予定がなくなって嬉しいのに、誘われないと寂しいのはなぜ?|同じ週末で違う気持ちが生まれる仕組み

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約束がなくなって、ちょっと嬉しい。なのに誘われないと寂しい?

金曜日の夜。土曜日は友達と出かける約束をしていたけれど、少し疲れている。「楽しみだけど、朝から出かけるのはしんどいな」と思っていたところに、友達から連絡が来ました。

「ごめん、明日どうしても都合がつかなくなっちゃった。また今度でもいい?」

画面を見た瞬間、少しほっとする。「じゃあ明日は家でのんびりできる!」。もちろん友達に悪気はありませんし、また会いたい気持ちもあります。

ところが、別の週末。友達同士が集まった写真をSNSで見かけました。自分は誘われていなかったらしい。さっきと同じように予定がない土曜日なのに、今度はなんだか寂しい。

出かけなくて済むと嬉しい。でも、誘われないと寂しい。 この二つ、矛盾しているのでしょうか。

同じ「家にいる土曜日」でも、何が違う?

一つ目は、自分も行くことになっていた予定がなくなった土曜日。二つ目は、自分の知らないところで予定が決まっていた土曜日です。

どちらも家にいることに変わりはありません。でも、受け取っている情報は同じではありません。

予定がキャンセルされたときは、朝起きる時間、移動の準備、外で過ごす体力、使うお金など、これから必要だったことが減ります。一方、写真を見たときには、「私は誘われていなかった」という新しい情報が増えます。

そこで、二つを別々に考えてみると面白くなります。その予定に参加したいかどうかと、その予定に自分が含まれていることをどう感じるか。似ているようで、必ずしも同じ問いではありません。

レストランの予約と誕生日会で考える

例えば、友達から「明日、新しいレストランに行かない?」と誘われたとします。お店には興味がある。でも、仕事が続いていて、できれば休みたい。そんなとき、相手の都合で延期になったら、残念な気持ちとほっとする気持ちが同時に出ても不思議ではありません。

では、誕生日会ならどうでしょう。「その日は仕事で行けない」と分かっていても、声をかけてもらえたら嬉しい人もいるでしょう。逆に、誘われなくても気にしない人もいます。

ここで確かめたいのは、誕生日会へ行くか行かないかより、「声をかけてもらう」という出来事に、どんな意味がついているかです。

「私のことも仲間だと思ってくれている」。そう感じることもあれば、「人数合わせなのかな」と受け取ることもある。同じ誘いにも、別の意味が生まれます。

反対に、誘われなかったときも、「今回は都合が合わないと思ってくれたのかも」と考える人と、「私は必要とされていないのかも」と感じる人とでは、そこから先の反応が違ってきそうです。

「誘われなかった」という事実は、どこまで分かる?

SNSに写っている友人たちの写真から確認できるのは、「その人たちが集まっていた」ということです。自分に声がかからなかったのも事実として確認できるかもしれません。

でも、なぜ声がかからなかったのかは、写真だけでは分かりません。人数制限があったのかもしれないし、以前の会話から「その日は忙しい」と思われていたのかもしれません。単に、その場で集まることになった可能性もあります。もちろん、意図して誘わなかったという場合もあるでしょう。

つまり、「誘われていない」と「嫌われている」は、同じ情報ではないんです。

そして面白いことに、理由が分からないときほど、人は自分が知っている過去の経験や、そのとき気になっていることを使って、空白を埋めようとする場合があります。これは一つの観察の仕方であって、その人の内面を外から決められるという意味ではありません。

「嫌われたら何が起きると思っているのか」という別の問いを深掘りしたい場合は、人から嫌われるのが怖いのはなぜ?も参考になります。

気持ちは一つに決まっていなくてもいい

もう少し条件を変えてみましょう。キャンセルの連絡が前日ではなく、待ち合わせの5分前に届いたらどうでしょう。すでに電車に乗っていたなら、ほっとするより困る気持ちが大きいかもしれません。

同じ「予定がなくなった」でも、準備にかけた時間、相手との約束、キャンセルの理由、次に会える見通しが違います。そこには相手との責任や配慮の問題もあります。

一方、誘われなかったことに寂しさを感じたとしても、その寂しさが「参加したかった」という意味だとは限りません。集まりに行くのは気が進まなくても、声はかけてほしかった。そんな組み合わせもあるでしょう。

そう考えると、「行きたいなら行けばいい」「行きたくないなら気にしなければいい」と簡単に分けられない理由が見えてきます。そもそも、比べているものが違うんですね。

「自分勝手なのかな?」という二つ目の反応

こんなとき、自分の気持ちに驚いて「行きたくないくせに誘われたいなんて、私はわがままなのかな」と思うこともあるかもしれません。

ここで起きていることを分けるなら、最初に「ほっとした」「寂しい」という反応があり、そのあとで「そんな自分はどうなのか」という評価が加わっています。

感じたことと、その感じ方について自分が下した判断は、別の出来事として見ることができます。

「寂しい」と感じたからといって、誰かに必ず誘ってもらう権利が生まれるわけではありませんし、友達が悪いと決まるわけでもありません。ただ、寂しさを感じた自分を、すぐに「おかしい人」にする必要もないのでしょう。

頼まれたら断れない場面で何が起きるのかは、頼まれると断れないのはなぜ?に、休んでいるのに落ち着かない条件は休んでいいと分かっているのに休めないに譲ります。

同じ週末を、何通りにも見ている

「約束がなくなって嬉しかった」と「誘われなくて寂しかった」。その二つが同時にあっても、必ずしも気持ちが矛盾しているわけではありません。

一方では、予定に参加するときの負担を見ている。もう一方では、人とのつながりや自分の位置づけを見ている。注目している条件が違うと考えると、同じ土曜日なのに感じ方が違うことにも、少し説明がつきます。

今度、予定がなくなってほっとしたとき。「何がなくなって嬉しかったんだろう?」と考えてみる。誘われなくて寂しかったときは、「何があったら嬉しかったんだろう?」と考えてみる。

二つの答えが同じとは限らないところが、人間の認識の面白いところですね。

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よくある質問

誘われなかったことが寂しいなら、本当は参加したかったのでしょうか?

参加したい気持ちと、声をかけてもらいたい気持ちは必ずしも一致しません。何が嬉しかったのかは、その場の条件によっても違うでしょう。

予定のキャンセルでほっとするのは、相手が嫌いだからですか?

そうとは限りません。相手と会いたい気持ちがあっても、移動や準備、体力などの負担が減ってほっとする場合があります。

誘われない理由が気になるときは、どう考えたらいいですか?

確認できていることと、そこから予測していることを分けると、考える材料が見えやすくなる場合があります。事情を知る必要があれば、相手に尋ねることも一つの方法です。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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