錯視はなぜ起きる?「見えた」ことはそのまま事実なのか

突然ですが、ちょっとした実験をしてみましょう。

二つの円があります。

一つは、小さな円に囲まれています。

もう一つは、大きな円に囲まれています。

さて、真ん中の円は、どちらが大きいでしょうか。

……。

「いや、実物を見せてくれないと分からないよ!」

ですよね。w

では、実際に見てみましょう。

▶ NTT「エビングハウス錯視」を体験する

リンク先の最初の画像で、左右の中心にある円を比べてみてください。

どうでしょう。

左側の円が、少し大きく見えませんか?

では、次の画像に進んでみましょう。

周りの円が消えます。

すると……。

真ん中の二つの円は、同じ大きさなんです。

……えっ?

いやいや。

さっき、左の方が大きかったですよね?

少なくとも、そう見えましたよね?

でも、周りを取り除くと、同じ大きさです。

では、最初の画像に戻ってみてください。

答えを知ったのに、また左側が大きく見えませんか?w

これ、なかなか不思議だと思いませんか。

説明を聞いた。

答えも確認した。

ちゃんと理解した。

なのに、見え方は変わらない。

「分かっているのに、そう見える」

という、何だかややこしいことが起きています。

でも、これは特別に珍しい体験ではありません。

私たちが普段、当たり前に使っている視覚の仕組みに関係しているんです。

今回は、そんな「錯視(さくし)」について見ていきましょう。

目次

錯視とは?実際の性質と見え方が一致しない現象

錯視とは、ものの大きさ、長さ、明るさ、色、形、動きなどが、物理的な性質とは異なって見える現象です。

例えば、次のようなものがあります。

  • 同じ大きさなのに、違う大きさに見える
  • 同じ長さなのに、片方が長く見える
  • 同じ明るさなのに、濃さが違って見える
  • 止まっている画像なのに、動いて見える

こうした現象は、心理学や視覚科学で研究されています。

立命館大学の北岡明佳教授は、錯視を研究していることで知られています。

静止している画像が動いて見える作品などを見たことがある人もいるかもしれません。

実際には動いていない画像なのに、目の前でぐるぐる動いているように見える。

知っていても、やっぱり動いて見える。

そんな不思議な画像です。

ただし、ここで少し確認しておきたいことがあります。

錯視は、ものを見る仕組みの中で生じる現象です。

単に記憶を間違えたことや、事実を勘違いしたことすべてを錯視と呼ぶわけではありません。

また、錯視が起きるからといって、その人の目や脳に異常があるという意味でもありません。

普段の視覚の働きによって、特定の条件で錯視が起きることがあるんです。

むしろ、錯視を研究すると、人間が普段どのように世界を見ているのかを考える手がかりになります。

参考:北岡明佳「錯視のページ」立命館大学

実験1|同じ大きさの円なのに、どうして違って見える?

さて、最初の円に戻りましょう。

NTTの「イリュージョンフォーラム」で紹介されているのは、「エビングハウス錯視」です。

▶ もう一度、エビングハウス錯視を見る

真ん中の円が二つあります。

一方は、小さな円に囲まれています。

もう一方は、大きな円に囲まれています。

真ん中の円は、実際には同じ大きさです。

でも、小さな円に囲まれた方が大きく見えやすくなります。

では、ここで問題です。

真ん中の円の大きさは、変わったのでしょうか。

変わっていません。

変わっていたのは、周りの円の大きさです。

ところが、周りの円が違うだけで、中心の円の見え方まで違っていたんです。

面白いですよね。

自分は真ん中の円を比べているつもりです。

でも、その判断に、周りの円が関係している。

中心の円だけを見ているようで、周囲の情報も使われているんですね。

これは「大きさの対比効果」に関係している

エビングハウス錯視では、周囲の円との大きさの対比が関係しています。

小さな円に囲まれた中心の円は、大きく見えやすい。

大きな円に囲まれた中心の円は、小さく見えやすい。

ここで注目したいのは、ものの大きさを判断するとき、私たちの視覚が周囲の情報から影響を受けるということです。

例えば、日常でも、小さなものに囲まれたものが目立って大きく感じられることがあります。

逆に、大きなものに囲まれると、同じものが小さく感じられることがあります。

ただし、日常のすべての大きさの比較が、エビングハウス錯視と同じ仕組みで起きるわけではありません。

ここでは、特定の図形を使った実験によって、周囲の条件が大きさの知覚に影響することが確認できるんです。

周りの円を離したら、どうなるの?

