カフェで友人と話していたら、離れた席から自分の名前が聞こえた。さっきまで周囲の会話はほとんど気にならなかったのに、その一言だけ、急にはっきりしたように感じたことはありませんか。
「あれ? いま私のことを呼んだ?」。振り向いてみたら、実は同じ名前の別の人の話だった。なんてこともあります。
周囲の声の音量が突然変わったわけではありません。では、私たちはどうやって、たくさんの音の中から特定の声に気づくのでしょう。今回は「カクテルパーティー効果」と呼ばれる現象を入口に、耳に届く音と、注意を向けて聞いている音の違いを見てみます。
カクテルパーティー効果とは?
カクテルパーティー効果とは、複数の声や物音が重なる環境でも、ある話し相手の声に注意を向けたり、関係の深い言葉に気づいたりする現象を説明するときに使われる言葉です。
たとえば賑やかな飲食店で、向かいの人の話を聞き取ること。これも、音がたくさんある中で聞く対象を選んでいる場面です。そして、聞こうとしていなかった別の会話に、自分の名前が出てきて気づくことがあります。
ただし、この二つはまったく同じ話ではありません。聞こうとする相手の声を追いかけることと、聞こうとしていない声に突然注意を奪われること。似ているようで、注目したいところが違います。
同じ音が届いていても、「聞こえた」になるとは限らない
少し場面を変えてみましょう。喫茶店で本を読んでいるとします。隣の席では二人が旅行の相談中。奥ではカップを洗う音。店内では音楽も流れています。
そこで、隣の席の人が「来週、京都に行くんだ」と話したとしても、あなたはその言葉を覚えていないかもしれません。では、その後に「有希子さんがね」と自分の名前らしい言葉が聞こえたら?
視線はまだ本に向いているのに、隣の席の話が急に気になり始めることがあります。ここで不思議なのは、隣の席がその瞬間に出現したのではないこと。音が存在することと、その音が意識に上がることは別なのです。
研究で自分の名前に気づいたのは、全員ではなかった
この話はよく「人は無意識でも自分に必要な情報をすべて拾っている」と説明されます。でも、本当にそうでしょうか。
選択的注意の実験では、左右の耳に異なる音声を流し、一方の音声だけを追って口に出してもらう方法が使われてきました。注意していない側の音声に本人の名前を入れると、気づく人がいるのです。
WoodとCowanによる1995年の研究では、参加した大学生34人のうち、注意していない側の音声にあった自分の名前を後で報告したのは34.6%でした。つまり、およそ3人に1人。逆にいえば、気づかなかった人の方が多かったのです。
さらにRöerとCowanによる事前登録研究(2021年掲載)では、参加者の29%が自分の名前に気づいたと報告しました。名前に気づいた参加者には、追うよう指示された音声の処理に一時的な誤りも見られました。
「自分の名前なら絶対に聞き逃さない」という話ではないんですね。注意を引く力はありますが、実際に気づくかどうかは条件によって変わります。1995年の研究と2021年掲載の追試で、具体的な結果を確認できます。
「気になる言葉」は、全部同じように聞こえる?
もう一つ面白い比較があります。自分の名前ではなく、話の流れに合わない変な単語が混ざっていたらどうでしょう。
たとえば誰かが「今日のランチは、パスタと……望遠鏡でした」と言ったとします。真正面からその話を聞いていれば、思わず「望遠鏡?」と聞き返しそうです。
しかし2021年掲載の研究では、注意していない側の音声に混ざった予想外の単語は、本人の名前とは違ってほとんど検出されませんでした。変わった言葉だから気づく、という単純な話でもないのです。
もっとも、この実験は決められた音声を聞く課題です。実際のカフェで、声の大きさや話し手との関係、席の位置が変われば、結果も同じとは限りません。
名前が聞こえたあと、何が始まるのか
さて、自分の名前に気づいたところで、さらに面白いことが起きます。
「私のことを話しているのかな?」と思う人もいれば、「同じ名前の人かもしれない」と思う人もいる。「何か悪いことでも言われた?」と気になる場合もあれば、ただ振り向いて終わる場合もあります。
ここは音を聞き分ける研究そのものの結果ではなく、日常の反応を考えるための例です。名前という言葉に気づいたことと、それをどう受け取るかは、分けて眺められます。
- 出来事:離れた席から、自分の名前と同じ音がした。
- 一次的な反応:そちらに注意が向いた。
- 意味づけ:『自分のことを話しているのかも』と考えた。
- 反応への反応:気になった自分に驚いたり、心配し始めたりする。
もちろん、いつでもこの順序で進むと決まっているわけではありません。でも、こうして分けてみると、「耳に届いた音」だけでずいぶん先まで話が進んでいることに気づけます。
似た面白さは、同じ時計の音が気になる日と気にならない日にもあります。音の側だけを見ていては、説明しきれないことがあるんですね。
名前を呼ばれても気づかない人は、鈍感なのか
ここまで読むと、「名前に気づかなかった人は注意力が低いの?」という疑問も出てきそうです。
ところが、注意しない方の音声をうまく無視して、目の前の課題に集中できることもあります。先ほどの研究では、名前に気づくことが、注意していた音声の処理の乱れと結びついていました。
気づいた方が優秀、気づかなかった方が鈍感、とは決められません。どの情報が優先され、何に注意を使っていたか。その条件によって、同じ「聞き逃した」という出来事の意味も変わります。
そして大事な呼びかけに反応しなかった人を、直ちに『無視した』『聞く気がなかった』と断定するのも別の話です。聞こえなかった可能性と、意図的に応じなかった可能性は区別できます。
人は、世界の全部を同じ濃さで経験しているわけではない
店内の音は、さっきから鳴っていました。でも、自分の名前が聞こえた瞬間、背景だった会話が急に前景に出てくる。
私たちの経験している世界は、周囲にあるものがそのまま均等に並んだものではないのでしょう。何に注意が向いているかによって、目立つものが変わってくる。
ここから「現実はすべて思い込みでできている」と結論づける必要はありません。物理的な音、耳と脳の働き、注意に上った経験、そこから生まれる意味づけ。別々の話を一緒にしなくてよいのです。
電車の窓から見える景色と体の感覚が食い違う話も、違う角度から認識を考えられます。興味があれば、隣の電車が動くと自分も動いたように感じる理由もどうぞ。
今日どこかで自分の名前が聞こえたら、「いま何に気づいたんだろう?」と少し面白がってみるのもよさそうです。聞こえていたものが変わったのか、気づくものが変わったのか。そんな小さな違いにも、人間の仕組みが見え隠れしています。
参考研究・出典
- Wood, N., & Cowan, N. (1995). The cocktail party phenomenon revisited: How frequent are attention shifts to one’s name in an irrelevant auditory channel? Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 21(1), 255–260. PubMed.
- Röer, J. P., & Cowan, N. (2021). A preregistered replication and extension of the cocktail party phenomenon: One’s name captures attention, unexpected words do not. Journal of Experimental Psychology: Learning, Memory, and Cognition, 47(2), 234–242. DOI / 全文.
- Conway, A. R. A., Cowan, N., & Bunting, M. F. (2001). The cocktail party phenomenon revisited: The importance of working memory capacity. Psychonomic Bulletin & Review, 8, 331–335. PubMed.
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