そとがわメソッドは、「自分を直す」ためのものではありません
そとがわメソッドは、
「人間が現実を経験する仕組み」を知り、
自分の中で実際に何が起きているのかを
観察していくためのメソッドです。
そとがわメソッドは、
もっと前向きになるための方法でも、
ネガティブな感情をなくすための方法でも、
正しい考え方を身につけるための方法でもありません。
そもそも、
「今の自分には何か問題があるから、直さなければならない」
というところから始まりません。
人が苦しくなったとき、
私たちはつい、
「自分の考え方が悪いのかな」
「もっと自信を持たなきゃ」
「もっと行動できるようにならなきゃ」
「こんなことで反応しない自分にならなきゃ」
と、
自分そのものを問題にしやすくなります。
でも、
そとがわメソッドでは、
まず、
「今、自分の中で何が起きているんだろう」
と見ます。
本人を直すのではなく、
起きている反応や、その反応が必要になっている仕組みを見る。
それが、
そとがわメソッドの基本的な立ち位置です。
人間の初期設定は、なんとなく幸せで、なんとなく満たされている、穏やかな状態
そとがわメソッドでは、
人のそもそもの状態を、
なんとなく幸せで、
なんとなく満たされている、
穏やかな状態
と捉えています。
何かを達成したから、
やっと幸せになる。
自信をつけたから、
ようやく普通になる。
過去を克服したから、
初めて安心できる。
そういう前提ではありません。
特に何も問題が起きていないとき、
人はずっと苦しみ続けているわけではありません。
ぼんやり過ごしていたり、
普通にご飯を食べていたり、
何かを見て笑っていたり、
特別なことはなくても、
そこにはそれなりの安心や穏やかさがあります。
そこへ、出来事が起きる。
身体や感情が反応する。
意味がつく。
未来を予測する。
さらに別の感情や思考が起きる。
そして、
行動や言葉として表れる。
そとがわメソッドでは、
幸せになるために、
新しい自分を作る必要がある、
というところからは始まりません。
まず見るのは、
今、自分の中で何が起きているのか。
そこです。
問題に見えているものは、「その人そのもの」とは限りません
断れない。
人の機嫌が気になる。
不安になる。
考えすぎる。
自分を責める。
行動できない。
同じことを何度も繰り返す。
こうしたことが続くと、
「私は断れない人」
「私は不安になりやすい人」
「私は自己肯定感が低い人」
「私は行動力がない人」
と、
それを自分そのものの性質として捉えやすくなります。
でも、
そとがわメソッドでは、
そこを少し分けて見ます。
その人そのものが問題なのではなく、
ある場面で、ある反応が起きている。
そして、
その反応には、
その人の中でそうなるだけの理由がある。
そう考えます。
だから、
「どうすればもっと良い自分になれるか」
よりも先に、
「なぜ今、この反応が必要になっているのか」
を見ます。
同じ出来事でも、同じ問題にはなりません
たとえば、
相手の声が少し低かった。
実際に起きたことは、
「相手の声が少し低かった」
です。
でも、
ある人は、
「疲れているのかな」
と思うかもしれません。
別の人は、
「怒っているのかもしれない」
と思うかもしれません。
さらに別の人は、
「私が何かしたのかもしれない」
と思うかもしれません。
すると、
同じ出来事でも、
その後に起きる反応は変わります。
不安になる。
相手の顔色を確認する。
機嫌を取ろうとする。
何度も自分の言動を振り返る。
特に気にしない。
つまり、
私たちはいつも、
出来事そのものだけを体験しているわけではありません。
その出来事が、
自分にとって何を意味することになったのか
も一緒に体験しています。
そとがわメソッドでは、
この、
出来事に自分の中で加わった意味を、
「いろづけ」
と呼んでいます。
実際に起きたことと、
そこに自分が足した意味を分けて見る。
これは、
そとがわメソッドの基本です。
「分かっているのにできない」には、理由があります
自分を大切にした方がいい。
嫌なら断っていい。
人は人、自分は自分。
失敗しても人生が終わるわけではない。
考えすぎても仕方がない。
自分を責めても何も変わらない。
こうしたことを、
もう知っている人はたくさんいます。
