「普通はそれくらいやるでしょ」
「社会人なら普通でしょ」
「親なら当たり前じゃない?」
「みんなやってるよ」
「常識的に考えたら分かるよね」
こう言われると、
急に自分が間違っているような気がする。
できなかった自分が、
非常識だったように感じる。
嫌だったとしても、
「でも普通ならやるのかな」
と思う。
無理だと思っても、
「みんなできてるんだから」
と引き受ける。
そして、
できなかったときは、
「私がおかしいのかな」
と自分を責める。
でも、
一度分けて見たいことがあります。
「普通だと言われたこと」と、
「自分にもそれをする義務があること」は、同じではありません。
「普通」は、事実のように聞こえる
「私はこうしてほしい」
と言われたら、
相手の希望だと分かります。
でも、
「普通はこうする」
と言われると、
個人の希望ではなく、
社会全体の決まりのように聞こえます。
「私は手伝ってほしい」
ではなく、
「普通は手伝うでしょ」
「私は早く返事がほしい」
ではなく、
「普通すぐ返すでしょ」
こう言われると、
相手の希望だったものが、
急に、
守るべき基準
のように見えることがあります。
相手の期待が、「常識」に変わることがある
たとえば、
職場で、
「普通、それくらい言われなくても気づくでしょ」
と言われた。
実際には、
その人が、
「そこまでやってほしい」
と思っていただけかもしれません。
会社の正式なルールなのか。
担当業務なのか。
その人個人の期待なのか。
慣習なのか。
それは、
まだ分かりません。
でも、
「普通」という言葉がつくと、
「知らなかった自分がおかしい」
になりやすくなります。
「普通」は、人や場所で変わる
ある家では、
家族全員で食事するのが普通。
別の家では、
それぞれ自由。
ある職場では、
始業30分前に来る人が多い。
別の職場では、
始業時刻にいればいい。
ある人は、
毎日連絡を取るのが普通。
別の人は、
数日連絡がなくても気にしない。
それでも、
その場に長くいると、
その場所のやり方が、
「世の中の普通」
に見えてくることがあります。
多数派だからといって、自分の義務になるとは限らない
仮に、
多くの人がやっていたとしても、
それだけで、
自分が必ずやらなければならないとは限りません。
多くの人が、
飲み会に参加している。
多くの人が、
残業している。
多くの人が、
親戚付き合いをしている。
多くの人が、
毎日連絡している。
それは、
「多くの人がそうしている」
という情報です。
そこから、
「だから自分もやる義務がある」
までは、
別の判断です。
「普通から外れる」と、何が起きると思っている?
では、
なぜ、
普通に合わせたくなるのでしょう。
たとえば、
普通と違ったら、
変な人だと思われる。
嫌われる。
怒られる。
仕事ができないと思われる。
わがままだと思われる。
迷惑をかける。
社会人失格だと思われる。
こうしたことが予測されていたら、
普通に合わせる方が安全になります。
だから、
「普通なんて気にしなければいい」
だけでは、
なかなか外れられないことがあります。
「普通でいなきゃ」は、自分を守る方法になることもある
みんなと同じにする。
常識どおりにする。
期待されることをする。
そうすれば、
目立たない。
文句を言われにくい。
否定されにくい。
説明しなくて済む。
つまり、
普通に合わせることが、
ただの癖ではなく、
問題が起きないようにするための方法
になっていることがあります。
だとしたら、
合わせるのをやめる方が、
怖くなるのも不思議ではありません。
「普通ならできる」が、自分の採点基準になる
「普通の人ならできる」
と思うと、
できなかった瞬間、
自分が普通以下に見えます。
こんなことで疲れるなんて。
これくらいできないなんて。
みんな我慢しているのに。
普通なら気にしないのに。
すると、
最初の困りごとに加えて、
普通にできない自分への評価
が追加されます。
疲れている。
そして、
「疲れる自分はおかしい」
になる。
断りたい。
そして、
「これくらい断りたいと思う自分はわがまま」
になる。
二つ目の苦しさが増えます。
「社会人なら」「親なら」「大人なら」で義務が増えることもある
普通という言葉は、
役割とセットになることもあります。
社会人なら。
親なら。
妻なら。
夫なら。
長男なら。
先輩なら。
管理職なら。
その立場なら、
普通こうする。
すると、
実際に決められている役割以上に、
自分の中で義務が増えることがあります。
社会人なら、
嫌でも付き合うべき。
親なら、
子どものことを全部優先すべき。
先輩なら、
後輩の面倒を全部見るべき。
本当に、
その役割に必要なことなのか。
それとも、
自分の中で追加されたものなのか。
分けることができます。
正式なルールと、「普通」は分けられる
仕事なら、
就業規則。
担当業務。
明確な指示。
契約。
安全上必要な決まり。
こうしたものがあります。
一方で、
「みんなそうしている」
「昔からそう」
「あの人はやっている」
「気を利かせるもの」
というものもあります。
もちろん、
慣習が役立つこともあります。
でも、
正式な義務と同じとは限りません。
決められていることなのか、期待されているだけなのか。
一度分けることができます。
「普通」に従わないと、説明を求められることもある
普通に合わせていれば、
説明しなくて済みます。
みんなと同じだからです。
でも、
違う選択をすると、
「なんで?」
と聞かれることがあります。
断る。
休む。
参加しない。
距離を取る。
別の方法を選ぶ。
すると、
理由を求められる。
それが面倒だったり、
怖かったりする。
だから、
本当は嫌でも、
普通に合わせた方が楽なことがあります。
自分で選ぶより、「普通」に従う方が安全なこともある
自分で決めると、
もし失敗したとき、
「自分が選んだから」
になります。
でも、
普通に従っていれば、
少なくとも、
「みんなと同じことをした」
と言えます。
だから、
普通は、
選択の基準にもなります。
何が正しいか分からない。
↓
普通はどうする?
