「いい子」でいることがやめられないのはなぜ?性格ではなく、必要だった行動かもしれない

「本当は嫌だったんだけど、断れなかった」

「別にやりたくないけど、頼まれたから」

「私が我慢すれば、丸く収まるし」

そうやって、自分の気持ちより相手の期待を優先することがあります。

誰かに迷惑をかけないようにする。

言われたことはきちんとやる。

期待されたら応える。

反対したいことがあっても、相手が嫌な気持ちになりそうなら黙っておく。

そんな自分を見て、

「昔から、いい子だったからなぁ」

と思う人もいるかもしれません。

でも、ちょっと不思議なことがあります。

大人になって、もう誰かの言うことを必ず聞く必要はないはずなのに、断ろうとすると落ち着かない。

自分の意見を言おうとすると、相手の表情が気になる。

自分の好きなようにしていいと言われても、何を選べばいいのか分からない。

あなたにも、「別に従わなくていい」と分かっているのに、なぜか従ってしまう場面はありませんか。

それは本当に、生まれつきの性格なのでしょうか。

それとも、いつの間にか必要になった行動なのでしょうか。

目次

「いい子」って、どんな子?

そもそも「いい子」とは、どんな子なのでしょう。

言うことを聞く子。

手のかからない子。

約束を守る子。

周りに気を配れる子。

きちんと挨拶ができる子。

もちろん、これらの行動が悪いわけではありません。

でも、考えてみると「いい子」という言葉には、誰にとっていい子なのか、という視点があります。

親にとって、言うことを聞いてくれる子。

先生にとって、授業中に静かにしている子。

周りの大人にとって、困らせない子。

では、その子自身はどうでしょう。

本当は遊びたかった。

本当は断りたかった。

本当は嫌だと言いたかった。

そんな気持ちがあったとしても、言われたことをきちんとやっていれば「いい子」と評価されることがあります。

ここで一つ、分けて考えたいことがあります。

周りの人にとって都合のいい行動と、その子自身が望んでいる行動は、必ずしも同じではありません。

ただし、親や先生に従うことがすべて問題だという話でもありません。

周りと協力したり、ルールを守ったりすることは、生活の中で必要な場合があります。

今回考えたいのは、その行動がどうして「自分には必要なこと」になったのか、という部分です。

「いい子にしていたら褒められた」という経験

たとえば、子どもの頃にこんな経験があったとします。

親から「お手伝いしてくれる?」と言われた。

本当は遊びたかったけれど、お手伝いをした。

すると、

「ありがとう。いい子だね」

と褒められた。

嬉しかったかもしれません。

次に頼まれたときも、お手伝いをした。

また褒められた。

こうした経験が重なると、人の期待に応えることと、喜ばれることが結びついていく場合があります。

一方で、断ったときに、

「どうして言うことを聞いてくれないの?」

と言われた経験があるかもしれません。

相手の表情が変わった。

声が大きくなった。

その場の雰囲気が変わった。

そして、

「断ると嫌なことが起きる」

と感じたかもしれません。

もちろん、たった一度の経験で必ずそうなるわけではありません。

子どもの行動は、気質や環境、家族関係など、さまざまな条件の影響を受けます。

ただ、ある行動をしたときに安心できた経験と、別の行動をしたときに不安を感じた経験が、その後の行動に影響することは考えられます。

すると、本人にとって「いい子でいる」という行動が、単なる礼儀や親切以上の意味を持つようになるかもしれません。

いい子でいることで、何を守っていたのだろう?