それでも、
実際の場面になると、
断れない。
不安になる。
人の顔色を見る。
また自分を責める。
そうすると、
今度は、
「分かっているのにできない自分」
が新しい問題になります。
でも、
もしその人の中で、
断ることが、
「嫌われること」
「関係を壊すこと」
「相手を困らせること」
という意味になっていたら。
その人の中では、
断らないことに理由があります。
だから、
知識が足りないとは限りません。
意志が弱いとも限りません。
正しい考え方を知らないとも限りません。
その人の中では、そうする必要が成立している。
そとがわメソッドは、
そこを見ます。
反応は、悪者ではありません
不安。
緊張。
怒り。
自分責め。
回避。
我慢。
人に合わせること。
こうした反応は、
苦しいと、
どうしても
「なくしたいもの」
に見えます。
でも、
そとがわメソッドでは、
反応をすぐに悪いものとは扱いません。
その反応には、
その時点の自分にとって、
必要になる理由があるかもしれないからです。
危険を避けるため。
関係を守るため。
傷つかないため。
否定されないため。
失敗しないため。
安心を保つため。
だから、
反応そのものを消そうとする前に、
「なぜ、この反応が必要になっているんだろう」
と見ます。
身体が震えるなら、
「震えないようにしなきゃ」
と考える前に、
なぜ今、
身体が震える必要があるのかを見る。
不安になるなら、
「不安にならない自分にならなきゃ」
と考える前に、
何に反応して、
何を避けようとしているのかを見る。
その反応が、
何を守ろうとしているのか。
何があるから、
それが必要になっているのか。
そこが見えてくると、
今まで
「消さなければならないもの」
に見えていた反応の見え方が、
変わることがあります。
反応のあとにも、反応は起きます
人間の反応は、
一度起きて終わるとは限りません。
たとえば、
誰かに何かを言われて、
胸がざわついた。
これはひとつの反応です。
そのあと、
「こんなことで気にする私はダメだ」
と思った。
すると、
最初の反応に対して、
さらに別の反応が起きています。
そとがわメソッドでは、
こうした反応も分けて見ます。
最初に起きた反応。
その反応に対して起きた反応。
そして、
そこから表れる言葉や行動。
反応が起きたことそのものと、
「反応している自分はダメだ」
は同じではありません。
ここを分けて見られるようになると、
反応が起きている自分を、
すぐに問題にしなくて済むことがあります。
だから、学んだことを否定する必要はありません
心理学。
自己啓発。
潜在意識。
脳科学。
哲学。
スピリチュアル。
人間について考えるための知識は、
たくさんあります。
そとがわメソッドは、
それらを否定するものではありません。
今まで学んできたものを、
捨てる必要もありません。
むしろ、
それぞれが見ていたものを、
「人間の中で何が起きているのか」
というひとつの地図の上に置いてみる。
そうすると、
別々に学んできたものが、
つながって見えることがあります。
そとがわメソッドは、
新しい正解を増やすためのものではなく、
すでに持っている知識も含めて、人間全体を見やすくするための地図
として使うことができます。
変化は、最初の目的ではありません
そとがわメソッドでは、
「変わること」
を最初の目的にはしません。
もっと自信を持とう。
もっと行動しよう。
もっと前向きになろう。
もっと自分を好きになろう。
と、
理想の自分へ近づけることからは始めません。
まず、
今あるものを見る。
何が起きているのかを見る。
なぜ、その反応が必要になっているのかを見る。
すると、
今まで当然だと思っていた見え方が、
変わることがあります。
今まで、
「これしかない」
と思っていた行動に、
別の選択肢が見えることもあります。
必要なら、
行動を変える。
方法を使う。
環境を変える。
何もしない。
今までと同じ行動を選ぶ。
どれを選んでも構いません。
大事なのは、
反応に飲み込まれたまま、
それしかないと思って選ぶことと、
何が起きているのかを見たうえで、自分で選ぶことは違う
ということです。
「選べる」は、その先に生まれます
反応の中にいるとき、
本人にとっては、
「こうするしかない」
ように見えることがあります。