ここで、もう少し考えてみましょう。

真ん中の円を囲んでいる円を、少し離してみたらどうでしょう。

周りの円との距離が変わっても、同じように錯視が起きるのでしょうか。

実は、このような条件も研究されています。

1979年、D. J. Weintraubは、エビングハウス錯視について、周囲の円の大きさや距離、輪郭、参加者の年齢などを変えて調べました。

その結果、周囲の円との距離や輪郭などが、大きさの判断に関係することが示されています。

つまり、

「真ん中の円の大きさだけが重要」

というわけではないんです。

どんなものが周りにあるのか。

どれくらい離れているのか。

どんな輪郭を持っているのか。

そうした条件も、見え方に関係する場合があります。

中心の円は同じなのに、周りを変えただけで知覚が変わる。

ここまで来ると、真ん中の円からしてみれば、

「いや、私は何も変わってませんけど!?」

と言いたくなるかもしれませんね。w

参考:Weintraub(1979)「Ebbinghaus illusion: context, contour, and age influence the judged size of a circle amidst circles」

実験2|どう見ても違う灰色。でも、実際は同じ色!?

さて、次の実験です。

今度は、大きさではありません。

色の明るさです。

こちらも、有名な錯視です。

MITの研究者エドワード・H・アデルソンが公開している「チェッカーシャドウ錯視」です。

▶ MIT「チェッカーシャドウ錯視」を見る

リンク先には、白と黒のマス目が並んだ画像があります。

そして、緑色の円柱のようなものが置かれています。

そこから、影が伸びています。

さて、画像の中に「A」と「B」のマークがあります。

二つのマスの明るさを比べてみてください。

Aは暗い灰色に見えます。

Bは明るい灰色に見えます。

……そうですよね?

どう見ても、Bの方が明るく見えますよね?

では、ここで問題です。

AとBは、本当に違う明るさなのでしょうか。

実は、アデルソンが公開した元の錯視画像では、AとBのマスは同じ灰色なんです。

……えっ?

いやいやいや。

そんなわけないでしょ!w

どう見ても違いますよね。

でも、画像の中のAとBは、実際に同じ明るさになるように作られています。

これは、画像上で確認できることです。

MITのページには、AとBの明るさが同じであることを示す画像も用意されています。

まずは、そちらを見てみてください。

そして、もう一度、元の画像に戻ってみてください。

どうでしょう。

同じ灰色だと分かったのに、やっぱり違う灰色に見えませんか?

もう、本当にややこしいですね。w

どうして同じ灰色が、違う明るさに見えるの?

では、なぜこんなことが起きるのでしょう。

チェッカーシャドウ錯視には、周囲のマスの明るさや、影の存在が関係しています。

まず、Aのマスは、影の外にあります。

一方、Bのマスは、円柱が作る影の中にあります。

さて、私たちは普段、光や影のある世界で生活しています。

例えば、白いシャツを想像してみてください。

明るい屋外で見ると、たくさんの光を反射します。

暗い部屋で見ると、目に届く光は減ります。

それでも、私たちは普通、

「白いシャツが、暗い部屋に入ったら黒いシャツになった!」

とは思いませんよね。

照明の条件が変わっても、同じ白いシャツだと理解することができます。

これは、私たちが目に届く光の量だけではなく、照明や影などの条件も手がかりにして、物の明るさや色を知覚しているためです。

チェッカーシャドウ錯視でも、こうした仕組みが関係しています。

Bのマスは影の中にあります。

視覚は、影によって暗く見えている可能性を考慮するような働きをします。

一方、Aのマスは影の外にあります。

この条件の違いによって、画像上では同じ灰色でも、異なる明るさとして知覚されます。

もちろん、錯視の詳しい仕組みには複数の要因が関係しており、周囲との対比も重要です。

単に、

「脳が影を消している」

という一言ですべて説明できるものではありません。

でも、ここで分かるのは、私たちは、目に届いた光の情報だけを単純に比較しているわけではないということです。

影がある。

周りのマスは明るい。

物体が立体的に見える。

そんな情報も、見え方に関係しているんですね。

参考:Edward H. Adelson(1995)「Checker Shadow Illusion」MIT

本当に同じ色なのか、自分で確かめられる?

