感情を感じ切れば楽になるはずなのに苦しい|「ちゃんと感じなきゃ」の前に見たいこと

感情は、

抑え込まない方がいい。

ちゃんと感じた方がいい。

悲しいなら、

悲しさを感じる。

怒っているなら、

怒りを感じる。

怖いなら、

怖さを感じる。

感情は、

感じ切れば流れていく。

そんな話を知って、

自分の感情と向き合ってきた。

嫌なことがあったとき、

逃げずに感じようとした。

身体の感覚にも意識を向けた。

泣けるときは、

泣いた。

それなのに、

また同じことで苦しくなる。

まだ悲しい。

まだ腹が立つ。

まだ不安になる。

すると、

「ちゃんと感じ切れていないのかな」

「まだ感情が残っている?」

「もっと感じた方がいい?」

と、

自分の感情を確認し始める。

楽になるために感情を感じていたはずなのに、

いつの間にか、

「ちゃんと感じ切らなければならない」

になっていないでしょうか。


目次

感情を感じることで分かることもある

最初に、

分けておきたいことがあります。

この記事は、

「感情を感じることに意味はない」

という話ではありません。

嫌だったのに、

「大丈夫」としていた。

本当は悲しかったのに、

平気なふりをしていた。

腹が立っていたのに、

「怒ってはいけない」と抑えていた。

そんなとき、

自分の感情に気づくことで、

「ああ、私は嫌だったんだ」

「悲しかったんだ」

「本当は怒っていたんだ」

と分かることがあります。

それによって、

楽になることもあるでしょう。

感情を見ることが、

自分を理解するために役立っているなら、

捨てる必要はありません。


「また出てきた」が「まだ感じ切れていない」に変わる

問題になることがあるのは、

そのあとです。

悲しいことがあった。

悲しさを感じた。

泣いた。

少し落ち着いた。

ところが、

数日後、

ふと思い出して、

また悲しくなった。

そこで、

「まだ悲しいんだな」

だけなら、

今起きている反応を見ることができます。

でも、

「まだ出てくるということは、感じ切れていないんだ」

となることがあります。

すると、

もう一度、

感情を感じようとします。

そして、

まだ残っているかどうかを確認する。


「いつなくなる?」を確認し始める

感情を感じる。

少し落ち着く。

でも、

まだ何となくモヤモヤする。

「まだ残ってる?」

と思う。

身体の感覚を確認する。

胸?

喉?

お腹?

どこかに残っていない?

もっと感じる。

そして、

「これで感じ切れたかな」

と確認する。

こうなると、

感情を見ることとは別に、

「感情がなくなったかどうかを確認する」

という動きが始まっています。


「感情がある」と「感じ切れていない」は同じではない

ここで、

一度分けて見ます。

嫌なことを思い出した。

悲しくなった。

胸が苦しくなった。

ここまでで起きているのは、

出来事を思い出して、

反応が起きた、

ということです。

そのあと、

「まだ感情が残っている」

「ちゃんと感じ切れていない」

という説明がつくことがあります。

その説明が、

自分を見るために役立つこともあります。

でも、

感情が起きたことと、「感じ切れていない」と分かったことは同じではありません。


「本当の感情」を探し始めることもある

感情について学んでいると、

いろいろな説明を知ることがあります。

怒りの奥には、

悲しみがある。

悲しみの奥には、

寂しさがある。

表面の感情ではなく、

本当の感情を見る。

そうした見方によって、

気づくこともあるでしょう。

でも、

怒っているときに、

「これは本当の感情じゃないのかも」

と思う。

悲しさを探す。

悲しくならない。

すると、

「もっと奥に何かある?」

となる。

さらに、

寂しさ?

怖さ?

無価値感?

