「手放そう」とするほど手放せないのはなぜ?「手放さなきゃ」が増えるときに起きていること

執着を手放した方がいい。

考えない方がいい。

期待を手放したら、うまくいく。

そう聞いて、

「よし、手放そう」

と思った。

前より考える時間が減った気もする。

少し気持ちが楽になった日もある。

でも、ふとまた思い出す。

気になる。

確認したくなる。

そして、

「まだ手放せてない」

「こんなに気になるってことは、執着してる」

「もっとちゃんと手放さなきゃ」

と思う。

そんなことはないでしょうか。

手放すという考え方や方法が間違っている、という話ではありません。

距離を置くことで楽になることもあります。

考え続けるのをやめることで、気持ちが軽くなることもあります。

ただ、

それでも何度も

「まだ手放せていない」

と確認するところへ戻るなら、

「どうすれば完全に手放せる?」

の前に、

そもそも、どこで「まだ手放せていない」と決まったのか。

そこを見てみてもいいかもしれません。

目次

「また気になった」と「手放せていない」は同じこと?

たとえば、

スマートフォンを見たとき、

ある人からまだ返信が来ていなかった。

ここで起きた出来事は、

まだ返信が来ていない。

です。

そのあと、

「あの人のことが気になった」

「返信が来ているか確認したくなった」

という反応が起きるかもしれません。

さらに、

「また確認してしまった」

「やっぱり執着している」

「全然手放せていない」

と続くことがあります。

本人には、

「また気になった=手放せていない」

と、ひとまとまりに見えるかもしれません。

でも、

気になったことと、

「だから私は手放せていない」と判断したこと

は、同じではありません。

ここにはもう一段、判断が入っています。

「手放せた自分」が新しい合格ラインになる

手放すという考え方を知る前は、

ただ、

「気になる」

「会いたい」

「どうなるんだろう」

と思っていたかもしれません。

でも、

「執着を手放した方がいい」

と知ると、

自分を見る基準が一つ増えます。

気になった。

「まだ執着してる」

思い出した。

「手放せてない」

期待した。

「また握ってる」

確認した。

「まだダメだ」

すると、

手放すという考え方が、

自分を理解するためではなく、

今の自分ができているかどうかを採点する基準

になることがあります。

そして「できていない」と判定するたびに、

もう一度、

手放す必要が生まれます。

手放そうとしているのに、ずっと対象を確認している

少し不思議なことが起きます。

「考えないようにしよう」

と思うためには、

まず、

今、そのことを考えているかどうか

を確認する必要があります。

「執着していないか確認しよう」

と思えば、

執着があるかどうかを見る。

「手放せたかな?」

と思えば、

また対象を思い出す。

すると、

手放そうとしている間、

ずっと

「私はまだ気にしているか?」

を確認することになります。

ここで苦しくなっているなら、

さらにうまく手放す方法を増やす前に、

この確認そのものを見てみてもいいかもしれません。

学ぶほど自分を責めてしまうのはなぜ?知識が増えるほど苦しくなるときでも、学んだ知識が「できている/できていない」の採点基準になる流れを扱っています。

「手放せないこと」が問題になったのはいつ?

たとえば、

ある人のことを思い出した。

少し寂しくなった。

連絡が来ているか確認したくなった。

ここまでなら、

人の中で起きた反応です。

でも、そのあと、

「まだ執着している」

「こんな状態では叶わない」

「手放さないと前に進めない」

「早くこの気持ちをなくさないと」

と続いたとします。

このとき、

最初に起きた寂しさだけではなく、

寂しくなった自分への判断

が加わっています。

では、

苦しいのは、

寂しさそのものなのか。

相手が気になることなのか。

それとも、

「この反応がある私は、まだ手放せていない」

という判定まで重なっているのか。

一度、分けてみることができます。

手放す方法を使ってはいけないわけではない

距離を置く。

SNSを見ない。

考える時間を減らす。

別のことに集中する。

書き出す。

そういった方法を使っても構いません。

それで楽になるなら、

使えばいいと思います。

ただ、

それをやっても、

「今日は思い出したから失敗」

「また確認したから手放せていない」

「まだ期待してしまう私はダメ」

と、

自分を監視する項目が増えているなら、

方法をもう一つ増やす以外にも見る場所があります。

変わりたいのに変われないのはなぜ?何度決意しても元に戻る理由でも、変えようとしているものだけを見るのではなく、その反応がどう成立しているのかを扱っています。

「どうすれば手放せる?」の前に見られること

また気になったとき、

すぐに手放そうとしなくても構いません。

少し手前から見ます。

何があった?

何を見た?

何を思い出した?

そこにどんな意味がついた?

何が起こると思った?

身体や感情はどう反応した?

そのあと何をしたくなった?

そして、

なぜ今、この反応を「手放さなければならない」と思ったんだろう?

ここを見る。

「執着をなくす」のではなく、

執着だと呼んでいるものが、自分の中でどう出来上がっているのかを見る。

すると、

「手放せていない私」

という完成品だけではなく、

その途中にある反応や判断が見えてきます。

手放せていなくても、見ることはできる

そとがわメソッドでは、

何も気にならなくなることをゴールにはしていません。

思い出すこともある。

期待することもある。

寂しくなることもある。

確認したくなることもある。

それが起きたとき、

さらに

「こんな私はダメ」

「まだ手放せていない」

と一つの結論にまとめる前に、

「今、私の中ではこういうことが起きている」

と見られる余地があります。

悟りたいのに苦しさがなくならない|「反応しない自分」を目指すほど苦しくなるのはなぜ?でも、「反応しない状態」を新しい正解にしたときに起きることを扱っています。

手放せているかどうかを決める前に、

まず、

今どんな処理が走っているのか。

そこから見てもいいのかもしれません。


「手放さなきゃ」

「執着をなくさなきゃ」

と思うたびに、

自分がまだできていないように感じる。

そんなときは、

さらに新しい方法を足す前に、

出来事と、

そこについた意味や予測、

起きた反応、

そしてその反応を見たあとの判断を、

一度分けて見てみてください。

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よくある質問

執着は手放した方がいいのではないですか?

手放した方が楽になることもあると思います。

この記事では、「手放すべき/手放さなくていい」という新しい正解を決めることを目的にしていません。

手放そうとしても何度も同じところへ戻る場合に、そのとき自分の中で何が起きているのかを見ることを扱っています。

また思い出すのは、執着している証拠ではないのですか?

「思い出した」ということと、「だから執着している」という説明は分けて見ることができます。

執着という言葉を使うことが悪いわけではありません。

ただ、その言葉を使ったあとに「だから早く直さなければ」と苦しさが増えているなら、その流れも観察できます。

相手のSNSを見ない方がいいですか?

見ないことで楽になるなら、そうして構いません。

逆に見ること自体を禁止すると、「見たいと思った私はまだ執着している」と新しい採点が始まることもあります。

見る・見ないの正解を決めるより、その行動がなぜ必要になっているのかを見ることができます。

手放すワークや引き寄せをやめた方がいいですか?

やめる必要はありません。

役に立つなら使って構いません。

ただ、それを「ちゃんとできなければいけないもの」にしたことで苦しくなっているなら、そのとき何が起きているのかを見る余地があります。

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何が起きて、

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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