | 『古事記』の研究に着手 |
| 1767年 | 『古事記伝』の執筆を開始 |
| 1798年 | 全44巻を完成 |
さて、注目してほしいところがあります。
『古事記』を購入したのは、1756年です。
完成したのは、1798年です。
本を買ってから、42年たっているんです。
……。
積ん読どころの話ではありませんね。w
もちろん、ずっと読まずに積んでいたという意味ではありません。
その間に学問を重ね、研究し、膨大な注釈を書き上げたんです。
そして、1764年の研究着手から完成までは、約35年。
宣長は、完成したとき69歳でした。
ちなみに、江戸時代の数え年での年齢です。
本居宣長記念館の資料では、1798年6月13日に第44巻を書き終えたと記されています。
ここまで来ると、気になりますよね。
そもそも『古事記』を読むことは、どうしてそこまで大変だったのでしょう。
『古事記』は日本の本なのに、どうして漢字で書かれているの?
さて、ここから文字の話です。
『古事記』は、日本の古い神話や伝承を記した書物です。
では、何という文字で書かれているのでしょう。
答えは、漢字です。
……。
「え? 日本の本なのに?」
と思うかもしれません。
でも、712年に『古事記』が成立した頃、現在のような平仮名や片仮名はまだ成立していませんでした。
そのため、漢字を使って日本語を表していたんです。
さて、ここが大変なところです。
漢字には、意味がありますよね。
例えば、
山
という漢字があります。
この字は、山というものを表しています。
そして、日本語では「やま」と読みます。
でも、中国語に由来する音読みもあります。
同じ漢字でも、どのような読み方をするかは、一つとは限らないんです。
さらに、古代の日本では、漢字の意味を利用するだけでなく、漢字の音を借りて日本語を表すこともありました。
つまり、
「この漢字は、意味を使っているの?」
「それとも、音を使っているの?」
という問題が出てきます。
……。
同じ文字なのに、使い方が違うんです。
ここで、読んでいる人は、どうすればいいのでしょう。
前後の文章を調べます。
ほかの古い言葉と比べます。
同じ漢字が別の場所でどう使われているかを調べます。
さらに、古い日本語の音についても考えます。
そうして、どう読むのが適切なのかを検討する必要があるんです。
本居宣長が取り組んだのは、そうした難しさを持つ文章でした。
たった六文字を読むのにも、研究が必要になる
ここで、実際の『古事記』の冒頭を少し見てみましょう。
天地初発之時
六文字です。
さて、読めますか。
「天地」
「初発」
「之」
「時」
見覚えのある漢字が並んでいますよね。
何となく意味も分かりそうです。
天地が初めて現れたとき。
そんな内容だと考えられます。
では、この六文字を、当時の日本語としてどう読めばいいのでしょう。
「天」は「あめ」でしょうか。
「地」は「つち」でしょうか。
「初発」は、どんな言葉に当たるのでしょう。
実際の『古事記』研究では、こうした読み方が検討されてきました。
本居宣長も『古事記伝』の中で、一つひとつの言葉について詳しく考えています。
そして、現代の注釈でも、細かな読み方や解釈が研究され続けています。
ここで、あらためて考えてみてください。
たった六文字です。
今の日本語なら、あっという間に読めそうですよね。
でも、1300年前の言葉を正確に理解しようとすると、話が違ってきます。
「何となく意味が分かった」と「当時の言葉を理解した」は、同じではないんです。
だからこそ、宣長は、古い言葉の用例や文献を詳しく調べたんですね。
1000年後の人に「今日のライブ、やばかった」を読ませてみる
さて、ここで、最初の「やばい」に戻りましょう。
私たちが、日記にこう書いたとします。
「今日のライブ、やばかった」
さて、これを1000年後の人が読んだら、どうなるでしょう。
研究者Aさんは考えます。
「やばいとは、危険な状態を表す言葉のようだ」
研究者Bさんも考えます。
「ということは、ライブ会場で事故が起きたのかもしれない」
そして、
「21世紀の日本では、音楽ライブに危険が伴っていた」
という解説を書いたとします。
……。
ちょっと待ってください!w
私たちは、ものすごく楽しかったという意味で書いたのかもしれません。
では、1000年後の研究者たちは、どうすればいいのでしょう。
同じ時代の文章を探します。
「やばい」が使われている別の場面を調べます。
褒め言葉として使われる場合があったのかを確認します。
前後の文章との関係も考えます。
そうすれば、
「この『やばい』は、必ずしも危険という意味ではない」
と気づけるかもしれません。
でも、もし同じ時代の文章が、ほとんど残っていなかったら?