断れない。
謝るしかない。
我慢するしかない。
逃げるしかない。
頑張るしかない。
でも、
自分の中で何が起きているのかが見えてくると、
「私は今、こう見えているんだ」
「だから、この反応が起きているんだ」
「だから、この行動しかないように感じていたんだ」
と、
反応そのものを見られる位置に立つことができます。
すると、
「では、私はどうする?」
という余白が生まれます。
その反応に従うのか。
従わないのか。
別の行動をするのか。
何もしないのか。
反応そのものを消すのではなく、
反応を見たうえで選ぶ。
中庸の状態から選択する
そとがわメソッドが大切にしているのは、
中庸の状態から選択すること
です。
中庸とは、
何も感じない状態でも、
いつも冷静でいられる状態でもありません。
反応は起きてもいい。
不安になってもいい。
腹が立ってもいい。
怖くてもいい。
自分を責める反応が出ることもあります。
ただ、
その反応の中に入り込んだまま、
自動的に次の行動を決めるのではなく、
「今、自分の中でこういうことが起きている」
と見られる位置に立つ。
そこから、
自分で選択する。
そとがわメソッドでいう
「選べる」
とは、
その状態です。
そとがわメソッドは、「新しい正解」を覚えるためのものではありません
ここは、
とても大切なところです。
そとがわメソッドについて知ったあと、
「じゃあ、いろづけをしなければいいんですね」
「自分を責めたらダメなんですね」
「反応と自分を分ければいいんですね」
「中庸でいなければいけないんですね」
となると、
今度はそれが新しい採点基準になります。
自分を責めていることに気づいて、
「またできていない」
と自分を責める。
反応していることに気づいて、
「まだ中庸になれていない」
と採点する。
それでは、
覚えた言葉が変わっただけで、
同じことが続きます。
そとがわメソッドで行うのは、
「正しい反応」に自分を修正することではありません。
今、
実際に何が起きているのかを見ることです。
反応しているなら、
反応している。
いろづけが起きているなら、
いろづけが起きている。
自分を責めているなら、
自分を責めている。
それを、
良い・悪いで裁く前に見る。
そこから始めます。
そとがわメソッドは、「人間をどう見るか」の土台です
そとがわメソッドでは、
出来事。
いろづけ。
予測。
一次反応。
二次反応。
表出。
といった言葉を使います。
でも、
それらは、
覚えること自体が目的ではありません。
「正しく観察するための手順」
を身につけることが目的でもありません。
それらは、
人の中で何が起きているのかを分けて見るための道具
です。
大事なのは、
用語を正しく言えることではなく、
「自分はダメだ」
「この人はおかしい」
「この反応はなくさなければならない」
と、
人そのものを問題にする前に、
何がこの状態を成立させているのかを見ること。
その見方を持つことです。
そとがわから見ると、問題の見え方が変わります
断れない。
人の機嫌が気になる。
自分を責める。
考えすぎる。
行動できない。
何度学んでも同じところに戻る。
これらを、
「直すべき自分の欠点」
として見るのではなく、
「なぜ、この反応が必要になっているんだろう」
と見る。
すると、
これまで
性格。
弱さ。
能力不足。
努力不足。
と思っていたものが、
違う形で見えてくることがあります。
本人を直す前に、
何が起きているのかを見る。
反応を消す前に、
なぜ必要なのかを見る。
答えを増やす前に、
仕組みを見る。
そして、
その仕組みが見えたところから、
中庸の状態で、自分の行動を選ぶ。
それが、
そとがわメソッド
です。
まずは無料講座から
そとがわメソッドでは、
この見方の入口を、
全7回の無料講座で公開しています。
「分かっているのに、なぜ同じ反応を繰り返すのか」
「なぜ、自分を責めるのか」
「なぜ、考え方を変えようとしても同じところに戻るのか」
「人の中では、何が起きているのか」
といったところから、
順番に見ていきます。
最初から、
そとがわメソッドを正しいと思う必要はありません。
自分の中で実際に起きていることと、
照らし合わせながら見てみてください。
無料講座 0時間目
「分かっているのに、やめられない理由」