ここで、少し視点を変えてみます。

「いい子でいるのをやめられない」

と聞くと、やめられない自分に問題があるように感じるかもしれません。

でも、もし、いい子でいることで何かを守れていたとしたらどうでしょう。

たとえば、相手の期待に応えると褒めてもらえる。

言うことを聞いていれば、注意されにくい。

自分の意見を控えていれば、言い争いを避けられる。

周りに合わせていれば、仲間から外れずに済む。

そのような経験をしていたとしたら、「いい子でいること」は役立つ行動だった可能性があります。

そこで守られていたものは、親との関係だったかもしれません。

家庭内の落ち着いた雰囲気だったかもしれません。

自分が安心して過ごせる時間だったかもしれません。

もちろん、すべての「いい子」が不安から行動しているわけではありません。

純粋に人の役に立つことが好きだった人もいるでしょう。

大切なのは、最初から「いい子でいるのは悪いこと」と決めないことです。

もし、その行動が必要だったのなら、何のために必要だったのでしょう。

この問いにすると、見えるものが少し変わってきます。

大人になっても、同じ反応が出てくる

今度は、大人になってからの場面を考えてみましょう。

職場で、上司から追加の仕事を頼まれました。

すでに自分の仕事で手いっぱいです。

本当は断りたい。

でも、

「断ったら、嫌な顔をされるかもしれない」

「協力的じゃないと思われるかもしれない」

「ここで断ったら、次から頼ってもらえないかもしれない」

と考えてしまう。

そして、

「大丈夫です」

と引き受ける。

実際に上司が言ったのは、仕事を頼む言葉だけだったかもしれません。

でも、自分の中では、断ったあとの相手の反応まで予測していた。

その予測が嫌なものだったなら、断らずに引き受ける方が安心できたかもしれません。

そう考えると、単に「断るのが苦手な性格」と言うだけでは説明しきれない部分があります。

その場で何を予測したのか。

何を避けたかったのか。

なぜ、引き受けることが必要になったのか。

そこを見ていく余地があるのです。

頼まれると断れないのはなぜ?「断っていい」と分かっていても断れない理由では、このように断る直前に起きる反応を、さらに具体的に扱っています。

「本当はどうしたい?」と聞かれても分からない

「いい子」でいることが当たり前になっていると、自分の希望を聞かれたときに困る場合もあります。

「どこに行きたい?」

「何を食べたい?」

「あなたはどうしたいの?」

そう聞かれても、

「何でもいいよ」

「みんなに合わせる」

「そっちが決めていいよ」

と答えてしまう。

実際に何でもいい場合もあります。

ただ、相手の希望を確認することに慣れていると、自分が何を望んでいるのかを考える機会が少なくなっている可能性もあります。

自分の希望がないのではなく、先に相手の希望を探しているのかもしれません。

「相手が嫌がらない選択はどれだろう」

「これを選んだら、どう思われるだろう」

そんなことを考えながら選ぼうとすれば、なかなか決められないこともあるでしょう。

これは、自分の本音がわからないのはなぜ?「どうしたい?」と聞かれるほど分からなくなるときでも扱っているテーマです。

「もう我慢しない」と決めても、うまくいかないのはなぜ?