……難しいですよね。
古い言葉を読み解くというのは、こういうことでもあるんです。
「文字が読める」と「意味が分かる」は、どう違うの?
さて、ここまでの話を整理してみましょう。
例えば、
「大丈夫です」
という言葉があります。
読めますよね。
意味も知っていると思います。
では、次の三つを考えてみてください。
一つ目。
「体調はどうですか?」
「大丈夫です!」
二つ目。
「手伝おうか?」
「大丈夫です」
三つ目。
「本当に、この仕事を続けられますか?」
「……大丈夫です」
さて、同じ意味でしょうか。
一つ目は、問題ないという意味かもしれません。
二つ目は、手伝いを断っているのかもしれません。
三つ目は、本当は不安があるけれど、それでも引き受けるという意味かもしれません。
……。
同じ「大丈夫です」なのに、話が違っています。w
もちろん、実際には相手の声の調子や状況などによって、受け取り方も変わるでしょう。
でも、ここで分かることがあります。
言葉そのものを知っていることと、その場面で何を意味しているかを知ることは違う。
ということです。
では、古い文章を読む場合はどうでしょう。
そこには、直接質問できる相手がいません。
当時の声の調子も分かりません。
今は使われなくなった言葉もあります。
だから、研究者は、残された資料から慎重に考えなければなりません。
本居宣長が35年かけて取り組んだ研究の難しさも、こうしたところにあったのかもしれませんね。
『古事記伝』44巻には、何が書かれているの?
さて、ここで全44巻の中身を見てみましょう。
44巻というと、ずいぶん多いですよね。
でも、宣長は最初から神話を順番に解説し始めたわけではありません。
本居宣長記念館の資料によると、おおむね次のような構成です。
| 巻 | 主な内容 |
|---|---|
| 第1巻 | 『古事記』の価値、文字や文体、読み方の考え方など |
| 第2巻 | 序文の解釈や系図など |
| 第3〜44巻 | 本文の読み方と詳細な注釈 |
さて、ここで面白いところがあります。
まず、本をどう読むのかについて説明しているんです。
いきなり、
「最初の神様は、この神様です!」
というところから始まるわけではありません。
その前に、
「そもそも、この文章はどういう本なのか」
「この文字は、どのように使われているのか」
「どのように読むべきなのか」
という話をしているんです。
……。
研究の前提を、先に整理しているわけですね。
これって、実は結構重要なことかもしれません。
なぜなら、どんな読み方を採用するかによって、理解する内容が変わる場合があるからです。
つまり、何を読むかだけでなく、どう読んでいるのかまで考える必要があったんです。
本居宣長は、どうして『古事記』をそんなに大切にしたの?
さて、ここで、もう一つ疑問です。
日本には古い書物がいろいろあります。
例えば、『日本書紀』です。
『日本書紀』は、720年に成立した歴史書です。
『古事記』と同じく、神々や古代の歴史に関する内容を含んでいます。
では、どうして宣長は『古事記』を重視したのでしょう。
宣長は、『古事記』を、古代日本の言葉や考え方を知るために重要な書物だと考えました。
そして、漢文の形式や後世の思想を通して理解してしまうことに、問題意識を持っていました。
ここで、少し気になることがあります。
『古事記』も『日本書紀』も、同じ古代日本に関わる書物です。
でも、文章の作り方や、物語の伝え方は違っています。
例えば、『日本書紀』には、ある出来事について複数の伝承を紹介する箇所があります。
一方、『古事記』は、別の構成で物語を記しています。
そのため、同じ神話について調べていても、どちらの書物を読むかによって、注目することが変わる場合があります。
ただし、ここで、
「『古事記』だけが正しくて、『日本書紀』は間違い」
という結論にはなりません。
それぞれに編纂された時代の事情や目的があり、重要な歴史資料です。
また、『古事記』自体も、8世紀に編纂された書物です。
古代の人々の発言が、そのまま録音されているようなものではありません。
でも、宣長にとっては、そこに残された言葉を詳しく調べることが、非常に重要だったんです。
そして、その研究の中で登場するのが、次の言葉です。
「漢意(からごころ)」って、いったい何?
