「ワンピース、詳しいよ!」という人に「王下七武海を全員言える?」と聞くと、「えっ、それって初期のメンバー? 途中で変わった後?」と聞き返されることがあります。
一方で「いや、私はそんなに詳しくないですよ」と言う人が、登場人物の入れ替わりや原作とアニメの違いまで説明できたりする。
もちろん、いつもそうなるわけではありません。
でも、「詳しいと言う人より、詳しくないと言う人のほうが詳しい」という逆転は、なぜ起こるのでしょう。
考える手がかりは、知識の量だけではなく、『詳しい』と判断する基準の違いにあります。
「詳しい」は、何と比べた評価なのか
好きな作品を一度全部読んだ人が、周りの友人から「そんなことまで知ってるの?」と言われたら、自分は詳しいと感じるかもしれません。
ところが、その人が作品の考察コミュニティに入ったらどうでしょう。単行本の巻末コメント、掲載時期による設定の変化、細かなセリフの違いまで覚えている人に囲まれ、「自分はまだ知らないことだらけだった」と感じることがあります。
昨日から今日までに、本人の知識が減ったわけではありません。比較する相手と、見えている知識の範囲が変わったのです。 「詳しい」という評価は、知っている内容そのものを数えているようでいて、何を基準にするかによって意味が動きます。
知れば知るほど「知らない領域」が見えてくる
コーヒーを飲み始めた頃は、「浅煎りと深煎りの違いがわかる」だけでも詳しくなった気がするかもしれません。
豆の産地や精製方法、抽出温度を知るようになると、新しい疑問が増えます。同じ豆でも焙煎の仕方で何が変わる? 湯の量を変えたら? 味わいを表現する言葉は人によって同じ意味?
知識が増えると、答えられる問いも増えますが、存在すら知らなかった問いも見えてくるのです。これは「本当に詳しい人は必ず自信を失う」という法則ではなく、専門領域の広がりを自覚する一つのあり方です。
同じ人でも、初心者に説明するときには「この分野は詳しいです」と言い、専門家同士の会合では「私の専門はごく一部です」と言うかもしれません。二つの発言は矛盾しているとは限らないのです。
これは「ダニング=クルーガー効果」なのか
この話題では、ダニング=クルーガー効果という言葉を見かけることがあります。1999年に発表されたKrugerとDunningの研究は、複数の課題における成績と自己評価の関係を調べ、特に成績の低い参加者が自分の相対的な成績を高めに見積もる傾向を報告しました。
ただし、そこから「自信満々な人は能力が低い」「謙虚な人は必ず優秀だ」と判断することはできません。自己評価には課題の難しさ、比較集団、評価の仕方などが関わります。
ダニング=クルーガー効果の解釈や統計的説明についても研究上の議論があります。
今回の「詳しい/詳しくない」という会話だけでは、本人の客観的な能力も、自分をどう評価しているかも十分には測れません。日常の印象を、心理学用語でそのまま診断するのは飛躍です。
研究の出典:Kruger, J., & Dunning, D. (1999). Unskilled and unaware of it: How difficulties in recognizing one’s own incompetence lead to inflated self-assessments. Journal of Personality and Social Psychology, 77(6), 1121–1134. DOI。
実は「詳しい?」という質問にも、隠れた基準がある
「この映画、詳しい?」と聞く人が欲しいのは、あらすじを説明できる人かもしれません。別の人は、撮影技法や監督の過去作まで知っている相手を探しているかもしれません。
「詳しいよ」「そんなに詳しくない」という答えは、質問した人が求める基準にぴったり合うとは限らないのです。
ここで面白いのは、同じ言葉を使っていても、頭の中の物差しが違うことです。しかもその物差しは、たいてい会話の最初には見えていません。
「どのくらい知っている?」ではなく「どの時期の話が好き?」「原作も読んでる?」と具体的に聞くと、そこで初めて互いの想定していた「詳しい」の意味がわかることもあります。
「知らない」と言えることと、人間の価値は関係ない
「詳しいと言ったのに答えられなかった」。そんな場面で恥ずかしくなる人もいれば、「あ、それは知らなかった!」と楽しめる人もいます。
違いの背景には、知識を何のために使っているか、間違えたときに何が起こると予想しているかなど、さまざまな条件が考えられます。
だからといって、自信のある人を「浅い」と決めつけたり、謙虚に話す人を「本物」と持ち上げたりする必要はありません。知らない領域があることと、その人の人格的な価値は別の話です。
そとがわメソッドの視点で見るなら、ここで観察できるのは「知識そのもの」だけではありません。「このくらい知っていれば詳しいはず」「わからないと恥ずかしいはず」という基準や意味が、いつの間にか自分の現実の一部になっているということです。
「自分は詳しくない」の中身を見てみると
ある人の「詳しくない」は、単なる謙遜かもしれません。別の人の「詳しくない」は、専門的な範囲を正確に限定した表現かもしれません。さらに別の人は、知っていることを話すのに緊張しているのかもしれません。
同じ一言だけでは、どの意味なのかわからない。それなのに聞き手の側も、「この人は謙虚だ」「自信がないんだ」「本当は詳しいに違いない」と、何かしらの説明を作ります。
こうした判断基準の違いは、人はなぜ自分の考えが正しいと思うのかという問いともつながっています。
つまり、話し手だけでなく、聞き手の頭の中でも「その人はこういう人だ」という認識が作られているわけです。
これが人間観察の面白いところ。相手を評価するためではなく、人間がどのように情報から意味を作っているのかを見てみると、ごく普通の会話にも発見が隠れています。
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よくある質問
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