そとがわメソッドにおける「アバター」とは
私たちは普段、
「私はこういう性格」
「私は人付き合いが苦手」
「私は考えすぎる人」
「私は断れない人」
「私は自信がない」
というように、
いろいろなものをまとめて、
「これが自分だ」
と感じています。
名前。
身体。
性格。
思考。
感情。
役割。
過去の経験。
得意なこと。
苦手なこと。
人から言われてきたこと。
自分について信じていること。
そうしたものが重なって、
私たちは、
「自分」という感覚を持っています。
そとがわメソッドでは、
こうした自分を構成しているものを、
少し分けて見やすくするために、
「アバター」
という比喩を使います。
アバターとは、この世界で生きている「自分」
そとがわメソッドでいうアバターとは、
身体。
思考。
性格。
感情。
自己像。
役割。
経験。
反応のパターン。
そうした、
この世界の中で実際に生活し、考え、感じ、行動している自分を構成するもの
です。
ゲームでいえば、
キャラクターを通して、
その世界を体験するようなものです。
私たちも、
身体を通して世界を感じ、
思考を使って情報を整理し、
これまでの経験をもとに反応し、
役割や関係の中で、
実際に生活しています。
ただし、
ここでいうアバターは、
「偽物の自分」
という意味ではありません。
アバターも、
ちゃんと自分です。
ただ、
今見えている一つの特徴だけが、自分の全部ではない
という見方です。
アバターという言葉を使うのは、少し分けて見るため
たとえば、
人前で緊張した。
すると、
「私は人付き合いが苦手な人間だ」
と思う。
失敗した。
すると、
「私は能力がない」
と思う。
腹が立った。
すると、
「私は性格が悪い」
と思う。
断れなかった。
すると、
「私は弱い」
と思う。
このように、
ある場面で起きた反応が、
いつの間にか、
「自分全体についての説明」
になることがあります。
でも、
実際には、
人前で緊張したことと、
人付き合いが苦手な人間であることは、
同じではありません。
失敗したことと、
能力がない人間であることも、
同じではありません。
そこで、
一度、
自分の中で起きているものを、
分けて見ます。
そのための比喩が、
アバターです。
「私はこういう人」は、ひとつの見方かもしれない
たとえば、
「私は人見知りです」
と思っている人がいたとします。
でも、
家族とは普通に話せる。
仲のいい友人とはよく話す。
一対一なら話せる。
仕事では、
必要なら話せる。
初対面の人の前だけ、
強く緊張する。
ということもあります。
この場合、
「私は人見知りという人間」
と一つにまとめることもできます。
でも、
もう少し細かく見れば、
特定の条件で、緊張という反応が起きている
とも言えます。
そとがわメソッドでは、
「私はこういう性格」
と固定する前に、
どんな条件で、
何が起きているのかを見ます。
「私は怒りっぽい」ではなく、「この条件で怒りが起きる」
同じように、
「私は怒りっぽい」
と見る代わりに、
「この条件では、
怒りが起きやすい」
と見ることができます。
「私は人とうまく話せない」
ではなく、
「この場面では、
緊張や怖さが起きている」
と見る。
「私は断れない人」
ではなく、
「この相手、この場面では、
断らない行動が必要になっている」
と見る。
ここでしているのは、
「そんな自分は本当の自分ではない」
と否定することではありません。
その反応も、
その性格も、
その自己像も、
自分の中にあるものです。
ただ、
それひとつを、自分の全部にしない
ということです。
アバターは、経験の中で形づくられていく
今の自分は、
突然できたわけではありません。
これまでの人生の中で、
怒られた。
褒められた。
拒絶された。
受け入れられた。
失敗した。
成功した。
期待された。
否定された。
助けてもらった。
自分で何とかした。
そうした経験を重ねながら、
私たちは、
いろいろなことを学びます。
何が安全なのか。
何が危険なのか。
どうすれば怒られないのか。
どうすれば嫌われにくいのか。
どうすれば安心できるのか。
どうすれば、
その場をやり過ごせるのか。
その積み重ねによって、
考え方や、
反応のパターンや、
「私はこういう人」
という自己像も、
少しずつ形づくられていきます。
つまり、
今のアバターには、
今の形になった理由があることがあります。
「ちゃんとした私」にも、成立した理由があるかもしれない
たとえば、
「ちゃんとした人」
でいようとする人がいたとします。
迷惑をかけない。
人に頼らない。
失敗しない。
弱音を吐かない。
いつも頑張る。
今では、
その生き方が苦しくなっているかもしれません。
でも、
そうすることで、
怒られずに済んだ。
評価を下げられずに済んだ。
人間関係を維持できた。
居場所を守れた。
という経験があったかもしれません。
そう考えると、
「こんな性格だからダメ」
ではなく、
「この形でいる必要があったのかもしれない」
と見ることができます。
今の自分を、別の自分に作り替える前に見る
自分に困っていると、
もっと違う自分になりたい、
と思うことがあります。
もっと自信のある自分。
人の目を気にしない自分。
断れる自分。
前向きな自分。
行動できる自分。
でも、
今の自分には、
今の自分が成立している仕組みがあります。
そこを見ないまま、
別の自分になろうとすると、
変わりたい。
でも怖い。
やりたい。
でも危険な感じがする。
頭では分かっている。
でも身体が動かない。
ということが起きる場合があります。
すると、
今度は、
「また変われなかった」
と、
自分を責めることがあります。
だから、
そとがわメソッドでは、
今のアバターをすぐに別のものへ作り替えること
から始めません。
まず、
今の自分に、