本居宣長の思想を知るうえで、重要な言葉があります。
漢意(からごころ)です。
……。
ちょっと難しそうですね。
でも、これが今回の話の中でも、特に興味深いところなんです。
宣長は、中国由来の思想、とりわけ儒教的な価値観や理屈によって、日本の古い言葉や物語を理解しようとすることを問題にしました。
例えば、こんな場面を考えてみましょう。
古い神話に、ある神様の行動が書かれています。
その行動は、今の自分から見ると、少し変わっています。
そこで、読んだ人が思いました。
「いやいや、神様なんだから、こんなことをするはずがない」
「本当は、もっと道徳的な意味があるはずだ」
「だから、この話は、こう解釈するべきだ」
……。
さて、何が起きているのでしょう。
文章には、ある行動が記されています。
でも、読んだ人には、
「神様なら、こうするべきだ」
という基準があります。
そして、その基準に合うように、物語を解釈し直しているんです。
宣長は、こうした解釈によって、古い言葉や物語の姿が見えなくなることを問題にしたわけです。
ここで、少し考えてみてください。
文章がそう書いてあるから、そのように理解したのでしょうか。
それとも、自分の中の「こうあるべき」に合わせて、文章を理解したのでしょうか。
この違いは、なかなか面白いですよね。
「漢意」を批判するとは、中国を嫌うことだったの?
さて、ここで一つ注意したいことがあります。
漢意という言葉だけを聞くと、
「中国のものは全部悪い!」
と宣長が考えていたように受け取る人もいるかもしれません。
でも、そのように一言で説明してしまうと、思想の内容を十分に捉えられません。
宣長が問題にしたのは、古代の日本語や伝承を理解しようとするときに、中国由来の思想や理屈を当然の前提として持ち込むことでした。
ただし、宣長自身の思想には、日本の古い道や文化を特別に重視する立場も含まれています。
そのため、宣長の漢意批判は、単なる読解技術の話に限定できるものでもありません。
国学の思想史や、当時の社会的な背景とともに考える必要があります。
ここ、少し複雑ですよね。
でも、だからこそ分けてみたいんです。
宣長が、古い文章を読むときの先入観を問題にしたこと。
宣長自身が、江戸時代の思想的な立場を持っていたこと。
この二つは、同時に考えられます。
そして、後世の私たちが宣長を読むときにも、また別の前提が加わる可能性があります。
……。
先入観に気をつけていた人の研究を、さらに別の時代の人が読んでいるんです。w
なかなか奥が深いですよね。
「昔の人は、こう考えていたはず」という思い込み
さて、ここから少し、現代の私たちの話をしてみましょう。
例えば、古い物語を読みました。
そこには、神様が怒る場面がありました。
さて、どう思うでしょう。
「えっ、神様なのに怒るの?」
と思ったとします。
では、そのとき、何を基準にしていたのでしょう。
もしかすると、
「神様は穏やかで、何でも許す存在のはずだ」
というイメージがあったのかもしれません。
でも、そのイメージは、どこから来たのでしょう。
自分がこれまで聞いてきた物語でしょうか。
宗教についての知識でしょうか。
映画や漫画でしょうか。
誰かから聞いた話でしょうか。
さて、古い物語に登場する神様は、必ず、そのイメージどおりに行動するのでしょうか。
……そうとは限りませんよね。
『古事記』には、さまざまな性格や行動を持つ神々が登場します。
怒る神様もいます。
争う神様もいます。
困る神様もいます。
いろいろな物語があります。
そのことを知ると、
「神様とは、こういうものだ」
という自分のイメージが、必ずしもすべての神話に当てはまるわけではないことに気づくかもしれません。
ここで面白いのは、物語が変わったわけではないということです。
変わったのは、自分が持っていた説明の方です。
これも、言葉や物語を読むときに起こることなんですね。
本居宣長が目指したのは、古代の人々の声を聞くことだった?
さて、ここで、少し素敵な話を紹介しましょう。
1798年。
本居宣長は、『古事記伝』全44巻を完成させました。
その完成を祝う歌会が開かれます。
そこで、宣長は、こんな歌を詠みました。
古事の 記をらよめば いにしへの てぶりこととひ ききみるごとし
本居宣長記念館では、この歌について、古い人々の身振りや声が、まるで見えたり聞こえたりするようだという趣旨で紹介しています。
さて、ここで考えてみてください。
宣長は、単に文字の意味を知りたかっただけなのでしょうか。
もちろん、文字や言葉の研究は重要です。
でも、その先に、
古い時代の人々が、どのように語り、どのように生きていたのかを知りたい。
という願いがあったのかもしれません。
文字だけが残っています。
声は残っていません。
表情も、身振りも、直接見ることはできません。
それでも、言葉を調べ、表現を考え、物語を読み解くことで、古い人々の世界を想像しようとしたんですね。
これ、何だかすごくないですか。
1300年前の物語を読むために、35年間、言葉と向き合っていたんです。
本居宣長記念館では、宣長にとって『古事記伝』の執筆は、遠い祖先の声を聞く作業だったと説明しています。
そんなふうに考えると、44巻という数字の見え方も、少し変わってきますね。
では、『古事記伝』が完成して、古事記の謎はすべて解けたの?