さて、ここで、

「同じ色だって言われても、どうしても信じられない!」

という人もいるかもしれません。

分かります。w

だって、実際に違って見えているんですから。

でも、こういうときこそ、面白いことができます。

自分の見え方とは別の方法で、確かめてみる。

ということです。

例えば、MITのサイトにある確認用の画像を見ます。

AとBを同じ灰色でつないだ部分があります。

すると、今まで違う色に見えていた二つのマスが、同じ灰色でつながっていることを確認できます。

また、元の画像データを画像編集ソフトで開き、スポイトツールでAとBの領域を調べる方法もあります。

元の画像で、AとBのマスの代表的な部分の色を調べると、同じ値になっています。

ただし、別のサイトに掲載された加工画像や、画面を撮影した写真などでは、圧縮や加工によって画素の値が変わっている場合があります。

確かめるなら、MITが公開している元のデモ画像を使うのがよいでしょう。

ここで、ちょっと考えてみてください。

自分には、違う色に見えています。

でも、画像データでは同じ値です。

さて、どちらが本当なのでしょう。

……。

実は、ここには、もう一つ面白い問いがあります。

「違って見えた」と「違う色だった」は、同じこと?

例えば、チェッカーシャドウ錯視を見ました。

あなたには、AとBが違う明るさに見えました。

これは、実際に経験したことです。

「違って見えた」

という体験がありました。

では、

「画像上のAとBは、違う明るさで描かれている」

という判断はどうでしょう。

これは、調べることができます。

画像データを確認すると、AとBは同じ灰色でした。

つまり、

「違って見えた」という体験と、「画像上で違う値だった」という判断は、同じではありません。

ここが大切です。

自分には違って見えた。

それは、体験として起きています。

でも、だからといって、画像のデータまで違うとは限りません。

反対に、画像のデータが同じだからといって、

「違って見えたなんて、気のせいでしょ」

と、その人の体験まで否定する必要もありません。

違って見えたことも本当。画像上の値が同じだったことも本当。

ただし、それぞれ違うことについて話しているんです。

何だか、不思議ですよね。

「本当かどうか」を考えていたはずなのに、どのことについて話しているのかを分けないと、話がかみ合わなくなってしまうんです。

「分かっているのに、違って見える」は、なぜ起きる?

さて、もう一度確認してみましょう。

エビングハウス錯視です。

中心の円は同じ大きさです。

そう教えてもらいました。

実際に、周りの円を消した画像で確認できました。

でも、元の画像に戻ると、違って見えます。

チェッカーシャドウ錯視も同じです。

AとBは同じ灰色です。

確認用の画像も見ました。

でも、元の画像に戻ると、違って見えます。

ここで、少し面白いことがあります。

答えを知っていることと、実際にどう見えるかは、いつでも一致するわけではないんです。

例えば、エビングハウス錯視の画像を見ながら、

「中心の円は同じ大きさなんだ」

と分かっているとします。

でも、見え方としては、片方が大きい。

では、

「もっと正しく見なきゃ!」

と頑張ったら、どうなるでしょう。

もちろん、見方や注意の向け方によって、錯視の感じ方が変わる場合はあります。

でも、知識を得たり、頑張って正しく見ようとしたりするだけでは、錯視が消えないことがあります。

なぜでしょう。

それは、ものがどのように見えるかという知覚の働きと、その見え方について何を知っているかという判断が、必ずしも同じように働くものではないからです。

私たちは、

「同じだと知っている」

という知識を持ちながら、

「違って見える」

という体験をすることができます。

……いや、本当に人間って面白いですよね。

知識はちゃんと更新されているのに、見た目は通常営業なんですから。w

脳は、どうしてこんなことをするの?