何が起きているのかを見ます。
「私は断れない」で終わらせず、仕組みを見る
たとえば、
「私は断れない」
と思っているとします。
そこで終わらず、
もう少し見てみます。
誰に対して断れないのか。
どんな頼まれ方だと断れないのか。
断ろうとすると、
身体には何が起きるのか。
断ったら、
何が起きると思っているのか。
何を避けようとしているのか。
何が怖いのか。
そこまで見ていくと、
「断れない性格」
ではなく、
ある条件の中で成立している反応
として見えることがあります。
すると、
「私はこういう人だから」
だけでは、
説明できなくなります。
アバターの評価と、自分全体の価値は同じではない
仕事で失敗した。
うまく話せなかった。
怒ってしまった。
逃げてしまった。
誰かに嫌われた。
何もできなかった。
そういうことは、
実際に起きます。
必要なら、
反省することもあります。
謝ることもあります。
改善することもあります。
でも、
「失敗した」
ことと、
「自分には価値がない」
ことは、
同じではありません。
「断れなかった」
ことと、
「弱い人間である」
ことも、
同じではありません。
出来事。
行動。
反応。
評価。
自分全体。
それらが、
一つに混ざることがあります。
アバターという見方は、
それを、
少し分けて見るためにも使います。
「自分そのもの」ではなく、「自分に起きていること」として見る
たとえば、
不安になったとします。
そのとき、
「私は不安だ」
から、
「私は不安になりやすい人間だ」
「私は弱い」
まで、
一気につながることがあります。
でも、
少し分けると、
「今、自分に不安という反応が起きている」
とも見られます。
不安は、
自分に起きています。
だから、
不安も、
自分の一部です。
でも、
不安だけが、
自分のすべてではありません。
性格も。
自己像も。
過去の経験も。
役割も。
反応のパターンも。
どれも自分の一部です。
でも、
そのうちの一つだけで、
自分全体を決めなくてもいい。
アバターは、否定するものではない
ここは大切です。
アバターという言葉を使うと、
「アバターだから偽物」
「アバターを超えなければ」
「この自分を捨てなければ」
という方向へ行くことがあります。
でも、
そとがわメソッドでは、
そう考えません。
今の身体で、
今の世界を生きています。
今の思考を使っています。
今の感情を感じています。
今の経験を持っています。
今の関係の中で、
実際に暮らしています。
それを、
偽物として捨てる必要はありません。
アバターを使う目的は、
今の自分を否定するためではなく、今の自分を見やすくするため
です。
「観察している側だけが本当の自分」でもない
アバターを、
観察できるようになると、
「では、アバターではない本当の自分が別にいるのか」
と思うことがあります。
そとがわメソッドでは、
そこを決めません。
反応しているのも自分。
感じているのも自分。
考えているのも自分。
それに気づいているのも自分。
「観察している側だけが本当の自分」
という存在論を、
答えにはしません。
アバターという比喩は、
自分を二つに分けるためではなく、自分の中で起きているものを見やすくするため
に使います。
アバターを守ろうとする仕組みがある
では、
なぜ、
今のアバターには、
似た反応が繰り返し起きるのでしょうか。
なぜ、
頭では、
「もう大丈夫」
「変わりたい」
と思っていても、
以前と同じ行動へ戻ることがあるのでしょうか。
ここで関係してくるのが、
そとがわメソッドでいう、
「自我(エゴ)」
です。
アバターが、
身体・思考・性格・自己像など、
自分を構成しているものだとすると、
エゴは、
そのアバターを守り、
安全を保とうとする、
自動運転の仕組み
として見ます。
アバターという見方の目的
そとがわメソッドで、
アバターという言葉を使う目的は、
自分を偽物扱いするためではありません。
「私はこういう人だから」
と固定するためでもありません。
「こんな自分を変えなければ」
と責めるためでもありません。
見るのは、
今、
自分を構成しているものの中で、
何が起きているのか。
何に反応しているのか。
どんな条件で、
その反応が成立しているのか。
ということです。
アバターも自分。
ただ、
今起きている一つの反応や、
一つの自己像だけを、
「これが自分の全部だ」
としなくていい。
そのための見方です。
次に読む
アバターとは、身体・思考・性格・自己像など、この世界で生活している自分を見やすくするための比喩です。
では、なぜ私たちは、頭では変わりたいと思っていても、同じような反応や行動を繰り返すのでしょうか。
そこには、自分を守り、安全を保とうとする働きが関係していることがあります。
次は、そとがわメソッドでいう「自我(エゴ)」について見ていきます。

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自分の中で起きている反応や思考を、ひとまとめにせずに見る。
その基本となる「観察」についてはこちらです。

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「私はこういう性格だから」
「どうせまた同じことを繰り返すから」
そう思っていたことも、実際には、ある条件の中で起きている反応かもしれません。
そして、その反応に「こんな自分はダメだ」という評価が重なることで、さらに苦しくなることもあります。
そとがわメソッドの無料講座では、まず出来事と意味づけを分けるところから、人間の認識と反応の仕組みを説明しています。
自分を別の誰かに作り替える前に、今の自分の中で何が起きているのか。
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