少し想像してみてください。
会社から、こんな知らせが届きました。
「来月から、あなたの給料を2万円上げます」
どう感じますか?
嬉しいでしょうか。
生活に少し余裕ができそうだと思うかもしれません。
欲しかったものを買おうと考える人もいるでしょう。
では、ここで一つ情報を追加します。
「ちなみに、同僚の給料は5万円上がったそうです」
さて、気持ちは変わりましたか?
さっきまで嬉しかったはずなのに、なんとなく複雑な気持ちになった人もいるかもしれません。
でも、不思議ですよね。
あなたの給料は、最初からずっと2万円上がったままなのです。
同僚の話を聞いたからといって、あなたの昇給額が減ったわけではありません。
それなのに、なぜ気持ちが変わるのでしょうか。
実は、人間の脳が報酬を受け取るときにも、他人との比較が影響することが研究されています。
今回は、身近な給料の例から、社会的比較と脳の報酬反応について考えてみましょう。
まずは、同僚の給料を変えてみよう
先ほどの話を、もう少し続けてみます。
あなたの給料は、2万円上がりました。
そして、同僚は5万円上がったと聞きました。
ところが、後になってこんなことが分かります。
「同僚も、実際には2万円の昇給だったそうです」
今度はどうでしょう。
さっきの複雑な気持ちが、少し軽くなったでしょうか。
では、別の情報だったら?
「実は、同僚は7万円も上がっていました」
これなら、どう感じますか?
さらに、こんな場合も考えてみましょう。
「同僚は1万円しか上がっていませんでした」
さて、あなたの気持ちはどう変化したでしょうか。
もちろん、どの情報を聞いても自分の昇給を素直に喜ぶ人もいれば、同僚の事情が気になったり、会社の評価基準に疑問を持ったりする人もいるでしょう。
反応は人によって違います。
ただ、ここで注目したいことがあります。
同僚の金額を変えても、自分の昇給額は一度も変わっていない。
それなのに、気持ちが変化することがある。
この不思議な現象を考えるための手がかりが、心理学の「社会的比較」です。
社会的比較とは?人は他人を基準に自分を評価する
社会的比較とは、自分の能力や意見、状況などを、他人と比べて評価することです。
1954年、心理学者レオン・フェスティンガーは、社会的比較についての理論を発表しました。
人間には、自分の意見や能力を評価しようとする働きがある。
そして、客観的な基準が十分に得られないときには、他人との比較が判断の手がかりになる。
という考え方です。
例えば、自分がテストで80点を取ったとします。
80点という数字だけなら、点数が分かっただけです。
でも、クラスの平均が50点だと知ったらどうでしょう。
「けっこう良かったんだな」
と思うかもしれません。
反対に、平均が95点だったら?
「思ったより低かったのかも」
と感じるかもしれません。
自分の点数は、どちらの場合も80点のままです。
でも、比較する情報が加わると、その80点をどう評価するかが変わることがあります。
これは、給料の話とよく似ています。
自分の昇給額が2万円という情報だけでなく、周囲の人がいくら上がったのかという情報によって、評価の基準が変化するのです。
→ Festinger(1954)「A Theory of Social Comparison Processes」
他人の報酬が変わると、脳の活動も変わる?