さて、ここで質問です。
35年かけました。
全44巻が完成しました。
非常に詳しい注釈が書かれています。
では、これで『古事記』について、すべて分かったのでしょうか。
……。
実は、そうではありません。
本居宣長の研究は、『古事記』研究の歴史において非常に重要な業績です。
でも、『古事記』の研究は、その後も続いています。
なぜでしょう。
新しい研究方法が登場するからです。
新しい資料が見つかることもあります。
古代日本語についての研究も進みます。
別の古典との比較から、異なる解釈が生まれることもあります。
例えば、『古事記』の文字の使い方については、宣長が指摘した規則性も、後の研究者たちによって改めて検討されました。
また、國學院大學では、現在も『古事記』について、本文の校訂、訓読、現代語訳、解釈史などを研究しています。
つまり、宣長が『古事記伝』を完成させたからといって、
「もう、誰も研究することはありません!」
という状態になったわけではないんです。
……。
35年かけて完成したのに、まだ研究が続いているんですか!?w
そうなんです。
でも、それが学問の面白さでもあります。
一つの時代の研究が、次の時代の研究につながります。
そこから、新しい理解が生まれることがあります。
そして、さらに次の時代にも、研究が続いていきます。
『古事記伝』は、そこで終わりになったのではなく、その後の研究へつながる重要な仕事だったんですね。
『古事記伝』にも、現在の研究から見直されている部分がある
さて、ここで、もう少し詳しい研究を紹介しましょう。
『古事記伝』には、古代日本語の文字の使い分けについて考察した部分があります。
例えば、古代の日本語では、同じように聞こえる音について、異なる漢字が使い分けられている例があります。
現在では、こうした問題は、上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)という研究分野と関係しています。
名前は少し難しいですね。w
でも、簡単にいうと、古い日本語の音や表記に、現在とは違う区別があったのではないかという研究です。
さて、この分野についても、宣長の研究は重要なものとして検討されてきました。
2008年、安田尚道は、『古事記伝』の「仮字の事」を詳しく検討し、宣長がどのような文字の使い分けを認識していたのかを論じています。
このように、現代でも、宣長が何を発見し、何を考えていたのかが研究されています。
ここで、少し面白いことがあります。
古代の人々が書いた文章を、宣長が研究しました。
そして現代の研究者が、今度は宣長の研究を調べています。
つまり、
古事記を読む研究と、古事記を読んだ人を読む研究があるんです。
……。
何だか、研究がどんどん重なっていきますね。w
でも、そこを分けることで、新しいことが分かってくるんです。
『古事記』と『古事記伝』、そして現代の私たち
さて、ここまでの話を、少し整理してみましょう。
まず、712年に『古事記』が成立しました。
そこには、神々や古代の伝承などが記されています。
そして、江戸時代になりました。
本居宣長が『古事記』を研究しました。
1798年に『古事記伝』を完成させました。
さらに、現代です。
私たちは、宣長の研究や、その後の研究を通して『古事記』を読んでいます。
さて、ここで三つを分けてみましょう。
| 段階 | 何についての話? |
|---|---|
| 『古事記』 | 古代の書物に記された文字や物語 |
| 『古事記伝』 | 宣長が、その文字や物語をどう読んだか |
| 現代の私たち | その研究や現代語訳を、どう理解しているか |
こうして見ると、同じ『古事記』について話しているつもりでも、何について話しているのかが違うことがあります。
「古事記には、こう書いてある」
という話があります。
「本居宣長は、こう解釈した」
という話があります。
そして、
「私は、この物語をこう理解した」
という話があります。
さて、これらは、全部同じでしょうか。
……違いますよね。
でも、普段の会話では、そこが混ざってしまうこともあるかもしれません。
だからこそ、何を読んでいるのか、何について話しているのかを分けてみることは、面白いんです。
そういえば、日常でも同じ言葉を違う意味で使っていませんか?
