一度、完成した。
見直しもした。
大きな問題もなさそう。
本当なら、これで終わりにしていい。
それなのに、
「本当にこれで大丈夫かな」
と、もう一度見る。
少し気になるところを見つけて直す。
直したら、今度は別のところが気になる。
もう一度確認する。
また少し直す。
気づけば、
終わっていたはずのものを、何度もやり直している。
そんなことはないでしょうか。
こういうとき、
「完璧主義だから」
「細かいことを気にしすぎるから」
「もっと適当でいいのに」
と言われることがあります。
でも、
何度もやり直してしまうなら、
見るところは、
「どうしたら気にしなくなるか」
だけではないかもしれません。
「終わった」と「これで出せる」は同じではない
たとえば、
仕事で資料を作った。
必要な内容は入っている。
誤字も確認した。
指定された条件も満たしている。
作業としては、
もう終わっています。
ところが、
送信しようとした瞬間。
「待って」
となる。
本当に間違っていない?
もっと分かりやすくできるんじゃない?
ここ、変に思われない?
もう少し整えた方がいい?
そして、
またファイルを開く。
ここで分けて見たいのは、
「作業が完成していること」と、「これで終わりにできること」は別だということです。
やり直す前に、何が起きている?
出来事だけを見ると、
資料を作った。
確認した。
完成した。
ここまでです。
でも、
「提出する」
となったところで、
何かが起きることがあります。
間違っていたらどうしよう。
雑だと思われたらどうしよう。
もっとできたのに、と思われるかもしれない。
あとからミスに気づいたら嫌だ。
この状態で出して、
何か言われたら嫌だ。
すると、
もう一度確認する。
少し直す。
さらに整える。
やり直す。
という行動が必要になることがあります。
やり直したら、少し安心する
もう一度確認した。
問題なかった。
少し安心する。
気になっていたところも直した。
これなら大丈夫かもしれない。
ここで終われればいいのですが、
しばらくすると、
また別のところが気になることがあります。
「こっちは大丈夫?」
そして、
また確認する。
これは、
やり直すことそのものが問題というより、
やり直すことで、出す前の不安を一度小さくできている
と見ることもできます。
だから、
「もう確認しない」
「一回で終わらせる」
と決めても、
簡単にはやめられないことがあります。
「もっと適当でいい」と言われても終われない
周りから見ると、
十分できていることがあります。
「もういいんじゃない?」
「そこまで見なくても大丈夫だよ」
「十分きれいだよ」
そう言われる。
自分でも、
やりすぎかもしれないと思っている。
それでも、
終わらせようとすると気になる。
このとき、
頭では、
「これくらいで大丈夫」
と分かっていることがあります。
それでも、
実際に終わらせようとすると、
別の反応が起きる。
だから、
「大丈夫だと分かること」と、「大丈夫として終われること」は同じではありません。
「完璧にしたい」だけとは限らない
何度もやり直していると、
「私は完璧主義なんだ」
と思うことがあります。
もちろん、
より良いものを作りたいこともあります。
細部までこだわること自体が、
悪いわけでもありません。
でも、
同じ「やり直す」でも、
中で起きていることは同じとは限りません。
もっと良くしたいから直している。
作ること自体が楽しくて直している。
納得できる形にしたくて直している。
間違いが怖くて直している。
何か言われるのが怖くて直している。
「ちゃんとしていない自分」になるのが嫌で直している。
外から見れば、
全部同じように、
「何度もやり直している」
と見えます。
でも、
なぜその行動が必要なのかは、それぞれ違います。
「これで出したら、何が起きそう?」
何度もやり直しているとき、
「もうやめよう」
と止める前に、
少し違うところを見ることができます。
たとえば、
「今のまま出したら、何が起きそう?」
間違いを指摘されそう。
評価が下がりそう。
雑な人だと思われそう。
迷惑をかけそう。
あとから後悔しそう。
自分で自分を許せなくなりそう。
あるいは、
何が起きるのかは分からないけれど、
なんとなく出すのが怖い。
それでも構いません。
ここで必要なのは、
正しい答えを出すことではありません。
「またやり直している自分」を直す前に、
終わらせようとしたとき、自分の中で何が起きたのかを見る。
それだけです。
本当に直したいところがあるなら、直していい
そとがわメソッドは、
「やり直してはいけない」
という話ではありません。
見直して、
直したいところが見つかった。
