出来事と「いろづけ」

出来事と「いろづけ」

同じ出来事が起きても、

すべての人が、

同じように感じるわけではありません。

たとえば、

「送ったメッセージに、まだ返信が来ていない」

という出来事があったとします。

ある人は、

「忙しいのかな」

と思うかもしれません。

別の人は、

「嫌われたかもしれない」

と思うかもしれません。

また別の人は、

「何か失礼なことを書いたかな」

「怒らせたかもしれない」

と不安になるかもしれません。

起きている出来事は同じです。

それでも、

その人の中で起きることは違います。

そとがわメソッドでは、

実際に起きたこと

と、

その出来事に、自分の中で何が足されたのか

を分けて見ます。

この、

出来事についた意味づけを、

そとがわメソッドでは、

「いろづけ」

と呼んでいます。


出来事そのものと、意味は同じではない

たとえば、

相手から、

「ここ、違います」

と言われたとします。

ここで実際に起きたのは、

相手が「ここ、違います」と言った

ということです。

でも、その瞬間に、

「怒られた」

「責められた」

「私はダメだと思われた」

「嫌われたかもしれない」

「また失敗した」

といったものが、

自分の中で足されることがあります。

もちろん、

本当に相手が怒っていることもあるでしょう。

本当に、

こちらの間違いを指摘していることもあります。

ただ、

「ここ、違います」と言われたこと

と、

「責められた」こと

は、

同じものではありません。

相手の表情。

声の大きさ。

その前後の会話。

これまでの関係。

自分の過去の経験。

さまざまなものを使って、

私たちは、

起きた出来事を受け取っています。

そとがわメソッドでは、

その全部を一つにせず、

まず、

実際に起きたことは何だったのか

を分けて見ます。


「出来事」は、なるべくカメラで見えるところまで戻す

出来事といろづけを分けるとき、

ひとつの目安になるのが、

カメラに映るかどうか

です。

たとえば、

「上司に怒られた」

という言葉には、

すでに、

「怒られた」

という受け取り方が入っています。

カメラに映るところまで戻すなら、

「上司が声を大きくして、

『ここは直してください』

と言った」

などになります。

「無視された」

ではなく、

「話しかけたが、返事がなかった」。

「嫌な顔をされた」

ではなく、

「相手が眉を寄せた」。

「責められた」

ではなく、

「相手から『なぜこうしたんですか?』と聞かれた」。

どちらが正しいという話ではありません。

ただ、

起きたことと、自分がどう受け取ったのかを分けるため

に、

一度、

出来事をなるべくそのまま見てみます。


いろづけは「考え方」だけではない

「だったら、

考え方を変えればいいのでは?」

と思うかもしれません。

でも、

そとがわメソッドでいう「いろづけ」は、

意識的に考えた解釈だけを、

指しているわけではありません。

過去の経験。

記憶。

人間関係。

身体の状態。

その場の環境。

これまで学習してきたこと。

そうしたものも関わりながら、

出来事に意味がつくことがあります。

たとえば、

過去に、

強い口調で繰り返し責められた経験がある人が、

誰かの声が少し強くなっただけで、

身体を緊張させることがあります。

本人が頭では、

「この人は怒っていない」

と分かっていても、

身体はすでに反応していることがあります。

だから、

「考えすぎないようにしよう」

「気にしないようにしよう」

と決めるだけでは、

変わらないことがあります。

人間の中では、

意識的に考えていることだけが、

動いているわけではないからです。


いろづけが見えると、「なぜそうしたのか」が分かることがある

たとえば、

頼まれごとを断れない人がいたとします。

本人は、

「嫌なら断っていい」

ことを知っています。

それでも、

頼まれた瞬間に、

「大丈夫です」

と言ってしまう。

ここで、

断ることに、

「相手を困らせる」

という意味がついているとします。

さらに、

相手を困らせることに、

「嫌われる」

「関係が悪くなる」

「迷惑な人だと思われる」

という意味が重なっているとしたら、

本人にとっては、

ただ、

「断る」

だけではありません。

断ることが、

人間関係に何かが起きるかもしれない行動として、

受け取られています。

その条件なら、

断らないことにも、

ちゃんと理由があります。

だから、

「意志が弱いから断れない」

だけで終わらせず、

なぜ、断らないことが必要になったのか

を見ることができます。


出来事といろづけは、反応の中では一つに見える

反応の中にいるとき、

出来事といろづけは、

ほとんど一つに見えます。

たとえば、

出来事
返信がまだ来ていない

そこに、

いろづけ
嫌われたかもしれない

が起きたとします。

そのとき本人には、

