悟りたいのに苦しさがなくならない|「反応しない自分」を目指すほど苦しくなるのはなぜ?

いろいろ学んできた。

思考を観察する。

今ここにいる。

執着を手放す。

エゴに気づく。

感情と同一化しない。

反応している自分を、

少し離れたところから見る。

以前より、

自分の中で何が起きているのかも分かるようになった。

それなのに、

現実で嫌なことが起きると、

腹が立つ。

不安になる。

傷つく。

人の言葉が気になる。

執着する。

すると今度は、

「また反応してしまった」

「まだエゴが強いのかな」

「全然手放せていない」

「まだ観察できていない」

と、

反応した自分まで気になってくる。

苦しさから自由になりたくて学んだはずなのに、

なぜか、

「反応してはいけない自分」

が増えていく。

そんなことはないでしょうか。


目次

「反応した」と「まだできていない」は同じではない

たとえば、

誰かから嫌なことを言われた。

イラッとした。

ここまでを、

一度そのまま見てみます。

出来事があった。

そして、

反応が起きた。

まずはそれだけです。

ところが、

悟りや観察について学んでいると、

そのあとに、

「また反応した」

「こんなことで腹を立てるなんて」

「まだエゴに巻き込まれている」

「もっと俯瞰して見なきゃ」

というものがつくことがあります。

すると、

最初は、

ただ「イラッとした」だったものが、

「イラッとした私は、まだできていない」

に変わります。

反応が起きたことと、

悟れていないことは、

同じではありません。


苦しさをなくそうとして、二つ目の苦しさが増えることがある

嫌なことを言われて、

腹が立った。

これが最初の反応だとします。

そのあと、

「腹を立ててはいけない」

「こんなことに反応しているようではダメ」

「もっと観察しなきゃ」

となった。

すると、

最初の反応に対して、

もう一つ反応が起きています。

腹が立った。

↓

腹が立った自分を問題にした。

最初の怒りとは別に、

「怒っている自分はダメ」という苦しさ

が増えています。

そとがわメソッドでは、

こうした、

反応に対してさらに起きる反応も、

分けて見ていきます。


「エゴをなくさなきゃ」が新しい課題になることもある

エゴという言葉にも、

さまざまな使われ方があります。

そとがわメソッドにも、

「エゴ」という言葉はあります。

ただ、

ここで見たいのは、

「エゴとは本当は何なのか」

という定義争いではありません。

たとえば、

人に認められたいと思った。

嫌われたくないと思った。

自分が正しいと証明したくなった。

不安になった。

そのとき、

「これはエゴだ」

と気づく。

ここまでは、

自分を見るための言葉として使えます。

ところが、

「エゴが出た」

↓

「エゴをなくさなきゃ」

↓

「またエゴが出た」

↓

「まだ私はできていない」

となると、

今度は、

エゴがある自分をなくそうとする仕組み

が動き始めます。

エゴをなくそうとしているその反応も含めて、

見ることができます。


「手放す」が「持っていてはいけない」に変わるとき

執着を手放す。

過去を手放す。

感情を手放す。

コントロールを手放す。

こうした言葉によって、

楽になることもあるでしょう。

でも、

手放せないものが出てきたとき、

「まだ執着している」

「手放せていない」

「だから苦しいんだ」

となることがあります。

すると、

最初は、

「これが欲しい」

「こうなってほしい」

「この人に分かってほしい」

だったものに、

「そう思っている自分は、まだ手放せていない」

が加わります。

ここでも、

手放すこと自体が問題なのではありません。

「手放せている自分」が、

新しい正解になっていないか。

そこを見ることができます。


「今ここ」にいようとして、今ここにいない自分を責める

過去でも未来でもなく、

今ここを見る。

それが役に立つこともあります。

でも、

明日のことが不安になった。

過去のことを思い出した。

頭の中で何度も考えていた。

そこで、

「また今ここにいない」

と思う。

「思考に巻き込まれている」

「もっと今を生きなきゃ」

となる。

すると、

未来を考えていたことよりも、

未来を考えてしまった自分の方が問題になる

ことがあります。

今ここにいるために、

今ここにいない自分を監視し続ける。

そうなると、

「今ここ」も、

自分を採点する基準になります。


観察することが「正しく観察できているか」の確認になることもある

自分の思考を見る。

感情を見る。

反応を見る。

観察する。

これは、

そとがわメソッドでも大切にしていることです。

ただし、

観察そのものが、

「正しくできているか」

の確認になることがあります。

「今、観察できてる?」

「巻き込まれてない?」

「これは観察者から見られてる?」

「また反応と一体化してない?」

そうやって、

観察している自分まで、

さらに観察して確認する。

すると、

観察が、

自分を自由にするための新しい課題

になることがあります。


そとがわメソッドでは「反応しない人」を目指さない

そとがわメソッドでは、

怒らなくなること。

不安にならなくなること。

人の顔色が気にならなくなること。

執着しなくなること。

そうした状態を、

直接のゴールにはしていません。

人間なので、

何かが起きれば反応することがあります。

見るのは、

反応したかどうかではなく、その反応がどう成立しているのか。

です。

何が起きた?