ここまで読んで、

「じゃあ、脳って結構いい加減なの?」

と思った人もいるかもしれません。

でも、少し違う見方もできます。

例えば、先ほどの白いシャツの話です。

明るい場所でも、暗い場所でも、同じ白いシャツだと分かる。

これは、日常生活で便利な働きですよね。

もし、光の当たり方が少し変わるたびに、

「あれ? シャツの色が変わった?」

と混乱していたら、生活しづらそうです。

また、少し遠くにいる人を見たとき、その人の体が急に小さくなったとは思いませんよね。

遠くにいるから、小さく見える。

そう理解できます。

私たちは、ものを見るとき、光、影、距離、周囲の配置など、いろいろな情報を利用しています。

その働きがあるからこそ、変化する環境の中でも、物の特徴をある程度安定して捉えることができます。

ただし、特定の画像や配置では、その働きによって、物理的な値とは違う見え方が生まれることがあります。

つまり、

普段の生活で役立つ知覚の働きが、特定の条件では錯視として現れることがあるんです。

だから、錯視は単純に、

「脳が間違えた!」

だけで片づけられるものではありません。

何をどのように知覚しているのか。

どんな条件で見え方が変わるのか。

それを調べると、普段の視覚の仕組みが見えてくるんですね。

すべての錯視は、同じ仕組みなの?

さて、ここでもう一つ大切なことがあります。

これまで二つの錯視を見てきました。

エビングハウス錯視。

チェッカーシャドウ錯視。

どちらも、周りの情報が見え方に関係していました。

では、すべての錯視は、同じ仕組みで起きるのでしょうか。

そうとは限りません。

錯視には、いろいろな種類があります。

大きさの錯視。

明るさの錯視。

色の錯視。

形の錯視。

動きの錯視。

そして、それぞれに関係する条件や仕組みは異なります。

例えば、静止画像が動いて見える錯視は、単に大きさの対比だけで説明できるものではありません。

また、奥行きの情報によって、同じ大きさのものが違って見える錯視もあります。

研究では、それぞれの錯視について、どんな刺激の条件や知覚の働きが関係しているのかを調べています。

「錯視は全部、脳が勝手に補正するせいです!」

と言ってしまえば簡単ですが、それでは分からないことがたくさん残ります。

むしろ、いろいろな錯視があるからこそ、人間の視覚の仕組みを、違う角度から考えられるんです。

参考:北岡明佳(2026)「人はなぜ錯視にだまされるのか?」

大きさの知覚と、視覚野の研究

さて、さらに少しだけ脳科学の話をしてみましょう。

2013年、Schwarzkopfらは、主観的な大きさの知覚と、脳の初期視覚野の特徴との関係を調べた研究を発表しています。

この研究では、エビングハウス錯視に関係する大きさの知覚や、視覚野V1の皮質拡大率に注目しています。

視覚野V1とは、目から入った情報が脳で処理される過程に関係する領域です。

研究では、視覚野の特徴と主観的な大きさの知覚との関連が報告されています。

ここで大切なのは、

「錯視はV1だけで起きています」

と結論づけた研究ではないということです。

錯視にはさまざまなものがあり、その仕組みも単純に一か所へまとめられるわけではありません。

ただ、ものが大きく見えるという体験についても、脳の情報処理の特徴との関係を調べることができるんですね。

同じ画像を見ていても、実際にどんな体験が生まれるのか。

それについて、知覚心理学だけでなく、神経科学からも研究が進められています。

参考:Schwarzkopfほか(2013)「Subjective Size Perception Depends on Central Visual Cortical Magnification in Human V1」

錯視を知ると、何でも「思い込み」だと言いたくなる?