と探していく。

そうすると、

今起きている感情を見ることより、

「本当に感じるべき感情を当てること」

が目的になることがあります。


今ある感情を「偽物」にしなくてもいい

腹が立った。

それなら、

今は腹が立っている。

悲しくなかった。

それなら、

今は悲しくなかった。

何も感じなかった。

それなら、

今は何も感じなかった。

その奥に、

別の感情がある可能性を否定する必要もありません。

でも、

今感じているものを、

「これは表面だから」

と消す必要もありません。

今あるものから、

見ることができます。


身体で感じられない自分を問題にしなくてもいい

「感情は頭で考えるのではなく、身体で感じる」

という方法を知ることもあります。

胸の詰まり。

喉の締め付け。

お腹の重さ。

身体に出ている感覚を見る。

それによって、

自分の状態に気づきやすくなることもあります。

でも、

何も分からない。

身体のどこにあるのか分からない。

意識を向けても、

特に何も感じない。

すると、

「私は感情を感じるのが苦手なんだ」

「ずっと抑圧してきたから?」

「もっと身体を感じなきゃ」

となることがあります。

すると、

何も感じないことまで、新しい問題になります。

何も分からなかったなら、

「今は分からない」

から見ることもできます。


「感じなきゃ」が二つ目の反応になることもある

悲しい。

これが、

最初に起きた反応だとします。

そこから、

「この悲しさをちゃんと感じなきゃ」

と思う。

感じようとする。

うまくできているか気になる。

「まだ残っている」

と思う。

「もっと感じなきゃ」

となる。

すると、

最初の悲しさとは別に、

「正しく感情を感じられていないかもしれない」という反応

が増えています。

そとがわメソッドでは、

最初の反応だけでなく、

その反応に対して何が起きたのかも、

分けて見ていきます。


「感じ切れば消える」をゴールにすると、感情を監視し続けることがある

感情を感じ切ったら、

なくなる。

そう考えていると、

感情が出るたびに、

「まだある」

と感じることがあります。

すると、

感情があること自体が、

「まだ終わっていない証拠」

になります。

悲しくなる。

「まだある」

腹が立つ。

「まだ残っている」

不安になる。

「まだ感じ切れていない」

そして、

感情がなくなるまで、

自分を確認し続ける。

すると、

感情から自由になるために、ずっと感情を監視する

ということも起こります。


感情をなくすことを目的にしなくてもいい

そとがわメソッドでは、

悲しまなくなること。

怒らなくなること。

不安にならなくなること。

感情を完全に感じ切ること。

それ自体を、

直接のゴールにはしていません。

何かが起きれば、

反応することがあります。

そのとき、

見るのは、

「この感情をどうやってなくすか」

だけではありません。

何が起きた?

そこに何がついた?

何を予測した?

どんな反応が起きた?

その反応に対して、

さらに何が起きた?

そして、

そのあと何をした?

なぜ、その行動が必要になった?

と、

順番に見ていきます。


感じることも、避けることも、起きているものとして見られる

感情を感じようとした。

それも見られます。

感じたくなくて、

動画を見た。

仕事をした。

寝た。

誰かに話した。

それも見られます。

「逃げてしまった」

と思ったなら、

その反応も見られます。

ここで、

「感情から逃げてはいけない」

という正解を作る必要はありません。

なぜ、

そのとき逃げる必要があったのか。

そこも含めて、

見ることができます。


「感情を感じなくていい」を新しい正解にする話でもない

ここも大切です。

「じゃあ、感情なんて感じなくていいんだ」

という話でもありません。

感じたいなら、

感じてもいい。

泣きたいなら、

泣いてもいい。

身体の感覚を見たいなら、

見てもいい。

何もしたくないなら、

何もしないこともあります。

どれか一つを、

正しい方法にする必要はありません。

何をしているかだけではなく、なぜ今それが必要なのかを見る。

そとがわメソッドでは、

そこを見ていきます。


「感じ切れたか」ではなく「今、何が起きている?」へ

感情が出たとき、

「ちゃんと感じ切らなきゃ」

となる。

それで楽になるなら、

その方法を使うこともできます。

でも、

何度感じても、

「まだ残っている」

「もっと感じなきゃ」

と苦しくなるなら。

問いを少し変えることもできます。

「この感情は、まだ残っている?」

ではなく、

「今、自分の中で何が起きている?」

を見る。

悲しさがある。

悲しさをなくしたいと思った。

「感じ切ればなくなる」と考えた。

感じようとした。

なくなったか確認した。

まだあると思って焦った。

そこまで全部、

今起きていることとして見ることができます。


感情も、自分を見るための一つの入口にできる

悲しい。

腹が立つ。

怖い。

不安になる。

何も感じない。

どれが出ても、

そこから見ることができます。

その感情を、

すぐに消す必要もありません。

「ちゃんと感じ切れているか」

を判定する必要もありません。

感情が起きた。

その感情に対して、

さらに何かが起きた。

そこから、

行動が起きた。

一つずつ分けて見ると、

ひとまとまりだったものが、

少しずつ見えるようになります。

そとがわメソッドの無料講座では、

出来事と、

その出来事についた「いろづけ」、

そこから起きる反応を、

順番に分けて見ていきます。

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よくある質問

感情は感じ切らなくてもいいのですか?

この記事では、「感じ切るべき」「感じ切らなくていい」のどちらかを正解にはしていません。

感情を感じることで楽になることもあります。

ただ、「まだ感情がある=感じ切れていない」と決めて苦しくなっているなら、その結びつきも分けて見ることができます。

感情を抑えるのはよくないのではないですか?

感情を抑えることによって苦しくなる場合もあるでしょう。

一方で、感情を出さない、考えないようにする、別のことをする、といった行動が起きたとき、そとがわメソッドではそれをすぐに間違いとは決めません。

なぜ、その行動が必要になったのかも含めて見ます。

怒りの奥には本当の感情があるのではないですか?

そうした見方が、自分を理解するために役立つこともあります。

ただ、今怒っているなら、まず「怒りが起きている」というところから見ることもできます。

別の感情を見つけなければ、今の反応を見られないわけではありません。

感情を感じても何も変わらないのは、やり方が間違っているのでしょうか?

それだけでは判断できません。

感情がまた起きたことと、「感じ方を間違えた」ということは同じではありません。

何が起き、その感情にどんな意味をつけ、そのあと何をしようとしたのかを分けて見ることができます。


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まずは無料講座から

ここまで読んで、

「自分の中で何が起きているのか、もう少し見てみたい」

と思った方へ。

そとがわメソッドでは、

出来事と、

その出来事についた「いろづけ」、

そこから起きる反応を、

順番に分けて見ていきます。

何かを信じる必要はありません。

今まで学んできたものを、

捨てる必要もありません。

それぞれが見ていたものを、一枚の地図で見てみませんか。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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