なら、
直せばいい。
もう少し良くしたい。
なら、
良くしてもいい。
何度確認しても構いません。
見るのは、
確認した回数ではなく、
その確認や修正が、なぜ自分に必要だったのか。
です。
必要な修正なのか。
もっと作り込みたいのか。
不安を小さくするためなのか。
何かが起きないようにするためなのか。
そこを分けて見ることができます。
「一回で終われた自分」を新しい正解にしなくていい
こういう話を知ると、
今度は、
「今日は一回で終われた」
「また三回確認してしまった」
と、
確認回数で自分を採点したくなることがあります。
でも、
それでは、
「何度もやり直す自分はダメ」
という新しい基準が増えるだけかもしれません。
一回で終わる日があってもいい。
何度も確認する日があってもいい。
大切なのは、
回数を減らすことを新しい目標にすることではなく、
自分の中で何が起きて、その行動が必要になったのかを見られることです。
「やり直してしまう自分」ではなく、その前を見る
何度も確認する。
何度も直す。
なかなか終われない。
そこだけを見ると、
「私は完璧主義だから」
「気にしすぎる性格だから」
「もっと自信を持たなきゃ」
となることがあります。
でも、
その行動の前には、
何かが起きています。
出来事がある。
そこに意味がつく。
反応が起きる。
そして、
確認する。
修正する。
やり直す。
という行動が出る。
だから、
見るところは、
「どうしたらやり直さなくなる?」
だけではありません。
「これで終わりにしようとしたとき、何が起きた?」
そこから見ることもできます。
もう少し、自分の中で起きていることを見てみたい方へ
何度も確認すること。
やり直すこと。
細かいところまで直すこと。
それ自体を、
悪い行動にする必要はありません。
ただ、
「これで終わり」
としようとした瞬間に、
何かが起きているなら。
その反応をなくそうとする前に、
一度、
何が起きたから、もう一度確認する必要があったのか
を見てみることができます。
そとがわメソッドの無料講座では、
こうした反応を、
性格や意志の問題として直すのではなく、
出来事と、
そこについた「いろづけ」、
そこから起きた反応を、
順番に分けて見ていきます。
よくある質問
何度も確認するのは、完璧主義だからではないのですか?
完璧主義という言葉で説明できる場合もあります。
ただ、同じ「何度も確認する」という行動でも、何が起きているかは人によって違います。
より良くしたくて確認しているのか。
間違いが怖いのか。
何か言われるのが怖いのか。
確認することで安心したいのか。
先に「私は完璧主義」と決めるより、そのとき何が起きているのかを見ることができます。
確認する回数を減らした方がいいですか?
回数だけでは判断できません。
必要な確認なら、確認して構いません。
見るのは回数ではなく、なぜその確認が必要になっているのかです。
「これでいい」と思えるようになるにはどうしたらいいですか?
「これでいいと思える自分」を新しい正解にすると、今度は「まだ気になる私はダメ」という採点が始まることがあります。
まずは、終わらせようとした瞬間に何が起きているのかを見てみます。
本当にミスしていたらどうするのですか?
ミスがあれば修正できます。
「実際に直す必要があること」と、「何か起きるかもしれないから終われないこと」は分けて見ることができます。
関連記事
→ ちゃんとしているのに怒られるのはなぜ?「もっと直す」前に分けて見たいこと
→ 反省しすぎて苦しい|改善することと「自分が原因」は同じではない
→ 「分かっているのにできない」は知識不足ではない|そとがわメソッド
「一回で終われる自分」にならなくてもいい
また確認した。
また直した。
また最初から見直した。
そんなとき、
「またやってしまった」
と、確認した回数を新しい問題にしなくても構いません。
見ることができるのは、
「これで終わりにしよう」としたとき、何が起きたのか。
間違っていたらどうなると思ったのか。
何か言われたらどうなると思ったのか。
あとから気づいたら、何が困るのか。
そして、
なぜもう一度確認することが必要になったのか。
本当に直したいところがあるなら、直していい。
必要な確認なら、何度確認してもいい。
そのうえで、
「確認しない自分」を目指すのではなく、自分の中でその行動がどう成立しているのかを見ることができます。
無料講座では、その見方を0時間目から順番に扱っています。

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
詳しいプロフィールはこちら

コメント