さて、ここで少し気になることがあります。

同じ大きさなのに、違って見える。

同じ色なのに、違って見える。

こうした話を聞くと、

「ほら! 人間が見ている世界は、全部思い込みなんだ!」

と思う人もいるかもしれません。

……でも、ちょっと待ってください。w

錯視があることと、すべての現実が思い込みであることは、同じではありません。

例えば、エビングハウス錯視です。

同じ大きさの円が、違って見えました。

でも、円の大きさを測ることはできます。

チェッカーシャドウ錯視です。

同じ灰色が、違う明るさに見えました。

でも、画像データを確認することはできます。

つまり、見え方と物理的な性質が一致しない場合でも、それぞれを調べることができるんです。

だから、

「自分の感覚は全部間違っている」

と考える必要もありません。

「現実なんて存在しない」

と結論づける必要もありません。

むしろ、ここで面白いのは、

「自分にはそう見えた」という体験と、対象について測定できることを分けて考えられるという点です。

そして、この違いを知ると、日常生活についても、ちょっと違う疑問が生まれます。

「そう見えた」と「実際にそうだった」の間には、何がある?

例えば、知人とすれ違ったとします。

こちらから挨拶しました。

でも、相手からは返事がありませんでした。

そこで、

「あれ? 無視された?」

と思ったとします。

さて、実際に何が起きたのでしょう。

こちらから挨拶しました。

相手から返事はありませんでした。

ここまでは、確認できた出来事です。

でも、

「私を無視した」

という判断については、どうでしょう。

相手に聞こえていなかったのかもしれません。

考え事をしていたのかもしれません。

本当に返事をするつもりがなかったのかもしれません。

まだ、確定できないことがあります。

さて、この話は錯視でしょうか。

いいえ。

相手の行動をどう解釈したのかという話であって、エビングハウス錯視などの視覚現象と同じものではありません。

でも、共通して考えられる問いがあります。

「自分が経験したことと、そこから判断したことは、同じなのだろうか?」

という問いです。

挨拶しても返事がなかった。

これは、起きたことです。

無視されたと思った。

これは、その出来事について生まれた判断です。

そして、

「嫌われているのかもしれない」

と思ったとしたら?

さらに別の意味が加わっています。

その結果、不安になったとしたら?

そこには、反応も生まれています。

こうして一つずつ分けて見ることができます。

自分がそう感じたことまで、否定する必要はない

さて、ここで、もう一つ大切なことがあります。

相手から返事がなくて、寂しく感じたとします。

そのとき、

「返事がなかっただけなんだから、寂しくなるのはおかしい」

と言われたら、どうでしょう。

実際に寂しく感じたのですから、その体験まで否定されると、困りますよね。

一方、

「寂しく感じたんだから、相手は絶対に私を嫌っている!」

というのも、まだ確認できていないかもしれません。

ここで分けられることがあります。

寂しく感じたこと。

そして、

相手が自分を嫌っているかどうか。

これは、同じ話ではありません。

自分には寂しく感じられた。

その反応は、実際に起きています。

でも、相手が何を考えていたのかは、まだ分かりません。

ここを分けておけば、自分の反応を否定せずに、実際の状況を確認することもできます。

錯視でいえば、

「違う色に見えた」

という体験があっても、

「画像上では同じ色だった」

と確認できるのと、少し似ています。

もちろん、知覚と感情や対人判断の仕組みは同じではありません。

ただ、自分の体験をそのまま否定することなく、何が確認できているのかを考えるという視点は、日常でも使うことができます。

給料が2万円上がった。でも、同僚は5万円上がっていたら?

ここで、もう一つ、別の例を考えてみましょう。

会社から、こんなお知らせが来ました。

「来月から、あなたの給料を2万円上げます」

おお!

月2万円!

年間で24万円です。

嬉しいですよね。

ところが、そのあと、同僚から、

「私、5万円上がったよ!」

と聞きました。

……ん?