ここからが、さらに面白いところです。
2007年、ドイツの研究者クラウス・フリースバッハ(Klaus Fliessbach)らは、社会的比較が脳の報酬処理にどのように関係するのかを調べました。
研究に使われたのは、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)という装置です。
脳の血流に関連する変化を捉えることで、課題を行っているときの脳活動を調べます。
この研究では、二人の参加者を、それぞれ隣り合ったMRI装置に入れました。
そして、二人に簡単な推定課題を行ってもらいました。
課題に正解すると、お金がもらえます。
ここで重要なのは、自分が受け取る報酬は、自分の成績によって決まるということです。
もう一人が正解したから、自分の報酬が減るという仕組みではありません。
ところが、参加者には、自分の成績や報酬だけでなく、相手の成績や報酬も知らされました。
自分はいくらもらったのか。
相手はいくらもらったのか。
二つの情報を見られる状況だったのです。
さて、このとき脳では何が起きたのでしょうか。
自分の報酬は同じなのに、比較相手の金額で活動が変わった
研究者たちが注目した脳の領域の一つが、腹側線条体(ふくそくせんじょうたい)です。
この領域は、お金などの報酬を処理するときにも関わることが知られています。
実験では、比較相手が受け取る報酬額によって、この領域の活動が変化することが確認されました。
自分が受け取る金額だけでなく、相手がいくら受け取ったかという情報も、報酬に関係する脳活動に影響していたのです。
これは、かなり面白い結果です。
例えば、自分が同じ金額を受け取る場合を考えます。
相手が自分より少ない金額を受け取ったとき。
相手が自分より多い金額を受け取ったとき。
自分の報酬は同じでも、脳の反応には違いが生じ得るのです。
研究では、このような違いが、腹側線条体の血流に関連する信号の変化として捉えられました。
ただし、これは脳活動を測定した結果です。
脳の活動が違ったからといって、その人が必ず嫉妬したとか、幸福感が何点下がったとか、そこまで直接分かるわけではありません。
また、実験で行われたのは推定課題に対する報酬の比較であり、会社の昇給を調べた実験ではありません。
それでも、私たちの身近な体験と結びつけると、興味深いことが見えてきます。
「いくらもらったか」という情報だけではなく、「他人と比べてどうだったか」という情報も、脳の報酬処理に関わっている。
これが、この研究から考えられる重要な点です。
年収が同じでも、周囲との順位が違えば満足度も変わる?
報酬の比較については、別の研究もあります。
2010年、クリストファー・ボイス(Christopher J. Boyce)らは、所得と生活満足度の関係について調べました。
ここで研究者たちが注目したのは、所得の金額そのものだけではありません。
周囲の人と比較したとき、自分の所得がどの位置にあるのかという点です。
例えば、年収500万円の人がいたとします。
周囲の多くの人が年収300万円だった場合。
反対に、周囲の多くの人が年収700万円だった場合。
同じ500万円という所得でも、比較集団の中での位置は変わります。
研究では、このような所得の順位が、生活満足度と関係していることが示されました。
ただし、これは所得と生活満足度の統計的な関係を調べた研究です。
誰かの給与順位を入れ替えれば、その人の幸福度が必ず変化するという実験ではありません。
また、生活に必要なお金が足りているかどうかも、現実には大切なことです。
それでも、この研究は、人が所得を評価するとき、絶対的な金額だけでなく、周囲との位置関係も関わることがあると考える材料になります。
→ Boyceほか(2010)「Money and Happiness: Rank of Income, Not Income, Affects Life Satisfaction」
同僚の給料を聞いただけなのに、何が変わった?
ここで、最初の2万円の昇給に戻ってみましょう。
会社から2万円の昇給を知らされたとき、あなたは嬉しかったとします。
そこへ、同僚は5万円上がったという情報が入ってきます。
すると、今までなかった疑問が生まれるかもしれません。
「どうして同僚の方が多いんだろう?」
「私の仕事は、あまり評価されていないのかな?」
「同じように働いているのに、何が違うんだろう?」
ここで、起きていることを少し分けてみます。
最初にあった事実: 自分の給料が2万円上がった。
追加された情報: 同僚の給料は5万円上がったらしい。
そこから浮かんだ疑問: なぜ同僚の方が多いのだろう?
考えられる意味づけ: 自分の方が評価されていないのかもしれない。
生まれる反応: モヤモヤする。納得できない。理由を知りたくなる。
面白いのは、最初の事実が何も変化していないところです。
変化したのは、そこに加わった情報と、それによって生まれた判断です。
それなのに、最初の2万円という出来事そのものの感じ方まで変わることがある。
人間の認識や反応を考えるうえで、興味深いところです。
では、給料を比べるのは良くないこと?
