なぜ反応が起きるのか

なぜ反応が起きるのか

「こんなに不安にならなければいいのに」

「人の顔色なんて気にしなければいいのに」

「もっと普通に断れたらいいのに」

「考えすぎるのをやめたい」

自分の反応に困っていると、

その反応そのものを、

なくしたくなることがあります。

でも、

そとがわメソッドでは、

その反応をすぐに消そうとはしません。

先に見るのは、

「なぜ、この反応が必要になっているんだろう」

ということです。

反応には、

何かを避けようとしたり、

何かを守ろうとしたり、

その人の中で、

そうすることが必要になる理由があることがあります。


困った反応にも、成立している理由があることがある

たとえば、

人に頼まれると、

断れない人がいたとします。

本人にとっては、

「断れない自分」

が問題に見えます。

でも、

その人の中で、

断る。

↓

相手を困らせる。

↓

嫌われる。

↓

関係が悪くなる。

という意味が成立しているとしたら、

断らないことは、

単なる悪い癖ではありません。

その人の中では、

関係を守るために必要な行動

になっているかもしれません。

この状態で、

「嫌なら断ればいい」

と言われても、

本人にとっては、

ただ断るだけではありません。

断ることに、

別の意味がついているからです。

だから、

反応だけを見るのではなく、

なぜ、その反応や行動が必要になったのか

を見ます。


反応には、「避けたいこと」がある場合がある

たとえば、

人に合わせる。

その背景に、

嫌われることを避けたい、

というものがあるかもしれません。

何度も確認する。

その背景に、

失敗することを避けたい、

というものがあるかもしれません。

人に頼らない。

その背景に、

断られることや、

迷惑だと思われることを避けたい、

というものがあるかもしれません。

頑張りすぎる。

その背景に、

評価を下げられることや、

役に立たないと思われることを避けたい、

というものがあるかもしれません。

もちろん、

すべての反応に、

必ず同じような理由がある、

ということではありません。

見るのは、

「この人の場合は、何が起きているんだろう」

です。


「守ろうとしているもの」が見えることもある

反応を見ていくと、

避けたいものだけではなく、

守りたいものが見えることもあります。

関係を守りたい。

居場所を守りたい。

生活を守りたい。

自分の評価を守りたい。

傷つかないようにしたい。

安心を保ちたい。

反応だけを見ると、

「面倒なもの」

「なくしたいもの」

に見えることがあります。

でも、

その反応によって、

何を守ろうとしているのかまで見えると、

同じ反応でも、

見え方が少し変わります。


「ダメな反応」ではなく、「そのとき必要だった反応」かもしれない

今は困っている反応でも、

過去には、

その人にとって役に立っていた可能性があります。

たとえば、

子どもの頃、

親の機嫌を読むことで、

怒られずに済んだ。

何も言わずに我慢することで、

その場が荒れずに済んだ。

失敗しないように、

何度も確認することで、

責められることを避けられた。

自分の気持ちを抑えることで、

関係を保てた。

そうした経験があるなら、

そのときの自分にとっては、

意味のある反応だったのかもしれません。

今は、

環境が変わっている。

でも、

似た場面になると、

同じ反応が起きることがあります。

だから、

今困っている反応を見て、

「なんでこんなものがあるんだ」

と考えるだけではなく、

「これが必要になった理由は何だったんだろう」

と見ることができます。


だから、「やめればいい」が難しいことがある

たとえば、

考えすぎる人に、

「考えなければいい」

と言っても、

なかなか止まらないことがあります。

その人にとって、

考えることが、

危険を予測する。

失敗を防ぐ。

相手の反応を予測する。

準備をする。

安心を確保する。

ために必要になっているかもしれないからです。

もし、

考えるのをやめる
= 無防備になる

という意味になっているなら、

考え続ける方が、

その人にとっては自然です。

だから、

「考えすぎをやめよう」

だけではなく、

なぜ、考え続ける必要があるのか

を見ます。


頑張りすぎにも、理由があることがある

「休んでもいい」

と知っている。

それでも、

休めない。

もし、

その人の中で、

休む。

↓

怠ける。

↓

価値がない。

↓

見捨てられる。

というような意味がついているなら、

休むことそのものに、

リスクが生まれます。

その条件では、

頑張り続ける方が、

安全に感じられるかもしれません。

だから、

頑張りすぎをやめるために、

さらに、

「ちゃんと休まなきゃ」

と頑張るより、

まず、

なぜ、自分には頑張り続けることが必要なんだろう

と見ます。


怒りにも、理由があることがある

怒りも、

なくしたい反応として、

扱われやすいものです。

でも、

怒りによって、

距離を取る。

境界を守る。

不当な扱いに気づく。

これ以上近づかせない。

といったことが起きる場合があります。

もちろん、

怒りに任せて、

誰かを傷つけることもあります。

だから、

「怒りには理由がある」

ということと、

「怒って何をしてもいい」

ということは、

まったく別です。

それでも、

怒りそのものを、

最初から悪いものとして消そうとすると、

何に反応して怒りが起きたのか