自分は2万円。

同僚は5万円。

何だか、さっきまで嬉しかった2万円が、小さく感じられませんか。

さて、ここで考えてみましょう。

自分の昇給額は、変わったのでしょうか。

変わっていません。

2万円のままです。

でも、同僚の昇給額を知ったことで、評価や気持ちが変わる場合があります。

これは、社会的比較や報酬の評価などに関係する話です。

エビングハウス錯視と同じ神経的な仕組みだという意味ではありません。

でも、少し面白い共通点があります。

比較する対象が加わることで、自分が受け取っているものの感じ方や評価が変わる場合があるんです。

そして、そのとき何が変わったのかを分けてみることができます。

昇給額は変わっていない。

でも、同僚の情報が加わった。

そこで、気持ちが変わった。

ここには、何が増え、何が変わらなかったのかを考える面白さがあります。

この話については、別の記事で詳しく紹介しています。

給料が上がったのに嬉しくないのはなぜ?同僚の昇給額で変わる脳の報酬反応

そとがわメソッドでは、どこを見るの?

さて、ここから、そとがわメソッドの話につなげてみましょう。

まず、実際に起きた出来事があります。

そして、その出来事を自分がどのように受け取ったのかがあります。

さらに、そこに意味や予測が加わる場合があります。

そして、感情や身体の反応、行動が生まれることがあります。

例えば、先ほどの挨拶の話です。

「おはようございます」

と挨拶しました。

相手から返事がありませんでした。

そこで、

「無視された」

と思いました。

さらに、

「私のことが嫌いなのかもしれない」

と思いました。

そして、

「嫌われると、これから仕事がやりにくくなるかもしれない」

と予測しました。

その結果、不安になったとします。

さて、こうして順番に見ると、いろいろなことが起きています。

挨拶したこと。

返事がなかったこと。

無視されたと思ったこと。

嫌われているかもしれないと思ったこと。

仕事がやりにくくなると予測したこと。

不安になったこと。

これらは、一つの場面で起きたとしても、全部同じものではありません。

そとがわメソッドでは、出来事と色づけ、一次反応、二次反応、そこから生まれる行動などを分けて観察していきます。

そして、

「なぜ、その意味が生まれたのか?」

「なぜ、その反応が必要になったのか?」

というところを見ていきます。

例えば、相手に無視されたと思ったとき、何が危険だと感じられたのでしょう。

嫌われることによって、何が起きると予測したのでしょう。

なぜ、それを避ける必要があったのでしょう。

そこには、その人なりの仕組みがあるかもしれません。

これは、錯視の研究とそとがわメソッドが同じ理論だという話ではありません。

錯視は視覚の仕組みについての研究です。

一方、そとがわメソッドでは、日常の認識や反応が成立する仕組みを観察します。

ただ、錯視を知ることで、

「自分にはそう見えていること」

と、

「実際にどんな条件があるのか」

を分けてみる面白さに気づけるんですね。

ところで、錯視だと分かったら、直さなきゃいけないの?

