「気にしなくていい」
そう思っているのに、気になる。
「怒られているわけじゃない」
そう分かっているのに、身体が緊張する。
「断ってもいい」
そう思っているのに、気づけば「大丈夫です」と答えている。
こんな経験はありませんか。
頭では分かっている。
それなのに、実際の場面になると、思っていたのとは違う反応が起きる。
まるで、自分の意思とは別のところで何かが動いているように感じることがあります。
でも、考えてみると少し不思議です。
私たちは、どうして自分で決める前に反応してしまうのでしょうか。
考えるより先に、身体が動くことがある
例えば、突然大きな音がしたとき。
「今、大きな音がしたから驚こう」
と考えてから、驚くわけではありません。
気づいたときには、身体がビクッとしています。
誰かから強い口調で話しかけられたときも同じです。
何を言われたのかを理解するより先に、胸がドキッとしたり、身体に力が入ったりすることがあります。
相手の表情が変わった瞬間に、何かを察したような気がすることもあります。
こうした反応は、意識して選んでいるとは限りません。
そとがわメソッドでは、このような考えて決める前に起きる反応にも目を向けます。
なぜなら、私たちの言葉や行動には、そうした反応が関わっていることがあるからです。
「分かっているのにできない」の前には、何がある?
例えば、誰かから仕事を頼まれたとします。
今日は忙しい。
これ以上引き受けたら、自分の仕事が終わらない。
だから、本当は断りたい。
頭では、断ってもいいと分かっています。
それなのに、相手から、
「これ、お願いできる?」
と言われた瞬間、
「いいですよ」
と答えてしまった。
あとから、
「また断れなかった」
「どうして私はこうなんだろう」
と考える。
このとき、目に見えるのは「断れなかった」という結果です。
でも、その前には何が起きていたのでしょうか。
断ることが怖かったのかもしれません。
相手を困らせたくなかったのかもしれません。
嫌われるような気がしたのかもしれません。
あるいは、実際に断りにくい立場だったのかもしれません。
理由は、人によっても場面によっても違います。
ただ、少なくとも、
「断ってもいいと知っていること」と「その場で断れること」は、同じではありません。
そこには、頭で考えるより先に働いている何かがあるのかもしれません。
自動反応は、何かを守ろうとしていることがある
例えば、人の顔色を気にしてしまう人がいたとします。
相手の表情が変わると、すぐに気づく。
声の調子が違うと、何か悪いことをしたのではないかと考える。
相手が不機嫌そうだと、自分の言動を振り返る。
本人にとっては、やめたい反応かもしれません。
でも、もし相手の機嫌を早く察知することで、嫌な思いをせずに済んだ経験があったとしたら、どうでしょうか。
怒られる前に気づけた。
揉めごとを避けられた。
相手との関係を保てた。
そうした経験があるなら、顔色を確認することには、その人なりの理由があるのかもしれません。
もちろん、すべての自動反応が過去の経験だけで説明できるわけではありません。
ここで大切なのは、原因を決めつけることではなく、
なぜ、その反応が自分にとって必要になっているのだろう。
という見方です。
一見すると困った癖に見える反応も、何かを避けたり、守ったりするために働いていることがあります。
反応そのものが、苦しさなのではない
驚く。
怖くなる。
不安になる。
身体が緊張する。
こうした反応が起きること自体は、人間にとって自然なことです。
もちろん、反応した瞬間に不快さや痛みを感じることはあります。
けれど、その反応が起きたことと、そこから苦しさが重なっていくことは、同じではありません。
例えば、相手の表情が変わって、胸がざわついたとします。
そこに、
「怒らせたのかもしれない」
という意味がつく。
さらに、
「また顔色を気にしてしまった」
と思う。
そして、
「こんな自分ではダメだ」
「いつになったら変われるんだろう」
と、自分を評価し始める。
最初に起きたのは、身体の反応だったかもしれません。
でも、そこに意味づけが重なり、さらに反応した自分への評価まで加わっています。
こうして、最初の反応だけでは説明できない苦しさが生まれたり、長引いたりすることがあります。
そとがわメソッドでは、こうした反応の重なりも見ていきます。
反応が起きたことを、さらに問題にしていないだろうか。
そこに気づくことも、自分の中で起きていることを理解する手がかりになります。