が見えなくなることがあります。


反応が、今も必要なのかを見る

反応に理由があることが分かったとしても、

だから、

ずっと同じ反応のままでいい、

という話ではありません。

見るのは、

その反応は、今も必要なのか

です。

過去には必要だった。

でも、

今は環境が違う。

今の相手は、

過去の相手とは違う。

今は、

逃げる以外の選択肢もある。

今は、

断っても関係が壊れないかもしれない。

今は、

助けを求めてもいいかもしれない。

そういうことが分かると、

今まで、

「これしかない」

と思っていたもの以外の選択肢が、

見えることがあります。


でも、今も本当に危険なら、その反応には意味がある

一方で、

今も本当に危険がある場合もあります。

実際に暴言を受けている。

断ると、

明確な不利益がある。

経済的に、

身動きが取りにくい。

身体的な危険がある。

関係を切ることで、

生活そのものに影響が出る。

そんなときに、

「これは昔の反応だから手放そう」

とする必要はありません。

そとがわメソッドでは、

すべてを、

自分の心の問題にしません。

見るのは、

現実では何が起きているのか。

そして、

自分の中では何が起きているのか。

過去の学習による反応なのか。

現在にも危険があるのか。

その両方なのか。

それも、

分けて見ます。


反応の理由が見えると、「自分がダメ」だけでは説明できなくなる

たとえば、

「また断れなかった」

という結果だけを見ると、

自分が弱い。

意志がない。

成長していない。

と思うかもしれません。

でも、

断ることで、

何が起きると感じていたのか。

何を避けようとしていたのか。

何を守ろうとしていたのか。

そこまで見えてくると、

「自分がダメだから」

だけでは、

説明できなくなります。

そのときの自分には、

断らないことが必要になる条件があった

のかもしれません。

そう見えるだけでも、

「できなかった自分」

とは、

少し違う見え方になります。


「理由が分かる」と「正当化する」は違う

ここは、

大切なところです。

反応や行動に、

理由があることを見るのは、

どんな行動でも正しいことにするためではありません。

怒鳴った。

誰かを傷つけた。

約束を破った。

そうした行動について、

必要なら、

その結果に対して責任を取る必要があります。

ただ、

「なぜ、その行動が起きたのか」

を理解することと、

「理由があるから何をしてもいい」

とすることは別です。

そとがわメソッドでは、

仕組みを見ることと、行動の責任を分けて考えます。

理由が分かったから、

責任がなくなるわけではありません。

責任があるから、

仕組みを見る必要がなくなるわけでもありません。


「何のため?」と決めつけるのではなく、実際に見る

反応を見るとき、

「これは嫌われないためだ」

「これは自分を守るためだ」

と、

最初から答えを決める必要はありません。

同じ行動でも、

必要になった理由は、

人によって違います。

たとえば、

人に合わせる人が、

全員、

嫌われることを怖がっているとは限りません。

何かを考え続ける人が、

全員、

失敗を避けようとしているとも限りません。

だから、

理論を使って、

人を当てはめるのではなく、

「この人の中では、実際に何が起きているんだろう」

と見ます。

そとがわメソッドの理論は、

人を分類するための答えではなく、

自分の中で起きていることを見るための、

手がかりです。


反応を消す前に、その役割を見る

困った反応があると、

なくす。

直す。

抑える。

書き換える。

という方向へ、

すぐに進みたくなることがあります。

でも、

その前に、

一度見ます。

この反応が起きると、

何を避けられるのか。

何が起きると思っているのか。

この反応がなかったら、

何が怖いのか。

何を守ろうとしているのか。

そもそも、

本当に何かを守ろうとしているのか。

答えを先に決めるのではなく、

自分の中で起きていることを確認する。

そこから始めます。


理由が見えると、選択肢が増えることがある

たとえば、

断ると嫌われると思っていた。

でも、

実際に見てみると、

今の相手は、

断っても関係が壊れないかもしれない。

だったら、

今回は、

断ってみることもできる。

もちろん、

怖さがなくなるとは限りません。

反応が残ったまま、

断ることもあるかもしれません。

逆に、

今回は引き受けると、

自分で選ぶこともあるでしょう。

大切なのは、

反応をなくすことではなく、

なぜその反応があるのかが見えたことで、「これしかない」ではなくなること。

そこに、

選べる余地が生まれます。


次に読む

困った反応にも、その人なりの理由があることがあります。

では、その反応が起きているとき、自分の中では何が起きているのでしょうか。

不安になる。

嫌われるかもしれないと思う。

相手に合わせる。

あとから自分を責める。

そうした一つひとつを、変えようとする前に見ていく。

次は、そとがわメソッドでいう「観察する」とはどういうことなのかを紹介します。


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そもそも、なぜ頭では分かっているのに、考えるより先に身体が反応するのでしょうか。

意識して選ぶ前に起きる、自動反応についてはこちらです。


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