さて、もう一度、エビングハウス錯視の画像を見てみましょう。

同じ大きさの円なのに、違って見えます。

さて、これは直さないといけない問題なのでしょうか。

……いや、別に困っていませんよね。w

もちろん、視覚の正確さが重要な場面もあります。

長さを正確に測る必要がある仕事なら、定規や測定器を使うことができます。

画像の色を合わせる必要がある仕事なら、数値を確認できます。

実際に事故やミスにつながる条件があるなら、対策を考えることもできます。

でも、錯視を見たというだけで、

「私の目は間違っている!」

「もっと正しく見られる人にならなきゃ!」

と考える必要はありません。

錯視が起きる仕組みを知れば、面白がることもできます。

そして、必要な場面では、別の方法で確認することもできます。

ここで、少し気づきませんか。

見え方を無理に変えなくても、できることがある。

ということです。

同じ大きさに見えるように頑張る代わりに、定規で測る。

同じ灰色に見えるように頑張る代わりに、画像データを確認する。

見え方を否定するのでもなく、見え方だけを絶対に正しいと決めるのでもない。

その場で必要なことを考えることができます。

「知っているのに違って見える」は、失敗なのだろうか

ここで、少し立ち止まって考えてみましょう。

私たちは、何かの仕組みを知ると、

「知ったんだから、もう間違えないはず」

と思うことがあります。

でも、錯視の場合はどうでしょう。

答えを知っています。

研究の説明も理解しています。

でも、違って見えることがあります。

では、その人は知識を理解していないのでしょうか。

そうではありませんよね。

理解していることと、体験として何が起きるかは、別の問題なんです。

このことは、日常の反応について考えるときにも、別の角度から参考になります。

例えば、

「人に嫌われても、自分の価値はなくならない」

と頭では分かっていたとします。

それでも、誰かに嫌われたかもしれないと思うと、不安になることがあります。

もちろん、その不安が生まれる仕組みと、錯視の仕組みは違います。

錯視があるから、人間関係の不安について同じ説明ができるわけではありません。

でも、

「知っているんだから、もう反応するはずがない」

と単純に考える必要はないということは、見えてきます。

知識として理解したこと。

実際に生まれた反応。

それらが、いつでも一致するとは限らないんです。

だからこそ、反応が起きたときに、

「分かっているのに、どうして!」

と自分を責める前に、その反応について観察できることがあります。

なぜ、その反応が必要だったのでしょう。

どんな条件が関係していたのでしょう。

そこを見ていくことができます。

見え方が違うとき、何が変わったのかを見てみよう

さて、ここまで、二つの錯視を見てきました。

まずは、エビングハウス錯視です。

中心の円は、同じ大きさでした。

でも、周りの円の大きさによって、違って見えました。

次に、チェッカーシャドウ錯視です。

AとBは、同じ灰色でした。

でも、周囲の明るさや影によって、違って見えました。

どちらも、自分の見え方が、周囲の条件に影響されていたわけです。

そして、どちらも確認する方法がありました。

円の周りを取り除く。

定規で測る。

画像の明るさを調べる。

こうした方法を使えば、見え方とは別に、物理的な性質について確かめられます。

ここで、私たちは二つのことを知ることができます。

一つは、目の前の対象についての情報です。

もう一つは、自分の視覚がどんな条件で、どのような見え方を生み出しているのかという情報です。

最初は、

「なんで同じものが違って見えるんだろう?」

と思っていました。

でも、今は、

「へえ、周りの情報って、こんなふうに関係しているんだ!」

と思うかもしれません。

同じ画像です。

でも、知ることで、面白がるところが変わりました。

これも、なかなか興味深いことですよね。

最後に、もう一度あの円を見てみましょう

それでは、最初の画像に戻りましょう。

▶ エビングハウス錯視をもう一度見る

真ん中の二つの円です。

同じ大きさです。

もう、分かっていますよね。

でも、どうでしょう。

違って見えませんか。

……。

知ってるんですよ。

同じ大きさだって、知ってるんです。

でも、違って見えるんですよ!w

もう、本当に不思議です。

でも、こうした現象があるからこそ、人間の視覚が、ただ目の前の情報をそのまま写し取っているだけではないことが分かります。

周囲の条件が関係している。

光や影が関係している。

距離や配置が関係している。

私たちは、そうした情報が関係する中で、世界を経験しています。

そして、自分が見たものについて、知識や測定によって、さらに確かめることもできます。

いつも当たり前に使っている目。

普段は、そんなに意識することもありません。

でも、考えてみると、ものすごくいろいろなことをしているんですね。

何だか、見慣れた景色まで、ちょっと違って見えてきませんか。

よくある質問

Q. 錯視と錯覚は同じものですか?

「錯覚」は、知覚や認識について生じるさまざまな誤りや食い違いを指す広い言葉として使われます。

「錯視」は、その中でも視覚に関する現象を指します。

研究分野によって言葉の使い方に違いはありますが、一般に、同じ長さの線が違う長さに見えることや、静止画像が動いて見えることなどが錯視の例です。