さて、ここから少し、日常の話です。
例えば、友人に、
「また今度、ご飯に行こうね!」
と言われました。
さて、どう思うでしょう。
「楽しみだな!」
と思うかもしれません。
でも、別の人は、
「まあ、社交辞令かな」
と思うかもしれません。
……。
同じ言葉なのに、受け取り方が違いますね。w
では、実際に言った人は、どういう意味で話していたのでしょう。
本当にご飯に行きたいと思っていたのかもしれません。
いつか機会があれば、という程度だったのかもしれません。
あるいは、会話を終えるときの挨拶として使っていたのかもしれません。
今の段階では、分かりませんよね。
でも、受け取った人の中では、何かの意味が生まれます。
そして、そこから、
「誘ってもらえたら嬉しいな」
と思う場合もあれば、
「社交辞令だったら、こちらから誘うのは迷惑かな」
と思う場合もあるでしょう。
さて、ここで何が起きていたのでしょう。
相手が言った言葉があります。
その言葉を、自分がどう理解したかがあります。
その意味から、未来についての予測が生まれる場合があります。
そして、その予測に対して、感情が生まれることもあります。
こうして分けて考えられるんです。
「ちゃんとしてね」は、何をすればいいという意味?
では、今度は、もっと身近な言葉です。
「ちゃんとしてね」
さて、どういう意味でしょう。
時間を守ってね?
間違えないでね?
丁寧に対応してね?
服装を整えてね?
相手に迷惑をかけないでね?
……。
いろいろありますよね。
例えば、上司から、
「明日は、ちゃんとしてね」
と言われたとします。
さて、何を求められているのでしょう。
明日の会議に遅刻しないことでしょうか。
資料を準備することでしょうか。
お客様に失礼がないようにすることでしょうか。
その場では、何を指しているのか分からない場合があります。
でも、ここで、
「ちゃんとできなかったら、怒られるかもしれない」
と思ったとします。
さらに、
「私は、いつもちゃんとできない人間なのかもしれない」
と思ったとしたら?
……。
まだ明日の会議も始まっていないのに、自分の人格まで評価し始めています。
ちょっと大変ですよね。
でも、そんなことが起きる場合があります。
さて、このとき、何が確認できていたのでしょう。
上司が、
「ちゃんとしてね」
と言ったことです。
では、
「あなたは、いつもダメな人間です」
と言ったのでしょうか。
……言っていませんよね。
もちろん、実際に上司がどういう意図で話したのかは、別に確認する必要があります。
でも、ここで分かることがあります。
相手が言った言葉と、自分がそこから受け取った意味は、同じではない場合がある。
ということです。
自分が使っている前提は、普段は見えにくい
さて、ここまでの話を考えてみましょう。
私たちは、普段、言葉を理解しています。
誰かが話したことを聞きます。
文章を読みます。
相手が何を言いたいのかを考えます。
でも、そのとき、
「今、私は、この前提を使って理解しています」
と、毎回確認しているでしょうか。
……していませんよね。
例えば、友人が、
「最近、忙しくて」
と言いました。
それを聞いて、
「じゃあ、今は誘わない方がいいのかな」
と思うかもしれません。
でも、別の人は、
「大変そうだから、ご飯でも誘って息抜きしてもらおう」
と思うかもしれません。
同じ「忙しい」という言葉です。
でも、そこから考えたことは違います。
では、その違いはどこから生まれたのでしょう。
これまでの経験。
相手との関係。
自分にとって自然な気遣いの方法。
あるいは、相手がどんな反応をすると思っているか。
そうしたことが関係しているかもしれません。
でも、本人にとっては、どちらも自然な判断です。
自分が何を前提に考えていたのかは、違う考え方に出会って初めて分かることがある。
ということなんですね。
「自分には、なぜそう読めたのだろう?」という問い
さて、ここで本居宣長に戻ってみましょう。
宣長は、古い文章を読むときに、後世の考え方を当然のものとして持ち込むことを問題にしました。
そのため、古い言葉や文献を詳しく調べ、そこから理解しようとしました。
一方、私たちの日常では、古典を研究しているわけではありません。
でも、少し似た問いを考えることはできます。
例えば、相手から、
「今日は、もう帰るね」
と言われました。
さて、何を感じたでしょう。
「そろそろ時間なんだな」
と思ったかもしれません。
でも、
「私と一緒にいたくないのかな」
と思ったかもしれません。
さらに、
「嫌われたのかな」
という不安が生まれたとします。
さて、ここで何が起きていたのでしょう。
相手は、帰ると言いました。
でも、あなたは、相手の気持ちについて何かを予測しました。
そして、その予測に対して不安になったのかもしれません。
ここで、
「不安になるなんて、おかしい!」
と自分を否定する必要はありません。
まず、
自分には、なぜそのような意味に見えたのでしょう。
と考えることができます。
もしかすると、これまでの経験が関係していたのかもしれません。
相手との関係を大切にしていたのかもしれません。
何かを失うことを危険だと判断していたのかもしれません。
実際には、その人の状況を見なければ分かりません。
でも、少なくとも、その意味がどのように生まれたのかを観察することはできます。
そとがわメソッドでは、何を見ていくの?