「嫌われたから不安になっている」

ように感じることがあります。

でも、

分けて見ると、

出来事
返信がまだ来ていない

いろづけ
嫌われたかもしれない

自分の中で起きたこと
不安になった
何度もスマホを確認した
過去のやり取りを思い返した

というように、

いくつかのものが見えてきます。

ここで重要なのは、

「嫌われたと思うのは間違い」

と訂正することではありません。

本当に、

嫌われている可能性だってあります。

その時点で分かっているのは、

「返信がまだ来ていない」

ということと、

「私は今、そこに『嫌われたかもしれない』という意味を感じている」

ということです。

それを、

そのまま分けて見ます。


「正しい意味」に書き換えることが目的ではない

そとがわメソッドでは、

ネガティブな意味を、

ポジティブな意味に変えることを、

目的にしていません。

たとえば、

返信が来ないとき、

「嫌われたかもしれない」

と思っている自分に対して、

「いや、きっと忙しいだけ!」

と思い込もうとする。

それでは、

「嫌われた」

という意味を、

「忙しいだけ」

という別の意味に置き換えているだけかもしれません。

どちらが正しいのかは、

その時点では分かりません。

だから、

正解の意味を探すのではなく、

私は今、この出来事をどう受け取っているんだろう

と見ます。

ポジティブな意味に変える必要も、

ネガティブな意味を消す必要もありません。

まず、

今ついている意味を見ます。


いろづけは「悪いもの」ではない

ここは、

とても大切なところです。

そとがわメソッドでは、

いろづけがあること自体を、

問題にはしません。

人は、

過去の経験や学習などを使いながら、

出来事を受け取っています。

それによって、

危険を避けたり、

人間関係を判断したり、

次に何をするのかを決めたりできます。

だから、

いろづけそのものを、

なくす必要はありません。

ただ、

反応の中にいると、

そのいろづけが、

出来事そのもの

のように見えることがあります。

「嫌われたかもしれない」

が、

「嫌われた」

になる。

「失敗するかもしれない」

が、

「絶対失敗する」

になる。

「迷惑だと思われるかもしれない」

が、

「私は迷惑な人間だ」

になる。

そうなると、

そこから見えているものだけが、

現実のように感じられます。

だから、

いろづけを消すのではなく、

「これは出来事なのか。自分の中で足されたものなのか」

を見ます。


「いろづけ」を見つけるときの基本

日常で何か反応が起きたときは、

たとえば、

次のように分けてみることができます。

出来事
実際に何が起きた?

いろづけ
そこに何が足された?

自分の中で起きたこと
身体・感情・思考には何が起きた?

行動
そのあと何をした?

たとえば、

出来事
上司から
「あとで話があります」
と言われた。

いろづけ
何か怒られるかもしれない。

自分の中で起きたこと
胸がざわついた。
不安になった。
仕事に集中できなくなった。

行動
頭の中で何度も、
怒られる理由を探した。

というように、

一つずつ分けます。

毎回、

きれいに全部分かる必要はありません。

「これは出来事?」

「ここからは、

自分の中で起きたこと?」

と見るだけでも、

ひとまとまりだったものが、

少しずつ分かれてきます。


まずは、分けて見る

そとがわメソッドでは、

反応を消すことより先に、

何が起きているのかを見ます。

実際に何が起きたのか。

そこに何が足されたのか。

自分の中では、

何が起きたのか。

なぜ、

その反応や行動が必要になったのか。

出来事と、

自分の中で起きていることが分かれてくると、

「現実がこうだから、

私はこうなっている」

だけではなく、

「私は今、この出来事をこう受け取っている」

と見られることがあります。

出来事を否定するわけでも、

自分の受け取り方を否定するわけでもありません。

ただ、

分けて見る。

これは、

そとがわメソッドで、

自分の中で起きていることを見るための、

最初の入口です。


次に読む

出来事といろづけを分けてみると、

次に、

「起きている反応も、一つではない」

ということが見えてきます。

怖くなったことに対して、

「怖がる自分はダメ」

と思う。

不安になったことに対して、

「また不安になっている」

と自分を責める。

最初に起きた反応に、

さらに別の反応が重なることがあります。

次は、

一次反応・二次反応と反応の構造

を見ていきます。


無料講座で、実際に見てみる

理論として理解するだけでなく、

自分の日常で、

出来事と、

自分の中で起きたことを、

実際に分けてみたい方は、

無料講座から進んでください。

「何が起きた?」

「何が足された?」

そんなところから、

実際の自分を見ていきます。

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