「また人に合わせちゃった」
「今のって他人軸だったのかな」
「もっと自分の気持ちを大切にしないと」
自分軸について学んでから、こんなふうに自分の行動をチェックすることが増えていませんか?
本当は、もっと自分らしく生きたくて学び始めたはずです。
人の顔色ばかり見るのをやめたい。
自分の気持ちを大切にしたい。
他人に振り回されず、自分で選べるようになりたい。
ところが気づけば、
「これは自分軸? それとも他人軸?」
と、自分を確認することが増えている。
誰かに合わせたり、断れなかったりすると、
「また他人軸になってる」
「全然変われてない」
「もっと自分軸でいないと」
と、今度は自分を責めてしまう。
もしそうなっているなら、一度「自分軸になれているか」という採点から離れて、
そのとき、自分の中で何が起きていたのか
を見てみてもいいかもしれません。
「人に合わせた」は、それだけでは問題ではない
たとえば、友人から突然誘われたとします。
本当は今日は家でゆっくりしたかった。
でも、
「せっかく誘ってくれたし」
「断ったら悪いかな」
と思って、「いいよ」と答えた。
あとから、
「また人に合わせてしまった」
「これだから私は他人軸なんだ」
と思ったとします。
ここで、一度分けてみます。
起きたことは、
友人から誘われた。
自分は「いいよ」と答えた。
まずはそれだけです。
そこに、
「本当は断りたかったのに」
「相手を優先してしまった」
「これは他人軸だ」
「私はまだ自分軸で生きられていない」
という意味が重なっていきます。
すると最初は「誘われて、行くと答えた」という出来事だったものが、
「私はまた自分を大切にできなかった」
という、自分自身への評価にまで変わっていきます。
自分軸を学んだことで、新しい「正解」ができることがある
自分軸という考え方そのものが悪いわけではありません。
自分の気持ちに気づいたり、自分で選んだりするために役立つこともあります。
ただ、
「自分軸で生きることが正しい」
となった瞬間、
「人に合わせた私はダメ」
「断れなかった私はダメ」
「相手の反応を気にした私はダメ」
という、新しい判断が生まれることがあります。
すると今度は、
自分軸で生きるために、自分を監視する
ということが起こります。
本来は自分を楽にするために知ったはずの言葉なのに、その言葉を使って自分を評価し続ける。
苦しさの材料が変わっただけで、また自分を問題にしていることがあります。
「他人軸だったか」より、そのとき何が起きていたのか
では、人に合わせたとき、実際には何が起きていたのでしょう。
先ほどの例なら、
最初に、
「今日は行きたくない」
という自分の感覚がありました。
ところが、誘われたことで、
「断ったら悪いかな」
「嫌われたらどうしよう」
という考えが出てきた。
そうすると不安になる。
その不安がある状態で、
「いいよ」
と答えた。
そして今度は、その自分を見て、
「また他人軸だった」
と思った。
こうして順番に見てみると、
「私は他人軸だから」
という一言だけでは見えなかったものが、たくさんあります。
行きたくなかったこと。
相手の反応を想像したこと。
不安になったこと。
その状態で「行く」と答えたこと。
そして、その自分を「他人軸だ」と判断したこと。
全部まとめて「他人軸」と呼んでいたものの中で、実際にはいろいろなことが起きていたんです。
「また他人軸だった」で終わると、見えなくなるもの
「私は他人軸だから」
という言葉は、とても分かりやすいものです。
でも、分かりやすいからこそ、それ以上見なくなることもあります。
本当は、
なぜ断るのが怖かったのか。
何が起きると思ったのか。
なぜ「いいよ」と答える必要があったのか。
そこには、その人なりの理由があります。
ところが、
「他人軸だから直さなきゃ」
で終わってしまうと、その理由を見る前に、自分を変えようとすることになります。
そして次にまた人に合わせたとき、
「やっぱり変われてない」
となる。
せっかく自分を知るために学んだ言葉が、いつの間にか自分を採点する言葉になってしまうことがあります。
人に合わせること自体を、悪者にしなくていい
人に合わせることもあります。
自分の希望より相手を優先することもあります。
断れない日だってあります。
それだけで「自分軸がない」と決める必要はありません。
同じ「いいよ」でも、
本当に行きたくて言った「いいよ」もあれば、
断るのが怖くて言った「いいよ」もある。
今日は相手を優先したいと思って言うこともある。
大切なのは、
「人に合わせたかどうか」だけで、自分を判断しないこと。
何が起きて、その行動になったのか。
そこが見えてくると、
「人に合わせてはいけない」
ではなく、
「今回は行く」
「今回は断る」
「少し考えてから返事する」
と、選べるものが増えていきます。
今日見るのは「自分軸かどうか」ではなく、この一点
次に、
「今のって他人軸だった?」
と思ったとき。
すぐに答えを出さなくて大丈夫です。
今日見るのは一つだけ。
「私は今、何が起きたから『他人軸だった』と思ったんだろう?」
人に合わせたから?
断れなかったから?
相手の顔色を見たから?
自分の希望とは違う返事をしたから?
まず、それを見つけてみます。
直さなくていい。
すぐに自分軸へ戻そうとしなくていい。
何が起きていたのかを見る。
そこから始められます。
「自分軸でいなきゃ」も、自分の中で起きていることの一つ
「また人に合わせた」
「また断れなかった」
「今のは他人軸だったかも」
そんなとき、すぐに自分軸へ戻そうとしなくても構いません。
見ることができるのは、
その場で、実際に何が起きていたのか。
自分はどうしたかったのか。
何を想像したのか。
何が怖くなったのか。
なぜその行動を選ぶ必要があったのか。
そして、そのあとでなぜ「これは他人軸だ」と自分を判断したのか。
自分軸になるためではなく、自分の中で起きていることを知るために見ることができます。
無料講座では、この見方を出来事から順番に扱っています。
よくある質問
自分軸で生きようとすることは間違いですか?
間違いということではありません。
自分軸という考え方が、自分の気持ちや選択に気づくきっかけになることもあります。
ただ、「自分軸でいなければならない」という新しい正解になったとき、それに合わない自分を責める材料になることがあります。
大切なのは、自分軸が正しいか間違っているかではなく、その考え方を使っているとき、自分の中で何が起きているのかを見ることです。
人に合わせてしまったときは、どうすればいいですか?
まず「また他人軸になった」と判断する前に、そのとき何が起きていたのかを見てみます。
何を感じていたのか。
何を想像したのか。
何が怖かったのか。
その結果、どんな行動になったのか。
そこが見えてくると、「人に合わせない」という一つの正解ではなく、その場で選べる行動が増えていきます。
分かっているのに、何度も同じ反応をしてしまいます
知識として理解していることと、実際に反応が起きることは別です。
「分かっているのにまたやった」とき、それを「まだ変われていない証拠」にすると、そのこと自体が新しい苦しさになることがあります。
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「自分軸か、他人軸か」を決めなくても見られる
人に合わせることもある。
自分の希望を優先することもある。
断ることもある。
今日は相手を優先することもある。
どれか一つを「正しい自分」にしなくても構いません。
また、
「今のって他人軸だった?」
と思ったときに、
自分軸へ戻すことより先に、その場で自分の中に何が起きていたのかを見ることができます。
自分軸という言葉も、他人軸という言葉も、自分を採点するためではなく、自分を見るために使えます。
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そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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