ここからは、歴史上の本居宣長の研究とは分けて、そとがわメソッドの視点で考えてみましょう。
例えば、こんな出来事がありました。
仕事で、
「ここ、間違っているよ」
と言われました。
そこで、
「私は仕事ができない人間なんだ」
と思ったとします。
そして、落ち込んだとします。
さて、何が起きていたのでしょう。
まず、仕事の一部に間違いがあったという出来事があります。
次に、
「私は仕事ができない人間だ」
という意味が生まれました。
さらに、
「また失敗するかもしれない」
と未来を予測したかもしれません。
その結果、不安や落ち込みが生まれたとします。
こうして、出来事と色づけ、そこから生まれた反応を分けてみることができます。
そして、さらに考えられます。
なぜ、その間違いが「私は仕事ができない人間だ」という意味につながったのでしょう。
なぜ、その意味や不安が必要になったのでしょう。
もしかすると、
「仕事ができないと認めてもらえない」
という予測があったのかもしれません。
「同じ間違いを繰り返したくない」
という思いがあったのかもしれません。
あるいは、過去に失敗したときの経験が関係していたのかもしれません。
実際に何が関係しているかは、その人によって違うでしょう。
でも、そこを観察することができます。
そとがわメソッドでは、このように、人間の認識と反応が成立する仕組みを見ていきます。
考えを無理に変えようとするためではありません。
不安になる自分を否定するためでもありません。
なぜ、その反応が必要になったのかを知るためです。
本居宣長の研究と、そとがわメソッドは同じもの?
さて、ここで少し確認しておきましょう。
本居宣長は、古代日本の言葉や思想を研究した人物です。
その学問は、国学の歴史の中で理解されるものです。
一方、そとがわメソッドは、私たちが日常の出来事をどう受け取り、どんな意味や反応が生まれているのかを観察するものです。
もちろん、同じものではありません。
本居宣長の学問が、そのまま現代の防衛反応の理論だったわけではありません。
また、宣長がそとがわメソッドと同じことを目指していたわけでもありません。
ただ、考えるきっかけとして、共通する問いがあります。
自分が当たり前だと思っている理解は、どんな前提によって生まれているのでしょう。
ということです。
歴史の研究では、古い文章をどう読んだのかを検討します。
日常の認識については、目の前の出来事をどう受け取ったのかを観察できます。
対象は違います。
でも、普段は意識しにくい「読み方」や「受け取り方」について、考えるきっかけになるんです。
そして、ここから、もう一つ面白い問いが生まれます。
では、本居宣長自身は、完全に先入観なしで読めたの?