↓
みんなと同じにする。
そうすれば、
自分だけ間違う危険を減らせるように感じます。
「普通はこうする」に反論できなくてもいい
誰かから、
「普通はこうするでしょ」
と言われたとき、
その場ですぐ、
「それはあなたの普通ですよね」
と言える必要はありません。
言えないこともあります。
立場がある。
関係もある。
仕事上従う必要がある場合もある。
まずは、
外側で言い返すことではなく、
自分の中で、
「これは本当に義務なのか?」
と分けてみるだけでも違います。
相手が「普通」と言った理由も、一つとは限らない
本当に、
その人の周りでは一般的なのかもしれない。
自分の希望を通したいのかもしれない。
説明するのが面倒なのかもしれない。
驚いただけかもしれない。
その人自身も、
「普通はこうする」と教えられてきたのかもしれない。
だから、
「普通と言う人は押し付けている」
と決める必要もありません。
ただ、
相手が普通だと思っていることと、
自分にも従う義務があることを、
分けます。
「普通」に合わせた結果、自分の限界を超えることがある
みんなやっているから。
普通だから。
これくらい当然だから。
そうやって、
疲れていてもやる。
嫌でも引き受ける。
休みたくても休まない。
困っていても言わない。
すると、
自分ができる範囲ではなく、
「普通ならできる範囲」
に合わせることになります。
でも、
体力も、
状況も、
得意不得意も、
使える時間も、
人によって違います。
普通という平均的なイメージと、
今の自分ができることは、
必ずしも一致しません。
ここまで読んで、
「私は普通に合わせていたというより、普通から外れたときに何か言われるのを避けていたのかもしれない」
と思った方は、無料講座0時間目から見てみてください。
普通を否定するためではなく、なぜその基準に従う必要があるのかを見るための入口です。
「普通であること」を証明し続けると疲れる
ちゃんと働いている。
ちゃんと家事をしている。
ちゃんと人付き合いをしている。
ちゃんと親をしている。
ちゃんとした大人でいる。
そうやって、
「普通である自分」を維持しようとすると、
一つできなかっただけで、
不安になることがあります。
休んだ。
断った。
忘れた。
嫌になった。
すると、
「普通じゃない自分」が出てきたように感じる。
でも、
一つの行動が、
自分全体の普通/異常を決めるわけではありません。
常識を知っていることと、すべて従うことは別
社会には、
他人と生活するためのルールがあります。
法律。
マナー。
安全上の配慮。
業務上の決まり。
それらを知ることはできます。
でも、
世の中で言われる「常識」には、
かなり幅があります。
地域。
世代。
家庭。
職場。
立場。
価値観。
だから、
「常識を全部無視する」
でも、
「常識なら全部従う」
でもなく、
今回は何のために必要なのか
を見ることができます。
「それくらい普通」で苦しさまで否定しなくていい
「普通はそれくらいやる」
と言われると、
自分がしんどいことまで、
否定されたように感じることがあります。
でも、
仮に他の人には簡単でも、
自分にとって負担が大きいことはあります。
多くの人ができることと、
自分がつらいことは、
同時に成立します。
「みんなできる」
からといって、
自分の負担感が嘘になるわけではありません。
普通から外れたら、本当に起きることは何だろう
たとえば、
飲み会に行かない。
何が起きる?
本当に、
仕事ができなくなる?
全員に嫌われる?
それとも、
一部の人が残念がる?
何も起きない?