そこに何がついた?

何を予測した?

どんな反応が起きた?

そのあと、

その反応をどう見た?

さらに何が起きた?

ひとつずつ、

分けて見ます。


「観察できている自分」にならなくてもいい

ここは、

少しややこしいところです。

「反応してもいいんだ」

と知った。

すると今度は、

反応したときに、

「反応してもいいと思わなきゃ」

となることがあります。

これも、

新しい正解です。

怒ってもいい。

不安でもいい。

執着してもいい。

そう言い聞かせなければならないわけでもありません。

「こんな自分は嫌だ」

と思ったなら、

それも起きたものとして見られます。

何が出ても、それを正しい状態へ戻すところから始めなくていい。

ただ、

何が起きたのかを見る。


悟りを目指すこと自体が悪いわけではない

悟りたい。

もっと自由になりたい。

苦しさから離れたい。

そう思うことを、

やめる必要はありません。

瞑想してもいい。

スピリチュアルを学んでもいい。

仏教を学んでもいい。

非二元の考え方を使ってもいい。

自分にとって役に立つなら、

使えばいい。

そとがわメソッドは、

それらを捨てるためのものではありません。

ただ、

学んだことによって、

「こうなっていなければならない自分」

が増えているなら。

その状態も、

見ることができます。


「反応しない」ではなく「反応が見える」

何か言われた。

腹が立った。

「あ、腹が立った」

と分かる。

そのあと、

「こんなことで腹を立ててはいけない」

と思った。

「あ、今度は腹を立てた自分を問題にした」

と分かる。

さらに、

「ちゃんと観察しなきゃ」

と思った。

「あ、今度は正しく観察しようとしている」

と分かる。

これを、

全部なくす必要はありません。

ただ、

起きていることが、

少しずつ分かれて見えてくる。

すると、

今までひとまとまりだったものの中に、

選べるところが出てきます。


苦しくない状態は、「正しくできた人へのご褒美」ではない

「もっと手放せたら」

「もっと観察できたら」

「エゴがなくなったら」

「執着しなくなったら」

その先に、

ようやく苦しくない状態がある。

そう考えると、

今の自分と、

理想の自分の間に、

ずっと距離ができます。

そして、

何かに反応するたびに、

「また遠ざかった」

と思う。

でも、

苦しくない状態を、

何かを達成したあとに手に入れるものとして見なくても構いません。

何かが起きたとき、

そこに何がついて、

どんな反応が起きて、

その反応にさらに何がついているのか。

それを分けて見る。

すると、

最初からあったものと、あとから増えたもの

が見えてきます。


悟りの知識も、自分を見るための道具にできる

悟り。

エゴ。

執着。

手放し。

今ここ。

観察。

それぞれの考え方を、

捨てる必要はありません。

それによって、

自分を見ることができるようになったのであれば、

そのまま使うこともできます。

ただ、

それが、

「正しい自分になるための基準」

になって苦しくなっているなら。

一度、

基準に自分を合わせるのではなく、

その基準を使ったとき、自分の中で何が起きているのか

を見ることもできます。

そとがわメソッドの無料講座では、

出来事と、

その出来事についた「いろづけ」、

そこから起きる反応を、

順番に分けて見ていきます。


よくある質問

悟りやスピリチュアルを否定しているのですか?

否定していません。

この記事では、悟りが何であるか、スピリチュアルな考え方が正しいかどうかを決めていません。

それらを学んだとき、自分の中で何が起きているのかを見ています。

反応しなくなることが悟りなのではないですか?

「悟り」という言葉には、思想や伝統によってさまざまな説明があります。

この記事では、その定義を決めません。

そとがわメソッドで見るのは、反応が起きたときに、それをどう受け取り、そこからさらに何が起きているのかです。

エゴはなくさなくていいのですか?

そとがわメソッドでは、「エゴがある=悪い」とは扱いません。

エゴをなくそうとする前に、何が起きたときにどのような反応が必要になっているのかを見ることができます。

観察していれば、いつか反応しなくなりますか?

反応しなくなることを保証するものではありません。

観察によって、それまでひとまとまりだった反応の仕組みが分かれて見え、自動的にしていた行動以外も選べるようになることがあります。


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「反応しない自分」になってから、楽になるわけではない

怒った。

不安になった。

執着した。

誰かの言葉が気になった。

その反応が起きたことと、

「まだできていない自分」

は同じではありません。

反応をなくす前に、

何が起きて、そこに何がついて、どんな反応が起き、その反応を自分がどう見たのか。

そこまで分けて見ることができます。

「もっと手放さなきゃ」「もっと観察できるようにならなきゃ」と、さらに自分を正しい状態へ近づける前に。

今すでに起きていることを見るところから始めたい方は、無料講座0時間目からご覧ください。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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