そとがわメソッドにおける「エゴ」とは

そとがわメソッドにおける「エゴ」とは

前のページでは、

私たちが普段、

「これが自分だ」

と感じている、

身体。

思考。

性格。

自己像。

役割。

経験。

反応のパターン。

そうしたものを、

観察しやすくするために、

「アバター」

という比喩で見ました。

では、

なぜそのアバターには、

似た反応が繰り返し起きるのでしょうか。

なぜ、

頭では、

「もう大丈夫」

「変わりたい」

と思っていても、

実際の場面では、

以前と同じ反応や行動が起きることがあるのでしょうか。

そとがわメソッドでは、

ここで、

「エゴ」

という言葉を使います。

エゴという、

ひとつの人格があるわけではありません。

そとがわメソッドでは、

アバターを守るために自動的に動いている、さまざまなプログラムの総称

を、

エゴと呼んでいます。


エゴは、ひとつの人格ではない

たとえば、

嫌われないようにする。

失敗を避ける。

怒られないようにする。

人間関係を維持する。

居場所を守る。

自分の評価を守る。

身体的な危険を避ける。

慣れている状態を維持する。

こうした働きは、

すべて同じ場面で、

同じように動くわけではありません。

その人が置かれている状況や、

これまでの経験によって、

必要になっているプログラムが動きます。

そとがわメソッドでは、

そうした、

アバターを守るために働く自動プログラム全体

をまとめて、

エゴと呼びます。


エゴは「悪いもの」の名前ではない

「エゴ」という言葉を聞くと、

わがまま。

自己中心的。

手放すべきもの。

なくした方がいいもの。

というイメージを持つ人もいるかもしれません。

でも、

そとがわメソッドでいうエゴは、

そういう意味ではありません。

危険を避ける。

傷つきを避ける。

失敗を避ける。

人間関係を維持する。

生活を守る。

安心できる状態を保つ。

こうした働きは、

人が生活していくうえで、

必要になるものです。

だから、

エゴは、

排除すべきものではありません。

アバターを守るために成立している、

プログラムの集まりです。


アバターとエゴは違う

ここは、

分けて考えると分かりやすくなります。

アバター

は、

この世界で実際に生活している、

自分を構成しているもの。

身体。

性格。

思考。

自己像。

経験。

役割。

反応のパターン。

などです。

一方、

エゴ

は、

そのアバターを守るために働いている、

さまざまな自動プログラムの総称です。

たとえば、

アバターの中に、

「私は人に迷惑をかけない人」

という自己像がある。

そこで、

人に頼ろうとすると、

「迷惑だと思われるかもしれない」

という反応が起きる。

頼らない。

自分で何とかする。

という行動になる。

この一連の中にある、

アバターをこれまでの状態に保とうとする自動的な働きを、

エゴのプログラムとして見ます。


プログラムは、これまでの経験の中でつくられる

こうしたプログラムは、

何もないところから突然できるわけではありません。

たとえば、

意見を言ったら怒られた。

頼ったら嫌な顔をされた。

失敗したら強く責められた。

弱音を吐いたら否定された。

断ったら相手の機嫌が悪くなった。

そうした経験があると、

その人の中では、

「意見を言うと危険」

「頼ると危険」

「失敗すると危険」

「断ると危険」

という学習が起きることがあります。

すると、

似た場面になったとき、

毎回一から考えなくても、

自動的に反応が起きます。

このように、

経験をもとに形成され、

アバターを守るために自動で働くものを、

エゴのプログラムとして見ます。


エゴは、自動運転の集まり

たとえば、

頼まれごとをされた。

その瞬間、

「断ったら嫌われるかもしれない」

という反応が起きる。

身体が緊張する。

怖くなる。

そして、

「大丈夫です」

と言う。

本人は、

毎回、

「嫌われないためには引き受けよう」

と意識的に判断しているとは限りません。

頼まれたら、

緊張する。

断るのが怖くなる。

引き受ける。

という動きが、

ほとんど自動で起きることがあります。

車の運転で、

慣れた操作を毎回考えなくてもできるように、

人の反応にも、

自動化されているものがあります。

そとがわメソッドでは、

こうした自動プログラムの集まりを、

エゴと呼んでいます。