反応をなくそうとすることも、新しい苦しさになる
例えば、人前で緊張したとします。
「次こそ緊張しないようにしよう」
と思う。
でも、次も緊張した。
すると、
「また緊張してしまった」
「全然変わっていない」
「もっと練習しなければ」
と考える。
今度は、緊張することだけでなく、緊張しない自分になれないことまで問題になります。
もちろん、練習したり、環境を整えたりすることで楽になることもあります。
それが悪いわけではありません。
ただ、反応をなくすことが新しい課題になり、その課題を達成できない自分を責め続けるなら、そこにも苦しさが重なっているかもしれません。
そとがわメソッドでは、反応を消すことを最初の目的にはしません。
まず、
何が起きたのか。
そこにどんな意味がついたのか。
なぜ、その反応が必要になったのか。
そして、その反応に対して自分が何を判断したのか。
そこを見ていきます。
反応をなくすために反応を見るのではなく、反応によって何が起きているのかを知るために見る。
その違いを大切にしています。
反応が起きることと、その反応に従うことは別
例えば、相手に何かを頼まれたとき。
断るのが怖い。
でも、今回は引き受けないと決める。
そんなこともあります。
怖さが消えたから断れたのではなく、怖さがあるまま、別の行動を選んだのかもしれません。
また、誰かが不機嫌そうにしているとき。
胸がざわつく。
でも、すぐに謝ったり、機嫌を取ったりはしない。
そんな選択ができることもあるでしょう。
ここでも、身体の反応自体は起きています。
けれど、反応したことと、その反応に沿って行動することは、同じではありません。
自動反応が起きたからといって、そのあとに選べる行動まで、必ず一つに決まっているわけではないのです。
だから、反応が残っていることだけを見て、
「まだ変わっていない」
と判断する必要もありません。
自分の中で何が起きているのかを知ることで、それまで気づかなかった選択肢が見えることがあります。
幸せになるために、反応をなくす必要がある?
私たちは苦しいとき、その原因になっていると思うものをなくそうとすることがあります。
不安をなくしたい。
怖さをなくしたい。
人の顔色を気にしないようになりたい。
もっと自信を持ちたい。
でも、もし苦しさの一部が、反応そのものではなく、そこに重なる意味づけや評価によって生まれているとしたら、どうでしょうか。
反応をなくさなければ、幸せになれないのでしょうか。
そとがわメソッドでは、人間の初期設定を、
「苦しくない。なんか幸せ」
と捉えています。
幸せになるために、何かを足し続けなければならないという考え方ではありません。
今、自分を苦しくさせているものは何なのか。
そこに何が重なっているのか。
なぜ、その反応が必要になっているのか。
それを知ることで、これまで当たり前に抱えていた苦しさを、違う見方で捉えられることがあります。
不快な出来事がなくなるということでも、悲しみや怖さを感じなくなるということでもありません。
反応は起きてもいい。
大切なのは、その反応をさらに苦しさへとつなげているものが何なのかを知ることです。
そとがわメソッドが目指すのは、反応しない人になることではなく、必要以上の苦しさを重ねずに、もともとのニュートラルな幸福状態に戻っていくことです。
自動反応についての知識も、そのために使う道具のひとつです。
次に読む
自動的に起きる反応には、その人なりの理由があることがあります。
では、なぜその反応が必要になったのでしょうか。
不安になることも、怖くなることも、断れなくなることも、ただ自分を困らせるために起きているわけではないのかもしれません。
次は、反応が必要になる背景について見ていきます。

前のページに戻る
自動反応について見る前に、反応に別の反応が重なる仕組みを確認したい方はこちら。
一次反応・二次反応という見方を使って、苦しさがどのように重なっていくのかを紹介しています。

無料講座で、もう少し詳しく見てみる
頭では分かっているのに、身体が反応する。
気にしなくていいと思っているのに、気になってしまう。
そんなとき、自分の中では何が起きているのでしょうか。
そとがわメソッドの無料講座では、まず出来事と意味づけを分けるところから、人間の認識と反応の仕組みを説明しています。
反応をなくす方法を増やす前に、なぜその反応が必要になったのか。
自分の中で何が重なり、苦しさになっているのか。
そこを知る入口として、無料講座を用意しています。