人に合わせ続けて疲れたとき、

「これからは自分を優先しよう」

「嫌なことは断ろう」

「いい子をやめよう」

と決めることがあります。

そうした決意によって、行動を変えられる人もいるでしょう。

断り方を練習することが役立つ場合もあります。

ただ、頭では「断っていい」と分かっていても、実際に頼まれた瞬間には、いつもの反応が出ることがあります。

「嫌われるかもしれない」

「迷惑をかけるかもしれない」

「怒られるかもしれない」

そんな予測が生まれて、身体が緊張する。

すると、引き受けた方が楽に感じられるかもしれません。

ここで、さらに、

「また断れなかった」

「私はいつまでたっても変われない」

「もっと自分を大切にしなきゃ」

と考えることがあります。

最初は「いい子でいるのをやめたい」と思っていたのに、今度は「いい子をやめられない自分」が問題になっている。

これでは、今度は別の形で自分を評価し続けることになりかねません。

そとがわメソッドでは、このように反応した自分に対して、さらに判断が加わることも見ていきます。

「いい子」という性格ではなく、その場で起きたことを見る

ここで、自分の経験を思い出してみてください。

最近、本当は断りたかったのに引き受けたことはありませんか。

あるいは、本当は違う意見だったのに、相手に合わせたことはないでしょうか。

そのとき、実際に相手は何を言ったのでしょう。

自分は何を予測したのでしょう。

断ったら、どんなことが起きると思ったのでしょう。

少し整理してみます。

相手に「お願いできますか?」と言われた。

「断ると嫌われるかもしれない」と思った。

嫌われることを想像して不安を感じた。

そして、「大丈夫です」と答えた。

これらは、一瞬のうちに起きているかもしれません。

本人にとっては、最初から「断れない」という現実がそこにあったように感じられる場合もあります。

でも、分けてみると、頼まれたことと、嫌われると予測したことは別です。

もちろん、実際に断ることで不利益が起きる職場や関係もあります。

そうした場合には、相手の行動や環境の問題も確認する必要があります。

ただ、まだ相手が何も言っていない段階で、自分の中に「断ったら嫌われる」という現実が出来上がっていることもあります。

いい子でいることが必要だったのかどうかは、そのとき自分が何を避けようとしていたかを見ると、少し分かるかもしれません。

「いい子」だった過去を否定する必要はない

ここまで読むと、

「子どもの頃に、いい子でいなければよかった」

と思う人もいるかもしれません。

でも、その頃の自分が、当時の環境の中で必要だと感じた行動をしていたとしたらどうでしょう。

その行動は、当時の自分にとって役立っていたのかもしれません。

もちろん、嫌な経験や不当な扱いを受けていたなら、それを正当化する必要はありません。

「自分がそう受け取っただけ」と片づける必要もありません。

ただ、今の自分が「やめたい」と思っている行動にも、これまで必要だった理由があるかもしれない。

そこを見ることは、過去の自分を責めることとも、誰かを責めることとも違います。

その行動がどうやって必要になり、今もどんな場面で出てくるのか。

それを知ることです。

いい子でいることも、いないことも選べる

そもそも、「いい子」であること自体が問題なのでしょうか。

人の役に立ちたいときは、役に立てばいい。

頼まれたことを引き受けたいなら、引き受けてもいい。

相手に合わせたいと思うなら、合わせてもいい。

一方で、断りたいときには断るという選択もあります。

違う意見を伝えることもできます。

大切なのは、どちらが正しい行動かを決めることではありません。

「そうしなければならない」と感じるとき、その必要性がどこから生まれているのかを見ることです。

相手の期待に応えることと、応えなければ自分には価値がないことは、同じではありません。

人の役に立つことと、自分の希望を持ってはいけないことも、同じではありません。

いい子でいることが必要だと感じられる仕組みが見えてくると、自分の反応に従う以外の選択肢にも気づきやすくなります。

「いい子でいなければ」が生まれる仕組みを知りたい方へ

本当は断りたいのに断れない。

相手の期待に応えなければいけない気がする。

自分の希望より、人の反応を優先してしまう。

それらを「自分はいい子だから」「そういう性格だから」と説明することもできます。

ただ、その説明だけでは、実際の場面で自分の中に何が起きているのかまでは分からないことがあります。

そとがわメソッドの無料講座では、出来事とそこについた意味、予測、感情や身体の反応、そこから必要になった行動を分けて、人間が現実を経験する仕組みを説明しています。

よくある質問

Q. いい子でいることがやめられないのは、幼少期の影響ですか?

幼少期の経験が関係する場合はありますが、それだけで決まるわけではありません。

生まれ持った気質や現在の環境、その後の経験なども関係します。

この記事では、特定の過去を原因と決めるのではなく、今どんな場面でその行動が必要になるのかを見ています。

Q. いい子でいることは悪いことですか?

悪いこととは限りません。

人への配慮や協力は、生活の中で役立つ行動です。

ただ、自分が望んでいなくても、そうしなければ何か悪いことが起きるように感じられるなら、その必要性を見てみる余地があります。

Q. 親のせいでいい子になったのでしょうか?

家庭での経験が影響することはありますが、個別の事情を確認せずに原因を親だけに決めることはできません。

また、親の行動に実際の問題があった場合には、それを単なる受け取り方の違いとして扱わず、現実に起きたこととして見る必要があります。

Q. いい子をやめるには、断る練習をした方がいいですか?

断り方を練習することで、行動の選択肢が増える場合はあります。

ただ、方法を知っていても、実際の場面で断ることが危険に感じられる場合があります。

そのとき、何を予測して、なぜ引き受ける必要が生まれたのかを知ることもできます。

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まずは無料講座から

「いい子でいるのをやめたい」

そう思ったとき、今までの自分を否定する必要はありません。

なぜ、その行動が必要だったのか。

その場で何が起き、どんな意味が加わり、何を予測していたのか。

そとがわメソッドでは、そうした仕組みを分けて見ていきます。

目指すのは、わがままな人になることでも、誰にも合わせない人になることでもありません。

いい子でいることも、いないことも、その場に応じて選べる余地を見つけることです。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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