これは、
場面ごとに違います。
「普通から外れる=大きな問題」
と一つにまとめず、
実際に何が起きそうなのかを、
具体的にします。
「嫌われるかもしれない」と「やる義務がある」は違う
普通から外れれば、
嫌がる人がいるかもしれません。
「常識がない」と言われるかもしれない。
でも、
嫌がる人がいることと、
その行動をする義務があることは、
同じではありません。
相手が嫌がる可能性を含めたうえで、
どうするかを選ぶことはできます。
自分の中に取り込んだ「普通」は、誰のものだった?
今では、
自分でも当然だと思っている。
でも、
少し遡ると、
親に言われた。
先生に言われた。
上司に言われた。
昔の職場で言われた。
SNSで見た。
周りがやっていた。
そんなものもあります。
だから、
「私はそう思っている」
ことと、
「もともと自分で決めた」
ことも、
同じとは限りません。
普通を外すのではなく、一度ラベルを外して見る
「普通は助ける」
ではなく、
「相手は助けてほしいと思っている」
「普通は参加する」
ではなく、
「この集まりでは参加する人が多い」
「普通はすぐ返事する」
ではなく、
「この人は早い返事を期待している」
そう言い換えるだけで、
少し違って見えることがあります。
「普通」という大きな言葉から、
実際に起きていることへ戻します。
今日見るなら、「これは誰の、どんな基準?」
「普通ならこうする」
と思ったとき、
一つだけ見てみてください。
「これは誰の、どんな基準なんだろう?」
正式なルール?
その場の慣習?
多数派?
特定の人の期待?
昔教えられたこと?
自分が選んだ基準?
そして、
そこから外れたら、
何が起きると思っている?
そこまで見ます。
「普通はこうするでしょ」が苦しいなら
普通を全部捨てる必要はありません。
常識を否定する必要もありません。
人と暮らすうえで、
共有した方が便利なルールもあります。
ただ、
「普通」と言われたものを、
全部、
自分の義務にしなくてもいい。
何が実際に決められているのか。
何が相手の期待なのか。
何が慣習なのか。
何を自分が選んでいるのか。
そして、
なぜ外れることが危険に感じるのか。
そこを分けます。
そとがわメソッドでは、
「もっと自分らしく生きよう」と新しい正解を置くより先に、
なぜ“普通から外れないこと”が、その場で必要になっているのか
を見ていきます。
無料講座0時間目「分かっているのに、やめられない理由」では、
頭では「人それぞれ」と分かっていても、
実際に「普通はこうする」と言われると、
また自分を直したり合わせたりしてしまうとき、
その間で何が起きているのかを見ていきます。
普通に反抗するためではなく、何を自分の義務として取り込んでいるのかを見るための入口としてご覧ください。
よくある質問
「普通」や「常識」を気にしないと、社会生活に困りませんか?
共有した方がいいルールやマナーはあります。
この記事は、それらを無視する話ではありません。
正式なルール、慣習、相手の希望、自分の中で追加した義務を分けて考えます。
多くの人がやっているなら、自分もやるべきでは?
多くの人がやっていることは判断材料にはなります。
ただ、多数派であることだけで、すべての人に義務が発生するとは限りません。
「普通はこうする」と言われると、すごく腹が立ちます
「自分の事情や選択を見ずに、一つの基準で決められた」と受け取れば、腹が立つこともあります。
その反応をなくすより、何を否定されたように感じたのかを見ることができます。
自分が非常識なのかどうか分からなくなります
「普通か非常識か」の二択だけでなく、実際に決められたルールがあるのか、誰にどんな影響があるのか、自分は何を選びたいのかを分けることができます。
関連記事
「普通にできなかった」という理由から、最終的に自分責めへ戻ってしまう場合はこちら。
周囲から何か言われるたび、「もっとちゃんとした自分にならなければ」と基準を増やしている場合はこちら。
「人は人」「自分は自分」と分かっているのに、実際の場面ではまた周囲の基準で自分を採点してしまう場合はこちら。
もう少し、自分の中で起きていることを見てみたい方へ
「普通はそれくらいやるでしょ」
「みんなできてるよ」
「常識的に考えたら分かるよね」
そう言われると、
「できない私がおかしいのかな」
「やっぱり私が非常識なのかな」
と、自分を疑いたくなることがあります。
そんなときは、
「普通にならなきゃ」とする前に、
それは本当に決められたルールなのか。
相手の期待なのか。
慣習なのか。
それとも、自分の中で義務になっているのか。
を分けて見てみることもできます。
そとがわメソッドの無料講座では、
実際に起きた出来事。
そこについた意味や予測。
反応。
そのあとに選んだ行動。
そして、
なぜ「普通から外れないこと」が必要になっているのか
を順番に分けて見ていきます。
「普通」を全部無視する必要もありません。
必要なルールがあれば守る。
相手への影響も考える。
そのうえで、
「普通だからやる」と一つにまとめず、自分は何を選びたいのかまで分けて見てみませんか。

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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