Q. 錯視は誰にでも同じように起こりますか?

錯視には多くの人に共通して見られるものがあります。

ただし、すべての人が同じ強さで錯視を経験するとは限りません。

個人差や、画像の条件、周囲の環境などによって、見え方が変わることがあります。

Q. エビングハウス錯視はなぜ起きるのですか?

中心の円の大きさの判断に、周囲の円との対比や、配置・距離などが関係するためです。

一般的には、小さい円に囲まれた中心の円が大きく、大きな円に囲まれた中心の円が小さく見えやすくなります。

Q. 錯視だと分かっていても、見え方が変わらないのはなぜですか?

視覚によって生まれる知覚と、その知覚について持っている知識や判断は、必ずしも同じように変化するものではないからです。

そのため、画像の大きさや明るさが同じだと知っていても、違って見えることがあります。

ただし、注意の向け方や画像の条件によって、錯視の強さが変わる場合もあります。

Q. 錯視は「すべての現実が思い込み」という証拠ですか?

いいえ。

錯視は、特定の条件で物理的な性質と見え方が一致しないことがあるという現象です。

それによって、世界のすべてが思い込みだと証明されるわけではありません。

錯視を見たときにも、定規や画像データなどを使って、対象の物理的な性質を確認できます。

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参考文献・資料

  • 北岡明佳(2026)「人はなぜ錯視にだまされるのか?」立命館大学。講演資料
  • 北岡明佳(2008)「視覚表現と錯視」立命館土曜講座。解説
  • NTT「イリュージョンフォーラム|エビングハウス錯視」。錯視の実例と説明
  • Adelson, E. H.(1995)“Checker Shadow Illusion.” Massachusetts Institute of Technology. MIT公式の錯視画像・証明・解説
  • Weintraub, D. J.(1979)“Ebbinghaus illusion: context, contour, and age influence the judged size of a circle amidst circles.” Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance, 5(2), 353–364. PubMed
  • Schwarzkopf, D. S., Song, C., & Rees, G.(2013)“Subjective Size Perception Depends on Central Visual Cortical Magnification in Human V1.” PLOS ONE, 8(3), e60550. 論文

まとめ|「見えたこと」は体験として本当。でも、それだけがすべてではない

同じ大きさの円が、違う大きさに見える。

同じ明るさのマスが、違う灰色に見える。

こうした錯視を見ると、何だか不思議な気持ちになります。

でも、調べてみると、人間の視覚が周囲の情報や光、影などを使いながら世界を知覚していることが分かってきます。

そして、ここには大切な違いがあります。

「自分にはそう見えた」という体験。

「対象が実際にどんな性質を持っているか」ということ。

この二つは、分けて考えることができます。

自分の体験を否定する必要はありません。

でも、自分の見え方だけですべてを決める必要もありません。

日常生活でも、何かを見たり聞いたりしたとき、そこにさまざまな意味が加わることがあります。

そして、意味が加わることで、違う反応が生まれる場合があります。

だからこそ、

「自分にはそう見えた」

というところから、さらに、

「実際には、何が起きていたのだろう?」

と考えることができます。

自分の感覚を否定するのでもなく、無理に正しい見方へ直そうとするのでもなく。

ただ、その仕組みを知る。

それだけでも、いつもの世界が少し面白くなってきませんか。

人間の認識と反応が生まれる仕組みを、もっと知りたい方へ

錯視を見ていると、自分が知っていることと、実際に経験していることが一致しない場合があることに気づきます。

日常生活でも、私たちは何かの出来事を経験し、そこに意味を加え、さまざまな反応を経験しています。

そとがわメソッドでは、そうした出来事と色づけ、一次反応や二次反応、その後の行動などを分けて観察していきます。

正しく見える人になるためでもありません。

反応しない人になるためでもありません。

なぜ、自分にはそのように感じられたのか。なぜ、その反応が必要になっていたのか。

その仕組みを知るためです。

無料講座では、身近な出来事を使いながら、人間の認識と反応について順番に見ていきます。

悩みを抱えている人だけでなく、人間というものに興味がある方にも、楽しんでいただける内容です。

登録は不要です。

興味があれば、0時間目から自由にご覧ください。

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この記事を書いた人

そとがわメソッド開発者。心理学・自己啓発・潜在意識などを学んでも自己否定が終わらなかった自身の経験から、「自分を変える前に、何が起きているのかを見る」そとがわメソッドを開発。著書『自分を否定しない練習』。
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