同じカレーを、同じ鍋から二つの皿に盛る。一方はいつもの深皿、もう一方は少し大きな白い皿。ソースの量も具も同じなのに、後者はなんだか「お店のカレー」に見えたりします。
では、白い皿に移した瞬間、カレーの味は変わったのでしょうか? まだ一口も食べていないのに、すでに何かが変わっているようです。
「おいしそう」は、食べる前にも生まれる
まず、ここを分けてみると面白くなります。食べ物の味と、食べる前に抱く「おいしそう」という予想は、同じものではありません。
きれいに焼き色のついたパンを見れば、まだかじっていなくても「香ばしそう」と思うことがあります。逆に、焼き色が濃すぎれば「苦そう」と予想するかもしれません。
その予想は、過去に食べたパンの経験や、見た目から学んだ手がかりと結びついています。ただし、「香ばしそう」と思ったからといって、実際にそのパンが香ばしいとは限りません。
ここには少なくとも、目に入った情報 → 食べる前の予想 → 口に入れたときの感覚 → 食べたあとの評価という、別々に観察できる場面があります。
条件を一つずつ変えたら、どこが動く?
① 器だけを変える
唐揚げをいつもの皿に盛る。次に、同じ唐揚げを大きな黒い皿に、少し間隔を空けて並べる。食材も調理方法も変えていません。
それでも「お店っぽい」「上品」「ちょっと物足りない」など、受け取り方は人によって違いそうです。黒い皿が必ず好評とは限らないところも面白い。器が違うと、比較する基準まで変わるのかもしれません。
② 説明だけを変える
目の前にある二つの小皿に、まったく同じチョコレートを置いてみます。一方には「いつものチョコ」、もう一方には「職人が時間をかけて作ったチョコ」と説明されたらどうでしょう。
説明が事実かどうかは、ここではいったん別の問題です。注目したいのは、口に入れる前から「どんな味だろう」という待ち方が変わりうること。しかも、実際に食べたあとには「思ったほどではない」と感じる場合だってあります。
③ 自分の状態を変える
では、お腹がぺこぺこのときと、食事を終えた直後では? よく眠れた日と、疲れ切った夜では?
同じおにぎりでも、食べたい気持ちやおいしさの評価が違うことがあります。器や説明は外側の条件ですが、空腹、体調、気分といった内側の条件も食事の体験に関わります。
つまり「同じ料理」の「同じ」は、材料と調理方法についての話なのか、食べる人の体験全体についての話なのかで、意味が変わるんですね。
「味が変わった」と「評価が変わった」は同じ?
ここで、少しややこしくて面白いところがあります。
「白い皿のほうがおいしく感じた」という感想は、その人がそう感じたという体験の報告です。一方、「皿によって舌で感じる味覚そのものが変化した」と言うには、もう少し厳密な条件の比較が必要です。
香り、温度、食感、見た目、期待などは、私たちの食事体験に関わります。しかし、何がどれだけ影響したのかは、その場の感想だけでは分かりません。これは、体験を否定する話ではなく、どのことを確かめたのかを分けるという話です。
「これは高級な料理だから、おいしいはず」と期待して食べたら、普通においしかった。さて、その「おいしい」は期待のおかげでしょうか。料理人のおかげでしょうか。両方かもしれませんし、別の理由があるかもしれません。
一皿のカレーだけでも、ずいぶん調べることが増えてきましたね。w
自分の評価は、いつ決まったのだろう?
食べる前から「おいしそう」が始まるのなら、「まずそう」もまた、まだ味わっていない段階で生まれます。そして、その予想どおりだったと感じることも、いい意味で裏切られることもあるでしょう。
人は、ただ食べ物を受け取っているだけではなく、その周囲の情報と自分の経験を使いながら、一つの体験を作っている。そう考えると、食卓はずいぶん賑やかな観察場所です。
この「起きていること」と「そこに足した意味」を分ける視点については、出来事と意味づけを扱った記事でも詳しく紹介しています。また、感覚そのものの主観性が気になったら、クオリアの話へ進むと、さらに不思議が広がります。
ところで、明日の朝食でいつものお皿を変えたら、何が変わるでしょう。おいしさか、気分か、単なる洗い物の量か。答えは、実際に食べてみるまで分かりません。
よくある質問
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