「観察する」とはどういうことか
そとがわメソッドでは、
何かに困ったとき、
すぐに、
変える。
直す。
なくす。
というところから始めません。
まず、
今、何が起きているのかを見る。
これを、
「観察する」
と表現しています。
観察するといっても、
いつでも冷静になることでも、
感情をなくすことでもありません。
不安になっている。
腹が立っている。
身体が緊張している。
自分を責めている。
何をすればいいか分からなくなっている。
そうしたものも含めて、
「今、自分の中では何が起きているんだろう」
と見ます。
観察は、「正しい答え」を探すことではない
たとえば、
送ったメッセージに、
まだ返信が来ていない。
そのとき、
「嫌われたかもしれない」
と思ったとします。
観察するときに、
「いや、嫌われたわけじゃない」
「きっと忙しいだけ」
と、
正しい答えに直すわけではありません。
見るのは、
実際に何が起きた?
そこに何が足された?
身体には何が起きた?
どんな感情が起きた?
何を考えた?
そのあと何をした?
ということです。
答えを書き換えるのではなく、
今あるものを、
分けて見ます。
一つの塊になっているものを、分けて見る
反応が強いとき、
自分の中で起きていることは、
ひとまとまりに感じられます。
たとえば、
「怒られたから怖くなって、何も言えなかった」
と思っていたものを、
分けてみると、
出来事
相手から
「ここ、違います」
と言われた。
いろづけ
怒られた。
責められた。
身体反応
胸がざわついた。
身体が固まった。
感情
怖かった。
予測
もっと責められるかもしれない。
嫌われるかもしれない。
行動
黙った。
謝った。
その後の反応
また何も言えなかった自分はダメだと思った。
というように、
いくつものことが、
重なっているかもしれません。
観察するというのは、
この中から、
正しいものを一つ選ぶことではありません。
何が起きていたのかを、ひとつずつ見えるようにすること
です。
観察するのは、思考だけではない
そとがわメソッドで観察するものは、
頭の中の言葉だけではありません。
出来事。
意味づけ。
身体反応。
感情。
思考。
予測。
行動。
自己像。
人間関係。
現実の環境。
必要に応じて、
そのとき起きていることを見ます。
たとえば、
「人前で話せない」
という同じ結果でも、
話し方を知らない。
失敗してはいけないと思っている。
身体が強く緊張する。
失敗したら、
自分の価値が下がるように感じる。
実際に、
安心して話せない人間関係がある。
では、
起きていることが違います。
だから、
同じ困りごとだからといって、
同じ答えを当てはめるわけではありません。
深く掘ることが目的ではない
観察というと、
「もっと奥に原因があるはず」
「子どもの頃まで遡らなきゃ」
と思うことがあります。
でも、
そとがわメソッドでは、
深いほど正しい
とは考えません。
方法を知らないなら、
方法を知ればいい。
現実の環境に問題があるなら、
環境を扱えばいい。
身体が反応しているなら、
身体で起きていることを見る。
過去の経験が関係しているなら、
必要な範囲でそれを見る。
すでに終わっていることまで、
無理に掘り返す必要はありません。
見るのは、
今の自分に、何が起きているのか。
です。
原因当てゲームにもしない
「なぜこうなったんだろう」
と考えていると、
「本当の原因はこれだ」
という答えを、
見つけたくなることがあります。
でも、
先に答えを決めると、
その答えに合わせて、
自分を見ることがあります。
「私は承認欲求が強いから」
「親との関係が原因だから」
「自己肯定感が低いから」
と決めてしまうと、
今、
実際に起きているものが、
見えにくくなることもあります。
だから、
答えを当てるより、
まず、
実際に起きていることを見ます。
「なぜ必要だった?」も、観察のひとつ
反応や行動が見えてきたら、
そのあとに、
「なぜ、これが必要になったんだろう」
と見ることがあります。
なぜ、
断らなかった?
なぜ、
何度も確認した?
なぜ、
黙った?
なぜ、
自分を責めた?
そこに、
何かを避ける理由や、
守ろうとしているものが、
見えることもあります。
でも、
「反応には必ず守りたいものがある」
と先に決めるのではありません。
あくまで、
この人の中では何が起きているのか
を見ます。
観察は、問題探しではない
そとがわメソッドで観察するのは、
困っているときだけではありません。
嬉しい。
楽しい。
安心している。
誰かといて心地いい。
何かに夢中になっている。
特に問題がなく、
なんとなく穏やか。
そんな状態も、
自分の中で起きていることです。
そもそも、
人間の初期設定を、
なんとなく幸せで、
なんとなく満たされている、
穏やかな状態
と見るなら、
観察は、
問題のある自分を探す作業ではありません。
ただ、
今、何が起きているのかを見ること
です。
見えたからといって、変えなくてもいい
観察した結果、
「なるほど、
私はここでこう反応しているんだな」
と分かった。
だからといって、
必ず、
それを変えなければならないわけではありません。
何もしなくてもいい。
確認してもいい。
断ってもいい。
引き受けてもいい。
休んでもいい。
動いてもいい。
観察は、
正しい行動を決めるための採点ではありません。
今あるものを見たうえで、自分で選ぶため
に使います。
「観察できない自分」を作らない
反応が強いときには、
観察なんてできないこともあります。
あとになって、
「あれ、
あのとき何が起きてたんだろう」
と気づくこともあります。
それで構いません。
「その場で観察できなかった」
ことを、
また新しい失敗にする必要はありません。
反応していた。
あとで気づいた。
それも、
今見えていることです。
観察は、
上手にできるようになるための課題ではありません。
観察していると、「見る位置」に気づくことがある
自分の中で起きていることを、
分けて見ていると、
もうひとつ、
面白いことが見えてきます。
たとえば、
「私はダメだ」
と思っているとき。
その言葉が、
事実そのもののように見えているときと、
「今、
自分をダメだと判断している」
と見えているときがあります。
同じ思考があっても、
どこからそれを見ているか
によって、
見え方が違います。
そとがわメソッドでは、
この、
「どこから何を見ているのか」
という位置を、
観察点
と呼んでいます。
観察について理解したあと、
アバターやエゴについて見ていくと、
この「見る位置」が、
さらに分かりやすくなります。
次に読む
私たちは普段、身体や性格、思考、これまでの経験などをまとめて「これが自分だ」と感じています。
でも、その中で起きたひとつの反応が、自分のすべてなのでしょうか。
そとがわメソッドでは、自分として生きているものを少し違う位置から見るために、「アバター」という比喩を使います。
次は、その考え方について見ていきます。

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観察する前に、なぜその反応や行動が必要になったのかを考えたい方はこちら。
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