そういう話でもありません。
例えば、同じ仕事をしている二人なのに、合理的に説明できない大きな待遇差がある場合。
それは、実際に会社の評価制度や給与体系を確認した方がよい問題かもしれません。
昇給の差には、役職、仕事内容、成果、勤続年数、雇用条件などが関わっている場合もあります。
一方で、それらを確認しても説明のつかない差がある場合も考えられます。
だから、「比較してモヤモヤするのは脳の仕組みだから気にしなくていい」と片づけることはできません。
比較によって、確認した方がよい事実が見つかることもあります。
ただ、ここでは次の二つを分けてみることができます。
実際に待遇の違いがあること。
そして、その違いを知ったとき、自分の中でどんな意味や反応が生まれるかということ。
この二つは、関係していても同じものではありません。
待遇差について確認したり、必要なら交渉したりすることと、自分の中で起きた反応を観察することは、両方あっていいのです。
他人の金額は、いつから自分の評価になったのだろう?
最初の話には、もう一つ不思議なところがあります。
同僚が5万円上がったというのは、同僚についての情報です。
ところが、その情報を聞いた瞬間に、
「自分は評価されていないのかもしれない」
という、自分についての判断が生まれることがあります。
相手の情報が、自分についての情報に変わっているのです。
これは給料だけの話ではありません。
例えば、SNSで誰かの旅行写真を見たとき。
最初は「楽しそうだな」と思っていたのに、急に「私は最近どこにも行っていないな」と考え始めることがあります。
友人が何かに合格したと聞いたとき。
「おめでとう!」と嬉しく思うのと同時に、自分がまだ達成できていないことを意識する場合もあるでしょう。
相手の出来事を知ったことで、自分の状況を評価する基準が変わっている。
このようなことは、日常のいろいろな場面で起き得ます。
社会的比較という研究が面白いのは、自分の評価が、自分についての情報だけで成立しているとは限らないことを考えられる点です。
同じ出来事でも、受け取り方が変わる仕組みを知りたい方へ
そとがわメソッドの無料講座では、出来事と意味づけを分けながら、人間の認識や反応がどのように成立しているのかを、日常の具体例から説明しています。
比較したとき、自分の中で何が必要になった?
ここからは、そとがわメソッドの視点で考えてみましょう。
同僚の昇給額を聞いてモヤモヤしたとします。
そのとき、
「他人と比べる自分は嫌だな」
「素直に喜べないなんて良くないな」
と思うこともあるかもしれません。
でも、比較してしまったことを、さらに否定する必要はありません。
まずは、その場で何が起きているのかを見てみます。
例えば、
「同じように働いているのに、なぜ差があるんだろう?」
と思ったのであれば、評価の公平さが気になったのかもしれません。
「自分には価値がないのかな?」
と思ったのであれば、昇給額の違いが、自分の価値についての判断につながったのかもしれません。
あるいは、
「このまま働いていて、将来の収入は大丈夫かな?」
という不安が生まれたのかもしれません。
同じモヤモヤでも、何が気になっているかは違います。
そして、それぞれの反応が何を守ろうとしているのかも、同じとは限りません。
比較したことそのものより、比較した結果、何が自分にとって重要なことになったのか。
そこを見ると、反応の仕組みが少し違った角度から見えてきます。
もし、同僚の金額が間違っていたら?