さて、ここまで来ると、ちょっと意地悪な質問をしたくなります。
本居宣長は、古い文章を読むときに、後世の思想を持ち込まないように考えました。
では、宣長自身は、完全に先入観なしで『古事記』を読めたのでしょうか。
……。
それは、どうでしょう。
宣長も、江戸時代の人間です。
その時代の学問や文化の中で生きていました。
国学という学問の立場を持っていました。
そして、古代日本について、独自の思想的な理解を持っていました。
つまり、宣長自身も、一つの時代の中で研究していた人物なんです。
このことは、宣長の研究が無意味だったということではありません。
むしろ、その研究が重要だからこそ、現代でも読み直されているんです。
宣長は、何を問題にしたのでしょう。
どのような資料を使ったのでしょう。
どんな読み方を選んだのでしょう。
そして、なぜその読み方が必要だったのでしょう。
そうしたことを、さらに研究することができます。
ここで、面白いことがあります。
宣長は、古い書物を読み解こうとしました。
そして、現代の研究者は、宣長の読み方を調べています。
さらに、私たちは、その研究を読んでいます。
……。
どこまで行っても、人間が文章を読んでいるんです。w
それでも、資料や方法を使って検討を重ねることで、理解を深めることができます。
そして、一度決めた答えでも、新しい資料や考え方によって見直すことができるんですね。
「自分の理解が変わる」ことは、負けではない
さて、ここで少し、日常に戻りましょう。
例えば、友人と会話していました。
友人が言いました。
「昨日の話、そういう意味じゃなかったんだけど」
さて、どう思うでしょう。
「えっ、そうだったの?」
と思うかもしれません。
でも、場合によっては、
「いや、絶対そういう意味だったでしょ!」
と思うこともあるかもしれません。
さて、ここで何が起きているのでしょう。
最初に、自分は相手の言葉をある意味で理解しました。
でも、相手は違う意味で話していたと説明しました。
すると、自分の理解を見直す必要が出てきます。
では、それは、自分が間違った人間だという意味でしょうか。
……違いますよね。
ただ、最初の理解と、新しく知った情報が違っていたんです。
ここで、
「そうだったんだ!」
と理解が変わることがあります。
そして、そのことによって、これまで見えなかったものが見えてくる場合があります。
でも、もし、
「最初に間違った理解をした自分はダメだ」
という評価が加わったらどうでしょう。
今度は、理解の違いについての話から、自分の人格の話に変わってしまいます。
……。
意味を取り違えただけなのに、人格の採点が始まっています。w
ここも、分けて考えられます。
何を理解していたのか。
新しく何を知ったのか。
どんな意味が加わったのか。
そして、どんな反応が生まれたのか。
こうして見ることができるんですね。
35年かけても、知ることは終わらなかった
さて、最後に、本居宣長の話に戻りましょう。
1798年。
本居宣長は、『古事記伝』全44巻を完成させました。
研究を始めてから、約35年です。
もちろん、その仕事は非常に重要なものでした。
でも、その後も『古事記』の研究は続いています。
そして、今の私たちも、1300年以上前に書かれた言葉について、まだいろいろなことを考えています。
ここで、ちょっと不思議なことがあります。
私たちは普段、何かを知ったとき、
「分かった!」
と思います。
でも、そのあと、新しいことを知ると、
「えっ、そうだったの?」
と思うことがあります。
さらに調べると、
「じゃあ、これはどういうこと?」
という新しい疑問が生まれることもあります。
……。
知れば知るほど、知りたいことが増えてしまうんです。w
でも、それは必ずしも困ったことではありません。
知らなかったことを知る。
今までの理解が変わる。
新しい疑問が生まれる。
そして、また調べてみる。
その繰り返しが、学ぶことの面白さでもあります。
本居宣長が35年かけて『古事記』を研究したことも、そうした人間の探究心を考えるきっかけになるのかもしれませんね。
よくある質問
Q. 『古事記』と『古事記伝』は何が違うのですか?
『古事記』は712年に成立した、神話や伝承などを記した古典です。
一方、『古事記伝』は、江戸時代の国学者・本居宣長が『古事記』を研究し、1798年に全44巻を完成させた注釈書です。
『古事記』そのものに書かれていることと、宣長がそれをどう解釈したのかは、分けて考える必要があります。
Q. 本居宣長は、なぜ35年も『古事記』を研究したのですか?
古い日本語の読み方、漢字の使い方、ほかの文献との比較、物語の解釈など、さまざまな問題を詳しく検討する必要があったためです。
1764年に研究へ着手し、1767年に『古事記伝』の執筆を始め、1798年に完成させました。
また、宣長は医師として働きながら研究を続けていました。
Q. 「松坂の一夜」とは何ですか?
1763年、本居宣長が松坂で国学者の賀茂真淵と対面した出来事です。
宣長は『古事記』研究への志を語り、真淵から学問上の助言と励ましを受けました。
二人が直接会ったのは、このとき一度だけだったと伝えられています。
その後は、手紙などを通じて教えを受けました。
Q. 本居宣長の「漢意」とは、どういう意味ですか?