同じ人の中にも、いくつものプログラムがある

エゴは、

ひとつの目的だけで動く、

ひとつの仕組みではありません。

たとえば、

「失敗を避けたい」

というプログラムが動くこともあれば、

「嫌われたくない」

というプログラムが動くこともあります。

「迷惑をかけてはいけない」

「ちゃんとしていなければならない」

「弱いところを見せてはいけない」

「自分で何とかしなければならない」

というものが動くこともあります。

場合によっては、

複数のプログラムが、

同時に動くこともあります。

だから、

「エゴがこう言っている」

というより、

今、どんなプログラムが動いているのか

を見る方が、

そとがわメソッドの考え方には近くなります。


「変わりたい」にも、プログラムが関わることがある

「変わりたい」

「もっと成長したい」

「もっとちゃんとしたい」

という気持ちにも、

何らかのプログラムが関わっていることがあります。

たとえば、

「今の自分ではダメ」

「もっとできなければ認められない」

「このままでは嫌われる」

という前提があれば、

そこから、

変わろうとすることがあります。

でも、

だからといって、

「変わりたい=エゴ」

という意味ではありません。

やってみたい。

知りたい。

面白そう。

もっとできるようになりたい。

ということもあります。

見るのは、

変わりたいと思ったこと自体ではなく、

そのとき何が動いているのか

です。


変わりたいのに、元の行動へ戻ることがある

断れるようになりたい。

もっと自由に生きたい。

人の目を気にしすぎないようになりたい。

自信を持ちたい。

行動できるようになりたい。

そう思っている。

でも、

実際に違う行動をしようとすると、

怖くなる。

不安になる。

面倒になる。

やる気がなくなる。

理由をつけてやめる。

元の行動へ戻る。

ということがあります。

それは、

「本当は変わりたくないから」

とは限りません。

新しい行動をしようとしたことで、

アバターを守るためのプログラムが動いたのかもしれません。


苦しくても、「知っている状態」を維持することがある

今までの状態が苦しい。

だから、

違う生き方をしたい。

それでも、

変化しようとすると、

強い反応が起きることがあります。

たとえば、

いつも相手に合わせてきた人が、

自分の意見を言おうとする。

すると、

嫌われるかもしれない。

怒られるかもしれない。

わがままだと思われるかもしれない。

関係が壊れるかもしれない。

という反応が起きる。

今までの状態は、

苦しい。

でも、

少なくとも知っている。

新しい行動は、

未知です。

そのとき、

未知の方を危険として扱うプログラムが動けば、

今までの状態へ戻ることがあります。


自己イメージを守るプログラムもある

アバターには、

「私はこういう人」

という自己像があります。

たとえば、

「私は人に迷惑をかけない人」

「私はちゃんとする人」

「私は弱音を吐かない人」

「私は頼られる側の人」

という自己像がある。

そこから外れる行動をすると、

不安や違和感が起きることがあります。

人に頼る。

休む。

断る。

できないと言う。

すると、

「そんな自分ではダメ」

という反応が起きる。

この場合、

これまでの自己像を維持するためのプログラムが、

動いていると見ることができます。


だから、知識だけでは変わらないことがある

「断ってもいい」

「休んでもいい」

「人に頼ってもいい」

「失敗してもいい」

頭では、

分かっている。

それでも、

実際の場面ではできない。

それは、

知識が足りないからとは限りません。

その場面になったとき、

これまでに形成された自動プログラムが、

先に動くことがあります。

だから、

そとがわメソッドでは、

次の知識を増やすだけではなく、

今、どんなプログラムが動いているのか

を見ます。


プログラムが動いていると、それが現実そのものに見えることがある

「絶対に嫌われる」

「きっと失敗する」

「今はやめた方がいい」

「自分には無理」

「もっと準備してから」

こうした考えが出たとき、

それが、

自動的に起きている反応だとは、

感じないことがあります。

ただ、

「そうとしか思えない」。

現実そのものに見える。

自分が普通に考えて、

そう判断したように感じる。

それくらい、

自動プログラムは、