では、最後にもう一度、最初の話へ戻ります。
あなたの給料は2万円上がりました。
同僚は5万円上がったと聞き、複雑な気持ちになりました。
ところが、その情報は間違いでした。
同僚の昇給額も2万円でした。
さて、その瞬間に何が起きるでしょうか。
「あ、同じだったんだ」
と安心するかもしれません。
反対に、同僚は7万円上がっていたと分かったら、また違う反応が生まれるかもしれません。
あるいは、同僚は1万円しか上がっていなかったと分かれば、今度は自分の2万円が少し大きく感じられる人もいるでしょう。
最初から最後まで、あなたの給料は2万円上がったままです。
でも、その2万円についての体験は、追加された情報によって変わることがあります。
ここで「どの反応が正しいか」を決める必要はありません。
むしろ、注目したいのは、どうしてその反応が生まれたのかということです。
同じ出来事でも、何を知っていて、何と比べていて、そこにどんな意味が生まれるかによって、体験が変化することがある。
最初の小さな質問には、そんな人間の認識の不思議が含まれていたのです。
よくある質問
Q. 社会的比較とは、簡単にいうと何ですか?
自分の能力や意見、状況などを、他人と比べて評価することです。
他人の情報が、自分についての判断や満足感に影響する場合があります。
Q. 給料が上がったのに嬉しくないのは、嫉妬しているからですか?
必ずしも嫉妬とは限りません。
仕事の負担に見合っていないと感じている場合や、期待していた昇給額に届かなかった場合、同僚との待遇差が気になる場合など、さまざまな理由が考えられます。
どんな情報によって気持ちが変化したのかを分けてみると、理由を考えやすくなります。
Q. 他人と比べると、脳の報酬系が反応するのですか?
2007年のFliessbachらの実験では、報酬に関する課題で、比較相手が受け取る金額の違いが、腹側線条体という領域の活動に影響しました。
ただし、他人と比較するあらゆる場面で同じ反応が起こると分かったわけではありません。
Q. 給料が低くても、周囲より高ければ満足するのでしょうか?
そうとは限りません。
所得の順位と生活満足度の関係を示した研究はありますが、生活費や労働条件などの現実的な要因も重要です。
周囲との比較だけで、満足度のすべてを説明できるわけではありません。
Q. 他人と比較しないようにした方がいいのでしょうか?
比較すること自体を、良いことや悪いことに決める必要はありません。
比較によって、必要な情報や実際の待遇差に気づく場合もあります。
一方で、相手の情報を聞いた瞬間に、自分についてどんな判断が生まれたのかを観察することもできます。
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参考文献・資料
- Festinger, L.(1954)“A Theory of Social Comparison Processes.” Human Relations, 7(2), 117–140. 原著論文
- Fliessbach, K., et al.(2007)“Social Comparison Affects Reward-Related Brain Activity in the Human Ventral Striatum.” Science, 318(5854), 1305–1308. 原著論文
- Boyce, C. J., Brown, G. D. A., & Moore, S. C.(2010)“Money and Happiness: Rank of Income, Not Income, Affects Life Satisfaction.” Psychological Science, 21(4), 471–475. 原著論文
- Brain Mechanisms of Social Comparison and Their Influence on the Reward System(2014)。社会的比較と脳の報酬処理についての研究レビュー
まとめ|2万円は、いつから小さくなった?
給料が2万円上がった。
それは、最初から最後まで変わらない出来事です。
でも、同僚が5万円上がったと聞いた瞬間に、その2万円が小さく感じられるかもしれません。
同僚も2万円だったと分かれば、また違った感じになるかもしれません。
このように、他人の情報は、自分の評価にも影響することがあります。
そして、脳科学の研究でも、報酬を処理するときに、他人との比較が関わっていることが示されています。
私たちは、目の前の金額だけを受け取っているわけではないのかもしれません。
その金額を何と比べ、どんな意味を見いだしているのか。
そこにも、人間の認識や反応の仕組みがあります。
あなたの2万円は、いつ、どんな情報によって、違う2万円になったのでしょうか?
そんなところから、人間の仕組みを観察してみるのも面白そうです。
そとがわメソッドでは、このような日常の小さな疑問から、出来事と意味づけ、そして反応が生まれる仕組みを紹介しています。

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