宣長が批判した、中国由来の思想や理屈を当然の前提として、日本の古い言葉や物語を解釈してしまうことに関わる概念です。
ただし、宣長の漢意批判は、国学の思想史や、宣長自身の古代日本に対する考え方を含めて理解する必要があります。
単に中国のものを全部否定した、という一言では説明できません。
Q. 『古事記伝』の研究は、現在でも役に立っていますか?
はい。
『古事記伝』は、古代日本語や『古事記』の注釈史における重要な研究書です。
ただし、宣長の解釈がすべて最終的な答えになったわけではありません。
現代でも、古代日本語、歴史学、神話学、本文研究などの成果から、さまざまな研究が続けられています。
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参考文献・資料
- 本居宣長記念館「ようこそ宣長ワールドへ」。公式解説
- 本居宣長記念館「『古事記伝』完成220年記念」。公式資料
- 本居宣長記念館「『古事記伝』とはどんな本ですか?」などの解説項目。公式FAQ
- 本居宣長記念館「本居宣長について」。年譜・略歴
- 本居宣長記念館「宣長十講」。古事記研究と宣長の歌について
- 國學院大學「古事記は『わからないから面白い。』1300年の時を超えて愛される理由を語る」。研究者インタビュー
- 國學院大學デジタル・ミュージアム「本居宣長」。収蔵資料・人物解説
- 國學院大學「『古事記学』の構築」研究事業。研究概要
- 国立国会図書館『古事記傳 巻1、2』。書誌情報
- 安田尚道(2008)「『古事記伝』の『仮字の事』をどう読むか―上代特殊仮名遣の研究史を再検討する―」。原著論文
※本文では、712年に成立した『古事記』、江戸時代の本居宣長による注釈、現代の研究成果を区別しています。また、現代語の例は言葉の理解について考えるための例示であり、『古事記』の成立過程を直接説明するものではありません。
まとめ|1300年前の文字から、何を読み取ろうとしていたのだろう?
『古事記』は、712年に成立しました。
そして、江戸時代。
本居宣長は、その古い文章を読み解こうとしました。
1763年には、賀茂真淵と出会いました。
1764年から研究に取り組み、1767年には『古事記伝』の執筆を始めました。
そして1798年。
35年ほどの研究を経て、全44巻を完成させました。
その間、宣長は医師としても働いていました。
古い文字の読み方を調べる。
言葉の意味を考える。
別の文献と比較する。
そして、当時の人々がどのように世界を理解していたのかを知ろうとする。
そうした研究でした。
さて、ここまでの話を読んで、どう感じましたか。
「35年もかけるなんて、すごいな」
と思ったでしょうか。
「そこまでしなくてもよさそうだけど」
と思ったでしょうか。
あるいは、
「自分なら、途中で別のことを始めちゃいそう」
と思ったでしょうか。
……いろいろありますよね。w
でも、宣長にとっては、その研究に大きな意味があったのでしょう。
そして、その研究によって、古代の言葉について多くのことが検討され、後の研究へとつながっていきました。
ここで、最初の質問に戻りましょう。
文字が読めることと、書いた人の意味が分かることは、同じなのでしょうか。
……そうとは限りませんよね。
どんな時代に書かれたのか。
その言葉が、どんな場面で使われていたのか。
どんな意味を持っていたのか。
そして、読む人が、どんな前提で理解しているのか。
そうしたことによって、文章の理解が変わる場合があります。
これは古典だけでなく、私たちの日常の会話についても考えられることです。
誰かの言葉を聞いた。
自分には、ある意味に聞こえた。
でも、その人は別の意味で話していたかもしれない。
では、自分には、なぜそのように理解されたのでしょう。
そこを考えてみることができます。
35年かけて古い文章を読んだ人の話から、いつもの会話の不思議までつながってきました。
人間って、なかなか面白いですね。w
人間が意味や反応を生み出す仕組みを、もっと知りたい方へ
私たちは普段、目の前の出来事や、誰かの言葉を当たり前のように理解しています。
でも、その理解には、これまでの経験や、自分の中で自然になっている基準が関係している場合があります。
誰かから、
「ちゃんとしてね」
と言われた。
その言葉を聞いて、
「私は、ちゃんとできていないんだ」
と思った。
さらに、
「また失敗したら、怒られるかもしれない」
と予測した。
そして、不安になった。
さて、その間で、何が起きていたのでしょう。
そとがわメソッドでは、出来事と色づけ、一次反応や二次反応、その後の行動などを分けて観察します。
自分の感じ方を否定するためではありません。
正しい考え方を一つに決めるためでもありません。
なぜ、自分にはそのような意味が生まれたのか。なぜ、その反応が必要になっていたのか。
その仕組みを知るためです。
無料講座では、こうした人間の認識と反応について、日常の具体例から順番に見ていきます。
悩みを抱えている方だけでなく、人間そのものに興味がある方にも、楽しんでいただける内容です。
登録は不要です。
興味があれば、0時間目から自由にご覧ください。

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