自然に動いていることがあります。


「エゴだから間違い」ではない

だからといって、

「これはエゴのプログラムだから、

間違っている」

ということでもありません。

実際に危険なこともあります。

実際に関係が壊れることもあります。

実際に仕事を失うこともあります。

経済的なリスクがあることもあります。

だから、

「エゴだから無視する」

ではなく、

何が起きているのかを見ます。

何を危険だと感じているのか。

その危険は、

今の現実にもあるのか。

どこまでが予測なのか。

実際には、

何が起きているのか。

そこを分けます。


エゴを敵にしない

エゴは、

アバターを困らせるためにあるものではありません。

むしろ、

これまで、

そのアバターが生きていくために、

必要になったプログラムの集まりです。

だから、

そとがわメソッドでは、

エゴを排除しません。

戦いません。

消そうとしません。

見るのは、

今、どんなプログラムが動いているのか。

なぜ、それが必要になったのか。

です。


エゴを敵にすると、また自分との戦いになる

もし、

「この反応はエゴだからダメ」

「エゴを手放さなければ」

となると、

今度は、

エゴという名前を使って、

自分の反応を否定することになります。

不安になる。

↓

「またエゴが出た」

↓

「なくさなきゃ」

↓

まだ不安がある。

↓

「全然できていない」

そうやって、

新しい自分責めが始まることがあります。

それでは、

名前が変わっただけで、

また、

自分の中で起きているものと戦っています。

エゴのプログラムも、

観察する対象です。


エゴがなくなる必要はない

そとがわメソッドでは、

エゴがなくなることを、

目指していません。

人が生きている限り、

危険を避ける。

準備する。

失敗を避ける。

人間関係を維持する。

身体を守る。

生活を守る。

といった自動的な働きはあります。

問題なのは、

プログラムがあることそのものではありません。

大切なのは、

自動で動いているものを、自分そのものとしてしか見られない状態から、何が動いているのか見られるようになること

です。


プログラムが見えると、選択肢が増えることがある

たとえば、

「断ったら嫌われる」

という反応が起きている。

それが、

現実そのものに見えていると、

引き受けるしかないように感じることがあります。

でも、

「今、

断ることを危険として扱うプログラムが動いている」

と見えたら、

ほかのことも確認できます。

本当に嫌われるのか。

今の相手はどうなのか。

断り方を変えることはできるか。

今回は引き受けたいのか。

断りたいのか。

あとで相談することはできるか。

プログラムが消えたわけではありません。

反応もあるかもしれません。

それでも、

自動運転以外の選択肢も見えるようになる。

そこが、

そとがわメソッドで、

エゴを見る意味です。


エゴという言葉の目的

そとがわメソッドで、

エゴという言葉を使う目的は、

自分の中に、

別人格を見つけるためではありません。

「エゴの声」

という何かが、

自分の中に存在している、

という意味でもありません。

嫌われることを避ける。

失敗を避ける。

自己像を維持する。

居場所を守る。

安全を確保する。

そうした、

アバターを守るために動いている複数の自動プログラムを、まとめて扱いやすくするための名前

が、

エゴです。


次に読む

私たちは、自分を守ろうとする反応が起きているとき、その反応を現実そのもののように感じることがあります。

「絶対に嫌われる」

「失敗したら終わりだ」

「自分には無理だ」

でも、「今、そう判断しているんだな」と見えると、同じ反応でも見え方が変わることがあります。

次は、自分がどこから何を見ているのかという「観察点」について紹介します。


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頭では分かっているのに、同じ行動を繰り返してしまう。

その背景には、何かを避けたり、守ったりするための反応が働いていることがあります。

そして、その反応を「ダメなもの」と判断することで、さらに苦しさが重なることもあります。

大切なのは、エゴをなくすことではなく、今、自分の中で何が起きているのかを知ることです。

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